バイバイなずなちゃん
覚えているのは、皆でぞろぞろと街を出て、檻に入れられた無数のゴーレムの中でも、一際大きな赤土のゴーレムが放たれたところまでだ。
話によると、比較的小ぶりなゴーレムを狙って数を稼いでいた他の討伐兵たちは、ボスゴーレムの解放されたのに気付くと、一目散に逃げ出したが、最初から逃げ通しだったおれだけが逃げ遅れ、
「そうして、あなたは死んだのですよ」
そういうことらしい。
「痕が残らないように治癒魔法はかけましたけど、もう、あまり無茶をしてはいけません」
「はい、天使様」
「い、いえ、私は神官です」
ステンドグラスから漏れ入る淡い光のなかで、長い銀色の髪を胸まで下ろした神官の女性は、柔らかに微笑んだ。その青い瞳の水のように澄んでいるのを見ると、こうして死ぬのも悪くないと思えてくるのだから、罪作りなことだ。
「神官様、なんか、ゴーレムがおればかり追いかけて来たような気がするんですけど、懺悔でもして行った方がいいんでしょうか」
「はあ、そうなんですか」
神官様はくすりと笑って、そっとおれの頬に触れた。ヒャッと硬くなるおれを見て、また、くすくすと笑うその声が、お御堂に冷たく反響した。
「体温の高い方は、魔物に狙われやすいんです。熱や光に寄ってくる魔物が多いですから」
今は蘇生したてで、さすがにちょっと冷たいですねと言う。なるほど、誰よりも走り回っていたおれが狙われたのは当然で、何の裁きでもなかったのだ。しかし、逃げれば逃げるほどますます追ってくるのでは、どうも救いがない。
「どうしても気になるようでしたら、何か対策がないか、占いに行かれては?」
「う、占いですか」
「ええ」
占いというと、教会のイメージとはあまり結びつかないが、それでも聖母のようなと形容する他ない、汚れのない笑顔で頷く。
「占い師としてのユニークパッチをお持ちの方が、この街にはいらっしゃいます。如月様というお名前をお聞きになったことはありませんか」
「いえ、まだ……。占いなんて、パッチで出来るものですか」
「珍しいそうですよ。他に類を見ないとか」
恐ろしく当たるので有名だが、それだけになかなか会えないという。神官様は、こんとひとつ咳払いをして、
「さて、それでは、蘇生と治癒魔法の代金を合わせまして、四十八万五千円、お納めください」
「え?」
教会を出ると、すっかり日が暮れていた。それでも祭の夜だから、街は明るく、昼間と大差はない。葵が気付くと、駆け寄ってきて、指を差して笑った。
「ハルちゃん、死んでやんの!」
「なんて言い草だ」
「でも、よかったわね、この街に教会があって。首もこっちを向いてるし、お腹からも何も出てないみたいで安心したわ」
一体どんな死に方をしていたのか、聞くつもりだったが、やはり止そう。
「なずなは?」
葵は目を見開いて、やれやれとかぶりを振った。
「呑気なんだから。もう取られちゃったわよ。あのクラウスってきのこ頭の人に」
「え!」
クラウスはミスティックが欲しいと言っていたはずだが、
「なんでお前じゃないんだよ」
「言わないでよ! 私だって、それはちょっと傷付いてるんだから!」
もともとなずなをパーティに入れたつもりも、入れるつもりもなかったから、この結果自体は、体良く厄介ごとが片付いたということで、何のダメージもないので構わないが、胸に小さな穴が開いたような気持ちになるのは不合理なことだ。
葵は葵なりにそんな気持ちを察してか、参加賞ということでわずかな報酬をもらったから、酒場でパッと使っちゃおうなどと言い出した。それを止めて、教会で支払ったお金の額を告げると、サッと血の気が失せて、手に持っていた報酬の入った封筒を取り落とし、そっとおれの首に手をかけた。
「ぐっ、苦しい! なにをする!」
「変な使い方してないのに、すぐにまた死んじゃったって言えば、初期不良ってことで代金を返してくれるかもしれないわ!」
「や、やめろ、あの神官様を困らせるな!」
「安心して、すぐに済ませるから。そーれ、ポックリ、ポックリ!」
ほとんど無一文になってしまって、宿にまとめて払っている金が尽きたら、路頭に迷うことになる。いっそ、葵の言う通りに教会を強請るのも悪くないかと思い始めたとき、
「な、なにしてるんですか」
すっかり聞き慣れた幼い声がした。
「なずな、止めないで。生きるためには死ぬしかないの」
「あの、お金ですよね」
葵の手から力が抜けて、おれは咳き込んだ。涙目で見たなずなが、何か大きな袋を持っているのがわかる。
「クラウスさんから預かってきました。その、春太さんがユニークだってこと、知らなかったとはいえ、さすがに対等な勝負とは言えないからって」
なずなが袋から取り出した分厚い封筒を受け取って、葵が数えたところによれば、その中には四十万円。
「足りないんだけど」
「止せよ、もう!」
なずなはすすっと何歩か下がると、
「じ、実は、預かったお金は六十万円ありまして……」
先ほどから気になっていて、金を預かったなんて話が出た頃から、まさかまさかとは思っていた、まさにその紙袋を、なずながぎゅっと抱き締める。
「お、おい、なずな、お前まさか」
「へへへ、すみません」
「葵、殺してでも奪い取れ!」
葵は札束で顔を扇ぐのに夢中で、なに、もう一回言ってと惚けたことを言っている。生き返ったばかりで体が重いおれには、なずなを取り押さえる自信がなかった。
「私、クラウスさんとこの子になります。お金持ちだし、春太さんと違って、本当のバイタルだから心強いし、なんか妙に私に甘いんです」
おれがユニークだってことについては、騙していたわけじゃなくて、聞かれなかったから言わなかったのだ。それに葵は、本当のミスティックで、負けじとお前に甘いだろうに、まあ、金はないし、家事しか出来ないのだから、比べるべくもない話ではある。
「でも、お金、返しますから」
「当たり前だ、馬鹿野郎!」
「返し終わるまでは……」
なずなの目の周りが腫れに腫れ、そして鼻の頭が赤いのに気が付いたのは、そのときだった。
「また会いに来てもいいですか……」
返事を待たずに駆け出したなずなを追いかけることも出来ずに、おれたちはしばらく立ち尽くした後、すごすごと宿に戻った。
なずなが泊まっていた部屋は空室になっていて、綺麗に片付けられていた。おれの枕も、部屋を空けている間に取り替えられてしまって、なずなの残り香はなかった。座卓の上に残っていた湯飲みの数だけが、なずながここにいたことの名残となった。
いなくなってしまうときは、こうもあっという間に消えてしまうものか。
葵が風呂に入る間も、もう部屋を出てロビーで時間を潰す必要はないのだとわかっていたが、なんとなくそうしてしまうので笑えたし、実際、風呂を上がって迎えに来た葵には笑われた。
消灯の後、おれたちはろくに口も利かないでいたが、葵が本当になにも言わないのが、ありがたいようで、かえって苦しいようでもあった。十年来聞き慣れた深い寝息が聞こえれば、多少落ち着いて眠れるかと思ったのに、どれほど寝返りを打っても、ついにそれは聞こえてこなかった。
それから何日経っただろうか。なずなは金を持ってくるどころか、顔のひとつを見せに来ない。
「死ぬのはまずいな、経済的に」
「そうね。それに、さすがに心臓に悪いわ」
そういう理由で、おれたちが受けたのは、祭の日に放たれたゴーレムの残党狩りだ。特に岩石型のゴーレムのコアが、物理保護魔法の効能がある魔法薬を作るのに必要だった。買ってもいいが、せっかく作れるのだから作った方が安く上がる。そうは言っても、よりにもよってこの依頼。葵にも思うところもあっただろうに、それでも反対はしなかった。
さて、魔法薬の充実を安く実現するのはいいとして、もちろん、そのためにいちいち死んでいては元が取れない。
「そこで、作戦がある」
ここのところ少し覇気をなくした葵は、なにを思い出してか、むすっとして耳を塞いだが、なんとか力づくで聞かせることに成功した。
土産屋に寄って、浮遊大陸のお土産として人気の浮遊石と、火山洞窟名物の、火トカゲの血を模した、瓶詰めのオモチャの発熱剤「サラマンちゃんジェル」を安く手に入れる。なずながいれば、どれも喜びそうなものばかりだなどと考えてしまうから、長居するまいと店を出たら、すでに葵が外で待っていて、おれたちは同じような顔で苦笑した。
門をくぐって街を出てから、ゴーレムの集団が、目的らしい目的もなく、ウロウロと歩き回っている草原まで出るのにさほど時間はかからなかった。ときどき思い出したように地面を殴っているのがいると思うと、鳥か何かを追いかけて、どしんどしんと飛び回っているのがいたりする。
「いいか、狙いは岩石型のゴーレムだからな。土っぽいやつだと、作戦が上手くいくかわからないし、だいたい、欲しい材料なんか手に入らないんだから」
「わかってるわよ。硬いやつよね、硬いやつ」
問題は、目当ての一体だけを、どうやっておびき寄せて、一騎打ちに持ち込むかということだ。さすがに複数相手では分が悪い。
ゴーレムの運動会を遠目に眺めながら、腰を下ろしたときに、おれは葵がいないことに気が付いた。
「あれ、葵」
振り返ると、目と鼻の先にゴーレムがいた。
葵はおれの背後に、それに対峙するようにして立っていたのだ。言葉も発せずに固まっていると、ゆっくりとこちらに手を伸ばしてくる。葵は頑丈そうな木の棒を拾い上げて、ぐっと握ると、土で出来たゴーレムの、そのゴミバケツの蓋くらいはありそうな手を睨む。そして、拾ったばかりのその棒を、四番打者の気迫で引きつけて、迫るゴーレムの右手を力いっぱいに打った。
どすっと重たい音がして、
「アアッ」
葵はホームランバットを取り落とし、両手をブラブラと振った。
「じーんと来た」
「おい、逃げるぞ、馬鹿!」
手のひらの土を少し払ったに過ぎなかったが、ゴーレムを怒らせるには十分だったらしい。