葵となずなは顧みない
行ってしまってから、シャルロッテが「如月様」と呼び敬う相手に、敬語を使い忘れていたことに気が付いた。まあいいか。いかに大人物といえ、ずぼら娘という認識自体に誤りはあるまい。
それから、依頼を受けてくれるのであれば、おれのことを客として扱ってくれてもいいのだが、それでもこの場で待たせるというのには、少々面食らった。殿様商売が身に染み付いているのか。いやしかし、そうも見えない。
靴はつっかけが一足出ているばかりで、玄関は綺麗に片付けられている。彼女があのツノを隠しもせずに玄関に出れば、客を驚かせるのは明らかだから、普通は避ける。この家には、如月がいるだけで、あとは誰もいないのだ。
どれほど待たされた頃か、ようやく足音が近付いてくるのに気が付いた。
「お待たせしました……すみません……」
本当にお待たせだ。振り返ると、先ほどとは打って変わり、気合いの入った如月の姿があった。
フリルである。リボンである。黒いマントのような紡錘状の外套が、肩から広がって胸を過ぎた辺りで途切れている。そこから伸びる細い腕を覆う純白のブラウスは、袖口で花のように広がる。腰紐をきつく絞められたワンピースのスカートは、これも花のように、腰から開いて、黒いタイツに包まれた脚の、その膝までを覆い隠す。髪はとかされて、毛先だけがふわりと波打ち、胸の膨らみに乗る。如月の姿は、歴史の便覧に載っていた、ロリィタというのによく似ていた。
「お急ぎ……ですよね……」
頷くと、如月は踵を返して、屋敷の奥へと引っ込んでいった。何事かと思ってしばらく待っていると、困った顔で戻ってきて、
「あの、付いてきてください……」
「始まりの島では、あれが普通なのかもしれませんが……」
出身を名乗った覚えはないのに、如月は当たり前のように言った。おれはたいそう驚いて、好奇心がむくむくと鎌首をもたげる。
「こちらでは、家に入る前にインターホンを鳴らします。門のところにボタンがあったんですけど」
「あ、そうだったのか。ごめん」
消え入りそうな声で、いえ、と返す。
「でも、占いってすごいな。すぐに出身までわかっちゃうものなのか」
「え?」
「だって、さっき始まりの島って言っただろ」
ああとこぼして、如月は手で髪をすいた。
「島の人って、みんなあんな感じで入ってくるから……」
それは申し訳ない。
畳に卓袱台、床の間に襖、障子。純日本家屋の中にあって、家主らしき如月だけが、ゴスゴスとしたふりふりの服を着ているのだから締まらない。シャルロッテによれば、よほどすごい人物という話だが、とてもそうは見えなかった。そう、シャルロッテだ。
「今日はシャルロッテの紹介で来てて、それで大丈夫みたいに言われてるんだけど、本当に大丈夫か」
紹介状を取り出して、如月に持たせると、中身に目を通し、それから、スゥーと息を吸って考え込んだ。
「シャル……?」
「神官様だよ」
「あ、神官様……」
それだけ言うと、如月は目を閉じて、つと俯いた。今度はなんだ。
待っていると、呼吸が少しずつ深くなって、それはまるで、いやまさしく、寝息を立てているのであった。
「……如月とやら」
「ハッ」
「寝てんじゃねえ!」
「ね、寝てません……! 占うのに、意識を飛ばさないといけなくて……」
「なんだそうか、ごめん」
先ほどから何度も飲み込んでいる「そうならそうと言え」という言葉を今一度飲み込み、如月に続きを促した。再び寝息を立て始めたので、またしばらく待つと、如月はサッと顔を上げて、相変わらずの細い声で言った。
「出ましたけど……」
「早いな、ありがとう」
期待して待つおれの顔を、如月はじっと見た。そのまま動きがないので、首をかしげると、如月も同じようにする。
「いや、その、内容は……」
「あ、書きますか?」
書いてくれ……。
おおよそ上手くいくよ。
バサバサが嫌なら、ピカッとしてピカッとして、そのあとガーって来るよ。
だから山の下にしなよ。
「おい、如月、ふざけてるだろ」
「ふ、ふざけてません……」
前髪を何度も何度も撫でつけ、卓袱台の縁を見つめる。
「こんな感じなんです、いつも……」
本当にこのまま消えてしまうのかと思うほど、指先で膝に穴でもあけるつもりか、如月はしゅんと小さくなっていく。しかし、これがふざけたものであり得ないことは、本当はわかっていた。思い描いていた作戦の欠陥を、完全に補填する内容だったからである。
「あまりかっこよくないけど、まあいいか。忙しい中、占ってくれたんだし」
「忙しくないです……暇です……」
「え、でも、シャルロッテはなかなか会えないって言ってたぞ」
それは、と言い淀んで、人差し指で卓袱台をこする。
「…….私が居留守を使うから……」
これは重症だ。
「でも、如月、暇ならちょうど良かった。ちょっと出よう」
「え?」
「お前が手伝ってくれないとわからないこともあるし、あと、誰でもいいから暇な奴に手伝って欲しいこともあるんだ」
「お仲間は……」
「寝てるよ。勝手に先走りそうだったから寝かしつけた」
「神官様は……」
「あんな偉い人に雑用させられないだろ」
「そ、それなら私だって……」
「いいから、行くぞ。天気もいいし」
「え、ええ……やだ……」
「せっかく着替えたんだから、外に出ないともったいないぞ! さあほら、立った立った!」
「でも、ツノ隠さなくちゃ……」
「チャーミングだから大丈夫!」
如月が泣き出しそうになるのを無視して、玄関までぐいぐいと引っ張った。家の敷居をまたぐときには、一層強く踏ん張ったが、そこはおれだって男だから、相手がユニークの女の子で、まして引きこもり同然の人間であれば、無理やり引っ張りだすのは造作もないことであった。
おれほどではないにしても、やはりぜえぜえと息を切らしながら、如月はチクリと言った。
「きらい……」
*
葵となずなが目を覚ましたのは、夕焼けの頃である。先に目を覚ましたのは葵で、跳ねるようにして体を起こすと、やられたと頭を抱える。なずなの体を揺すって、名前を呼び続けるうち、やがて、なずなも目を覚ました。
「ん……。ハッ、しまった!」
「やられたわ。ハルちゃんの仕業ね」
「どうしてこんなことを? ひょっとしてひとりで……」
「いやあ、それはないと思うわ」
ベッドに腰を下ろし直すと、葵は手を振った。
「どうしてですか」
「そんなに熱い人間じゃないもの。助けてもらえるなら、女の子にだって助けてもらうわよ、ハルちゃんなら。私たちの心配をして、わざわざひとりで村に行くようなこと、ちょっと想像できないわ」
なずなもそれには同意して、それでは何かと首をひねる。
「山村の食べ物に惹かれて……」
うーん。
「出発前にくだらない買い物があって……」
うーん。
「ひとりで村を救って英雄になろうとして……」
うーん。
「竜の鱗を独り占めにしようとして……」
「それだわ」
「それですね」
葵はすぐに立ち上がると、鞄を背負ってなずなの手を引いた。
「ハルちゃんは山村にいるに違いないわ。教会の蘇生代ってすごく高いんだから、急ぎましょう、なずな」
「はい」
若いふたりの少女は、連れ立って宿を後にすると、慌てた様子に驚く街の人々も意に介さず、全速力で駆けた。
「この道をまっすぐ行けば、私の村です」
鬱蒼と生い茂った木々の隙間を縫うようにして、細い道が伸びている。山村というくらいだから山間に存在するのだが、ふたりはその山の麓まで、あっという間にやってきていた。
「それにしても、魔物に会わないわね」
「そうですね。普段なら、そろそろ何度か出くわして、迂回しているはずなんですけど……」
街からここに至るまで、ほとんど周囲を気にせずに駆けてきたが、道中はあまりに順調であった。魔物どころか、猫の子一匹出くわさない。いよいよ日が落ちてきて、魔物の活動が鈍ってくる頃合だとはいえ、少々不気味なほどである。
「少し休憩したいわね。さすがにこの場でってわけにはいかないけど……」
「だったら、もう少し進めば洞窟がありますよ。そこで休みましょう」
そうしようと手を打って、草の根を掻き分けてふたりは山道に踏み入った。音がないのでやはり空恐ろしいが、そうも言っていられない。春太の安否はもちろん、村の存続が気になっているのは、結局のところ、何もなずなばかりではないのだ。
魔物に見つかる心配などは、いつからかしなくなっていて、それよりもむしろ、音のしない不気味さを紛らわすために、いっそ大きく草木を揺らして、ガサガサとやかましく進んだ。それでもやはり順調に進み、すぐに山肌にポッカリと口の開いているのが見えてきた。
「どうしてこんなところに洞窟があるのよ」
その中はひんやりとしていて、葵の声をいつまでも反響するのだから、案外奥行きがあるようだ。風は吹いてこない。トンネルのように筒抜けてはいないらしい。
なずなは奥に小さな光源を設置すると、乾いた岩に腰を下ろした。
「山村まで、まだしばらく歩きますけど、その道の整備をするときに、休憩用に掘ったそうです。けっこうな人数で作業をしていたそうですから」
光に照らされた洞窟の内部を葵がぐるりと見回すと、やはり縦横に広く、大型バスの五、六台は無理なくすっぽりと停められそうだ。
「それにしたって、広すぎじゃない?」
「そうですね。ちょっとした体育館みたいな」
「あ、バスケしましょうよ、バスケ」
「いいですね、しましょう、バスケ! でも、ボールは……」
「私、作るわよ。材料があれば」
「ないですね」
「ないわよね」
それに私は振袖だからとなずなが言う。洞窟に入った目的が休憩であったことを、ふたりがふたり、すでに忘れていた。
「まだ歩くって言ってたけど、村はこの山の向こうなの?」
「はい。ここを出てずうっと壁沿いに進んで行くと、坂道になっていて、その道がぐるぐる山肌に巻きついているんです」
「なんか、遠回りじゃない、それ」
「そうなんですけど、やっぱり、大型の馬車が通れないと不便なんですよね。急な坂だと、街に買い出しにいくのも大変で」
「じゃあ、道は広いのね」
鞄からパンを取り出して、なずなは頷いた。
「すごく。この上も通りますけど、ここの奥行きが、そのまま道幅だと思ってくれていいですよ」
「うーん、いざとなったら隠れる場所に困るわね」
「いえ、道沿いはけっこう放ったらかしですから、草も木もあるし、大丈夫だと思います」
たくましいもので、平和な島で育った葵には、魔物をやり過ごすのに慣れた様子のなずなが、歴戦の勇士のようにさえ見えた。なずな自身も、何度も街との往復を経験しているということだから、頼り切っていても上手くたどり着けそうで、胸をなでおろす。
春太は村に着いた頃だろうか。まだ生きているだろうか。竜王の鱗がそこここに落ちている村を想像して、葵は興奮を抑えきれなかった。
「さあ、食べたら行くわよ。鱗……、もとい、村とハルちゃんが心配だわ」
「何か言いかけましたよね」
ひいひい言いながら山道を登り、ようやく人里の気配がしてきたのは、それから数時間の後だった。辺りはとっぷりと暗くなり、葵もなずなも、ひどく消耗している。坂道とはいえ、綺麗に整備された道だったからよかったが、これが整備前の山道だったらと思うとぞっとする。さっきは文句を言った遠回りの道に、今の葵は合唱するような気持ちだった。
「なずなん家、遠いのね……」
「遠いですね、久しぶりに歩いたら……」
「久しぶりって、二ヶ月くらい前に街に来たんでしょう」
「そのときは馬車ですよ。街から定期便が出てますし、普通、徒歩の距離じゃないですから」
葵は唖然として、目に涙をいっぱいに溜めながら、なんとか「そう」と一言絞り出した。
そのとき、ポツリと頬を打つものがあって、見上げると、あれほど天気のよかった空が、いつの間にか星々をすっかり覆い隠し、どろどろに曇っているようだった。降り出すかしらと呟くと、なずながそれを肯定する。
「けっこう降りますよ。土砂降りです。止むのは朝方とかですね」
「え、本当に。どうしてわかるの?」
「農家のスキルです」
戦闘が出来ないことを除けば、ユニークパッチとは実に便利なものだ。葵は、幼い頃から夏休みの工作にひとつも苦労をしていない春太のことを思い出して、しみじみと感じ入る。一夜漬けのための気付薬を何本か譲ってもらったこともあった。
「葵さん」
そのとき、ピリッと緊張して、なずなが低い声で言った。
「何かいます。隠れましょう」
見れば、少し行った先に、村の入り口らしき門があった。しかし、それは黒々と焼け焦げて倒されている。その向こうには、未だ煙を上げる家、倒された家、無惨に殺された家畜の姿が見える。葵は口元を両手で覆って、なずなに付いて、音を立てないように入り口の門を避け、裏手の方へ回り込んだ。
「こっちに村長の家があります。シェルターがあるから、村のみんなが無事だとしたら、たぶん、そこに」
なずなは葵の手を取って、ゆっくりと草木を掻き分けて進む。その手が震えていることに気が付いて、葵は強く握り返した。
村長の家というのがどれなのか、なずなに教えられるまでもなかった。他の家よりもひとまわり大きな邸宅の前に、ひとりの老人と、巨大な竜が向き合っていたからだ。ふたりはその場で腰を落として、じっとその怪物ーー竜王を見つめた。
ちょっとした飛行機くらいの大きさを誇る身体が動くたびに、周囲に建てられた石造りの家が砂糖細工のように崩れていく。ワニのような口。コウモリのような翼。蛇のような身体から、虎のように太く凶悪な脚が四本。全身が瓦のような黒い鱗で覆われているそれは、村の外から見ている葵となずなに、足をすくませるだけの恐怖と、異様な熱を及ばせた。それが呼吸をするたび毎に、鼻からか口からか、呼気が空気を燃やして炎が上がる。
村長と思しき老人と何事か話しているようだが、ここからでは聞き取れない。
「あれが、竜王……」
なずなは認識の甘さを思い知る。とても太刀打ち出来る相手でないことは、一目見るだけで痛いほどに理解できた。
「デッカい! すごいわね!」
なずなの危機感は、葵にはまるで伝わっていない様子である。
「村長が……、時間を稼いでるみたいです」
「時間?」
「シェルターが地下道に繋がっていて、始まりの街まで続いているって聞いたことがあります」
「なるほど……」
なずなが立ち上がろうとするが、足腰が震えて上手くいかない。
「それにしても、ひどいわね…….。これ全部、竜王がひとりでやったのかしら。ドンガラガッシャーンって」
「葵さん、一度街にーー」
言いかけて、なずながどさりとうつ伏せに倒れた。葵はそれを見て、状況が飲み込めずに呆然としていると、
「リンドブルムがやったならーー」
背後で女の声がした。
「こんなものでは済まないわ」
次の瞬間には、葵の視界は暗転し、なずなと同じようにして倒れていた。




