112.主従の訓練風景
112話目です。
よろしくお願いします。
ホーラント王城へ戻ってきたミキは、左腕の肘から先を失い、遠距離の転移を繰り返したことで魔力もギリギリという状況だった。
障壁も腕の傷口を押さえつける分を辛うじて維持できているという状況で、すぐに治癒魔法が使える者が呼ばれ、治療を始めた頃には意識を失っていた。
それから目を覚ましたのは、四日経ってからである。
「ここは……」
「目が覚めましたか」
ミキが瞼を開くと、板を打ち付けたシンプルな天井をバックに、赤子を抱えた女王サウジーネが不安そうに見下ろしている顔が見えた。
身体を起こそうとするミキを、サウジーネはそっと肩に手を置いて止めた。
「無理をしないで、今は寝ておくべきでしょう」
サウジーネは、素直に身体を横たえたミキに微笑むと、室内にいた侍女へ食事を用意するようにと命じた。
「四日ぶりの食事です。食べやすいものを作る様に、と」
「畏まりました」
「四日……。私は、四日も眠っていたのですか?」
「その通りです。大きな怪我をして戻って来たかと思えば、治療を始めるなりすぐに気を失ってしまいましたよ」
サウジーネは、ミキが一二三に会いに行くということは聞いていたが、その結果を聞こうとはしなかった。城へ戻ってきた時に見たミキの表情が、決して良い結果を示す物では無かったからだ。
サウジーネは腕に抱えているミキの娘を抱え直し、ふっくらとした頬をして、小さな口をもにゅもにゅと動かしているその顔がミキに良く見えるようにする。
「貴女がいない間、リオちゃんは大人しく待っていましたよ」
「ああ……ごめんね。ママが……」
我が子を抱こうとして両腕を伸ばしたミキは、自分の左腕が途中から無くなっていることを改めて目の当たりにして、硬直した。
「治療はしました。でも、失われた腕を取り戻すことは……」
「あ、すみません……」
サウジーネに余計な気を遣わせてしまった、とミキは改めて右腕を伸ばして片手で我が子を抱いた。
「暖かい……ごめんね。置いて行ってしまって……」
ぽろぽろと涙がこぼれてくるのを止めることもできず、不思議そうに自分を見ている娘の顔に涙が落ちないように顔をそむけた。
「陛下。今回は目的を達成できませんでした」
震える声で報告するミキの肩に、サウジーネはそっと手を置いた。
「一二三さんに相対して、生きて帰っただけでも幸いだと思いましょう」
一二三の強さをサウジーネは良く知っているつもりだった。
自国の騎士たちが簡単に殺害され、長引いていた内戦も彼の登場によってあっという間に終結へと向かった。イメラリア教も勢力をホーラントから退く形になり、ホーラントに取っては恩人でもある。
彼が危険であると知ってはいたが、サウジーネとしては直接一二三をどうこうするつもりは無かった。
しかし、ミキの希望を止めることもしなかった。戦闘に関する協力はしなかったが、娘を預かり、帰還した際の治療もサウジーネの命令で行われている。
サウジーネは自分が「良い顔をしている」だけだと自覚しているが、結果としてミキが一二三の目を引き付ける役をしていることについて、意識して考えないようにしていた。
それについて考えた結果、自分自身を嫌いになりそうだった。
「殊更“今回は”という言葉を使うあたり、また同じことを挑戦しようと考えているのですね?」
「すみません……」
「私に謝ることはありません。ただ、その子をどうするのです?」
それはミキが出発する前にも問うた事だった。
「片腕でどうするのですか。残った一本の腕で、その子をしっかり育てることが貴女の役目ではありませんか?」
サウジーネの言葉に、ミキは無言だった。
腕の中にいる自分の娘と向き合ったまま考え込んでいるらしいミキを見ていたサウジーネは、そっと立ち上がって部屋を後にした。
恐らく、ミキは再び一二三に挑戦するだろう。
そして、その結果は恐らく芳しいものでは無い。
「せめて、あの子だけはしっかり育つように手配をしましょう」
そう思いながらも、サウジーネはただ手をこまねいてミキの死を待つつもりも無かった。執務室へ戻った彼女は、王都に滞在しているはずのランスロット・ビロンを呼ぶように文官に命じる。
「私からの依頼があるので、至急ここへ来て下さるように伝えてください」
「はっ!」
急ぎ出ていく文官の背を見て、からサウジーネは白紙を手元に引き寄せ、命令書という表題を書き入れる。
「アプローチを変えましょう。私ではなく、ランスロットさんなら一二三さんと直接お話しできるでしょう。それも大きく考えればホーラント加盟の条件を果たすことにもなります」
☆★☆
二本の釵を構えたまま、ヴィーネは目の前で脱力したように自然な立ち姿を見せている一二三に向けて小さく息を吐いた。
「反撃はしないから、思い切りやってみせろ」
「わ、わかりました!」
一二三の言葉に応えたヴィーネは、初手から最速で真正面に突っ込んでいく。色々と考えたが、まずは今できる全力を見せることにした。
走るヴィーネは、その勢いのままで右手の釵を突き出す。
軽く右足を出した一二三にあっさりと避けられるが、そこまではヴィーネの予想通りだ。
「だあっ!」
右手を出した動きそのままに身体を捻り、右足で回し蹴りを放つ。
今まで見てきた一二三の戦い方であれば、この蹴りを利用して投げに持って行くか、逆に軸足を払って転ばせに来るはずだ。
だが、予想は外れた。
「おぅっ!?」
回し蹴りの為に向けたヴィーネの背中。振り上げた右足のひざ裏と腰を一二三の両手が軽く押した。
自分が突っ込んだ勢いがそのまま腰に響き、ヴィーネはたまらず息を吐く。
「……まだっ!」
押されたのが分かった瞬間、ヴィーネは自分から離れるように前へ飛ぶ。
くるりと身体を捻って改めて一二三の方を見ると、彼はその場から動いていなかった。
「ふぅ……」
「安心するな。実戦ならお前の背中を追いかけて斬り捨てていた」
その程度の速度でしかなかった、と一二三に指摘され、ヴィーネは自信を失くしそうになる。だが、目の前の人物は比較すら虚しい相手なのだと気を取り直した。
再び、ヴィーネは一二三に向かって走り始めた。
遠慮をする必要は無い、と思い切り一二三の腹部に向けて左手の釵を投げつけた。
素直に刺さってくれるとは思わないヴィーネは、投げた釵がどうなるかなど見もせずに、一二三の真正面で思い切り踏み切って、飛んだ。
投げた武器に視線を誘導し、尚且つ広い視野からも逃れるように相手を飛び越えるように飛ぶ、兎飛翔拳の技の一つだった。
陳腐な誘導策だが、自分を狙って飛んでくる武器に対処しないわけにはいかないうえ、左右では無く上へ逃れると視界から外れやすくなることもあって実用的な動きだった。
上から見下ろしたヴィーネは、一二三がその場にいるなら肩に手をかけて投げ飛ばし、移動するならそれに対応する斬撃を着地と同時に行うつもりだった。
一二三はその場を動かない。
「よし、それなら……ひえっ!?」
体勢を変えて一二三へと襲い掛かろうとしたヴィーネだったが、眼下で一二三の足が動いたかと思うと、投げた釵が蹴り飛ばされて真上のヴィーネへと襲い掛かった。
かろうじて顔の横を通り過ぎていったが、一歩間違えれば喉に突き刺さっている。
「わわわわっ」
自分の釵に驚いたヴィーネは、手足をばたつかせて攻撃どころでは無い状態で落下した。
それを、一二三は少しだけ立ち位置を変えただけで手も出さずに受け止める。
「うごっ!」
バランスを崩したまま落ちてきたヴィーネは、脇腹を一二三の肩に強かに打ち付けて、涙と鼻水を飛ばしながら錐もみで地面に激突する。
「終わりだな。動きは悪くないと言いたいが、自分が使っている武器が自分に向く可能性をもう少し考えるべきだったな」
「こ、攻撃しないって……」
「当てなかっただろうが。それにあれは、お前の攻撃を弾いただけだ」
落ちてきた釵を受け止めた一二三は、そのまま地面に突き刺して背を向けた。
「どうもまだ、身体が思うように動かんな」
「あれで、ですか……」
肋骨が折れていないことを確認しながら、釵を拾い上げたヴィーネは立ち上がった。
「結構頑丈だなぁ、お前」
「意外と強いんですよ。……もう一本、お願いしても良いですか?」
再び稽古を始めた二人を、子を抱えたオリガとウィルが見ていた。彼女たちは朝から行っていた魔法訓練の休憩中だ。
ティーセットが用意され、香りの良いお茶を楽しんでいる。
「獣人って、すごいのね」
「獣人族はその種族ごとに特性があります。ヴィーネは兎族の獣人ですから、全身のバネは強いのです。力は弱く、鋭い爪や牙は持っておりませんが、そこは武器を持つことでカバーできます」
他に、熊や虎など戦闘力の高い獣人がいることを説明するオリガの言葉を、ウィルは興味深げに聞いていた。
「それと、ウェパル……さんは魔人族だったわね」
「そうよ。魔人族は灰色の肌と尖った耳が特徴で、身体能力が高く平均的な魔力も高いわ」
背後からウェパルが声をかけると、ウィルは肩を震わせて驚いた。
「う、あ、ありがとう……」
「? 変な子ね」
ぎこちない反応を見せるウィルに首を傾げながら、椅子を一脚持ってこさせたウェパルは、一二三とヴィーネの訓練を見えるように椅子を向けて座る。
「カップを。お酒はワインじゃなくてシードルの方が良いわ」
「あまり飲みすぎると、明朝の出発に差し支えますよ?」
「だから軽いリンゴ酒にしたんじゃない」
ウェパルは、フェレスが急ぎ持ってきた酒をカップへ注ぎながらオリガの注意をさらりと流した。
再び転がされたヴィーネが、慌てて立ち上がるのが見える。
「頑張ってるわね」
「明日からのイメラリア共和国行きではヴィーネが夫の警備責任者となるのです。礼儀作法もそうですが、強さは重要です」
「そんなもの、一二三……さんに必要かしら?」
呼び捨てにしかけたウィルは、隣から感じる圧力に慌てて“さん”を付け足す。
「これもヴィーネのためです。それに今後、魔国は主人を王として対外的な動きを加速させることが決まりました。軍事的な計画を立てるためにも、軍の強化に加えてそれぞれの戦力を把握するのは必須事項です」
「ふぅん」
オリガの説明を聞いたウィルは「また何かやるのか」と他人事のように気楽な返事を返した。
「あら、随分と暢気に構えているのね」
「う……だって、一二三さんはいつも戦っているし、別にあたしには関係無いし」
ウィルはちらちらとウェパルを見ながら答えた。彼女は初対面の時からウェパルが苦手だった。大人の女性の雰囲気で何か言われることに慣れていないこともあるが、何より魔人族という存在に慣れていない。
ヴィーネについては基本的に低姿勢で明るいので、ウィルは城のメンバーの中では一番付き合いやすい相手だと思っている。オリガは論外で、態度も目線も魔法の才能も雰囲気も、とにかく怖い。
「あら、聞かされてなかったの?」
「そう言えば、私からもまだ伝えておりませんでしたね」
互いに顔を見合わせたオリガとウェパル。
不穏な空気を感じたウィルは、慌てて「研究が」と言って立ち上がりかけたが、逃げ遅れた。
「ウィルさん。この世界のことを知るのに良い機会ですから、明日からの外遊に貴女にも同行してもらいます」
「い、嫌よ! 一二三と一緒に移動なんて絶対トラブルになるし、あたしに何にも得が無いじゃない!」
魔導陣の研究も続けたいし、魔法の訓練も楽しくなってきたところだと主張するウィルに、オリガは腕の中の赤子をあやしながら涼しい顔で返した。
「移動中でも研究はできるように手配していますから、安心してください」
列車移動のために専用車両を数両用意しており、うち一両をウィルが自由に使って良いことにしているとウェパルが説明し、オリガは有無を言わさぬ目線でウィルの口を封じた。
「ウィル。貴女には出先でも重要な役割があります。一二三様のお役にたてることを喜び、大人しく旅支度をしておきなさい」
翌朝、新たな国イメラリア共和国の建国式典へ向けて、魔王一行が専用列車にて出発する。元の世界に戻りたいと呟くウィルも乗せて。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。




