110.彼女の目的
110話目です。
よろしくお願いします。
「だ、大丈夫でしょうか?」
ウェパルと共に観戦していたフェレスは、勇者ミキの登場でそわそわとし始めた。
だが、声をかけられたウェパルの方はほろ酔いのままで椅子にゆったりと腰かけたままで、小さなあくびをするほどにリラックスしている。
「落ち着きなさい。二人いる勇者のうち、女性の方はこれといった攻撃能力を持っていないはずよ」
そうは言いながらも、ウェパルは疑問を感じていた。
彼女が知る限り、勇者ミキの能力は防御障壁と転移の能力を有した完全支援型の魔法使いだったはずだ。それなのに、今は堂々と一二三の目の前にいる。
「……とにかく見ておきましょう。これで一二三が死ぬならそれはそれで……彼にとっては良いことでしょうし」
フェレスが驚いた視線を向けたが、ウェパルは変わらず会場を見ていた。その目はわずかに酔いを思わせる赤みを帯びながらも、かなり真剣であった。
「ただ、順当にいけば勇者が破れて終わりね。おとぎ話はお話の中だけは綺麗だけれど、実際に目にするならば血を見ずに済むはずが無いもの」
ウェパルの言葉に、フェレスはつばを飲み込んで会場へと向き直った。
☆★☆
一二三は右手でだらりと刀を提げもっており、上半身は見た限り無防備に見える姿勢のままミキに対して距離を詰め始めた。
その背後を誰かが襲い、槍による刺突を試みる。
しかし、一二三はミキを見たままで一歩前に出ることで槍の穂先をギリギリで躱し、身体だけを動かして背後の敵を斬った。
敵の頸動脈が断ち切られ血しぶきが周囲に撒き散らされる中、一二三の歩みは変わらないように見えたが、不意にその足が止まった。
「……うん?」
停止したところに飛んできた矢を叩き落としながら、一二三は首をかしげる。
「どこか、印象が違うな」
「それは、自分で確認してください」
ミキの方から、始めて一二三へと近付いた。
かと思うと、瞬時にその姿が消える。
「転移魔法は健在か」
一二三はその場からスライドするように移動しつつ、新たな気配が生まれる瞬間を探り始めた。
しかし、何も捕えられない。
「おっ!?」
背後に不意に何かの感触を感じ取り、一二三は反射的に前方へ飛んだ。
「っ! あれが当たらないなんて、どんな反射してるのよ!」
「いやいや、驚いた。まるでお前の出現を感じ取れなかったんだが」
振り向き、ナイフを持って立っているミキを確認した一二三は、苦笑いをしながら刀を正眼に構えた。
鼻から息を吸って、薄く開いた口から吐く。身体中を新たな空気が血の匂いと共に駆け巡るのを感じながらリラックスすると、ミキの動きについて考える。
「目の前にいるのに、何か隔たりのようなものを感じる」
刀の切っ先をゆらゆらと揺らしながら呟く一二三に、ミキは無言のままだった。
「それで終わりか?」
「終わりなわけがないでしょう」
再び、ミキの姿が消える。
「おわっ!?」
一二三の左方向から声が聞こえたかと思うと、一人の男がたたらを踏んで迫ってくる。
瞬間、斬り捨てるつもりで刀を八相に振りかぶった一二三だったが、中断して左手を伸ばした。
迫ってきた男の襟首を掴み、自分との位置を入れ替える。
「ううっ……!」
さらに勢いをつけて走らされた男は、正面に現れたミキのナイフに貫かれた。
「っ!? ……まだっ!」
殺した相手が一二三では無かったことに驚いた様子を見せたミキだったが、短く息を吐いて再び姿を消す。
その様子に、一二三は彼女の成長を見た。
人を殺したことを、それも自分が利用した結果殺してしまったことを然程重大事だと考えていないようだからだ。
「なるほど、なるほど」
呟いた一二三の背後で、カン、という軽い金属音が響いた。
一二三は視線だけを瞬時に向けて、それが銀貨が一枚床を跳ねた音だと知ると同時に斜め前に動いている。
「あっ!?」
一二三の眼前に現れたミキは、一二三の姿が目の前に有ることに驚きの表情を見せた。
「ふっ!」
息を吐き、左から右へ刀の一閃が奔る。
狙うはミキの首だった。
「うっ……!」
ミキは一二三の剣速に対応できない。転移も間に合わないのか、その場で目を強く目を閉じた。
こいつの覚悟はその程度か、と失望を感じながらも一二三は手を緩めるような真似はしない。
「……ああ?」
刀を握る手に手ごたえは感じたものの、それはまるで硬いガラスでも叩いたかのような感触だった。
「……ふぅ。実際に試したのは初めてだけれど、本当に肝が冷える」
血の気が引いた顔をしながらも、ミキは額に大粒の汗を流して笑みを浮かべる。
「障壁か」
「そうよ。私の身体全体が薄い魔力の障壁で包まれているの。空気や水は通すけれど、それ以外は一切通さない」
「ちっ。そういえばそうだったな」
一二三はとんとんと軽いステップで距離を取ると、自分の刀をちらりと見遣る。
この世界へ転移する前、日本にいた頃から愛用している刀だ。師匠から貰い、何年も自分の手同様に扱えるほど習熟するまでに使い続けている。
「あの時、ユウちゃんの身体を使った何かがあなたの力を奪ったのは知っている。その後の戦いで、刀が曲がったことも聞いた。とすれば、それはもう普通の刀に戻っているんじゃないかと思ったんだけれど……」
以前の邂逅で、ミキは一二三の刀によって障壁を斬り裂かれたことがある。しかし、一二三の弱体化を目の当たりにしたミキは、出産前後に自分の心を取り戻していくなかで辛い記憶とも向き合い、その可能性に思い至った。
「貴方が強いのは認める。でも、もう私が届かないところにいるわけじゃない……!」
そして、ミキは子供のため、快く子供を預かってくれたホーラント女王守ると決めた。ランスロットから元の世界へ戻る魔法について知らされたことで、その気持ちは行動へと繋がる。
「元の世界へ戻る術を見つけたと聞きました」
「そうだな。その可能性までは見つけた」
一二三が言う“可能性”はウィルのことだ。
当人であるウィルは観戦場所で「やばくない? 逃げた方が良くない?」と狼狽えてオリガに張り手をくらっている。
「……良かった。間に合ったということね」
ミキはナイフを握りしめ、一二三をまっすぐに見つめる。
「貴方を殺して、貴方や貴方の同調者たちが私たちの世界へ向かうことを止める。それが私が自分で決めた、勇者としてこの世界に貢献できる役割よ」
「そうか。そういう事か」
一二三はうんうん、と頷いて納得していた。
殺人に対する忌避感が薄れたことなど、雰囲気が変わって見えたのはミキが明確な使命と価値観を得たことに因るものなのだろう。
「であれば、思う存分殺し合いができるというわけだ」
「最初は話し合いをするつもりだったのだけれど……魔国に向かっている間にこの大会の話を聞いて、実際に来て説明を聞いて、改めて分かった」
再び、音も無くミキの姿が消える。
一二三は、今度は動かずに攻撃を待った。
その背後。それも一二三を見下ろす位置に転移したミキは、逆手に持ったナイフを一二三の頭部へと振り下ろした。
「……ひっ!?」
刃が当たる直前だった。ぐるり、と一二三の頭が動き、大きく開かれた目がミキを真下から見上げる。
頭頂部を狙っていた刃が、眉間へ触れたかと思うと、ナイフに押し込まれるようにして一二三の頭部が遠ざかる。
「えっ?」
ミキの視界で奇妙な光景が展開され、状況が分からないまま振り下ろしたナイフは、結局一二三に傷をつけることはなかった。
一二三の姿勢は、その場で宙返りをしたような格好になっている。
頭が下がった分、蹴り上げた足は上部へ向いていて、ナイフを握るミキの首をがっちりと捕えた。
「あっ!?」
ミキが声を上げた直後、彼女の頸椎を捻り折らんとする勢いで振り回され、地面へと叩きつけられた。
わずかに首を痛めながらも、体表面に展開していた障壁を硬化させることで骨折と大きなダメージを免れ、ミキはそのまま固まった身体を転がして距離を取った。
「厄介だな」
一二三は刀を腰の鞘へ納めると、ミキが立ち上がるのを待っていた。
すでに他の参加者たちは遠巻きに見ているばかりだ。
「攻撃が……」
ミキは気配すら遮断できる魔力障壁に自信を持っていたが、攻撃が触れる感触までは隠せない。さらにいえば、先のように一二三は殺気を気取る。生半可な攻撃は当たる以前に対応されてしまうのだ。
防御は完璧。しかし攻撃の手段が無い。
「終わりか。ならこっちから行くぞ」
「貴方の攻撃は、通じません!」
ミキは吠えたが、厳密には通じている。先ほど捻った首が痛むのを感じながら、一二三の行動を注視した。
自在に硬化できると言っても、迂闊にやると自分の動きを制限してしまうのだ。斬撃や打撃よりも、今のミキには関節技の方が怖い。
そう思って構えていたミキだったが、一二三の攻撃は打撃だった。
「あうっ!?」
ミキは危機を感じたら転移するつもりでいたが、間に合わない。
鞭のようにしなった一二三の両手がミキの耳を激しく叩き、鼓膜を破った。血を流しながらよろめいたミキは三半規管にも衝撃を受け、一時的に平衡感覚を失う。
音を聞くために硬化させずにいた耳周辺の障壁が、激しい空気の波を音として伝えてしまったのだ。
「て、転移を……」
しかし、転移先を認識しようにも視界が揺れて思考もまとまらない。
焦るミキの手を、一二三がガッチリと掴んだ。
「触れていたら、転移で逃げることは出来ないな」
手首を捻り上げる動きで、連動している肩を外し、肘を折る。
突然の痛みに、ミキは大粒の汗が顔中に噴き出すのを感じながらも声を上げずに一二三を睨みつけた。
痛みに跪いたまま見上げたことで、上空が視界に入る。
「……掴んでいるなら!」
「おっ」
一二三の言葉をその場に残して、ミキは彼を連れて三十メートルほどの高さへ転移した。場所はでたらめだが、一二三を落とせるなら場所はどこでも良い。
「おっと。転移の感覚はどのパターンでも似ているな」
「このまま落下すれば、貴方でもただじゃ済まないはずよ」
ミキは一二三の言葉が聞こえていない。互いに好き勝手な言葉を吐いている間に落下が始まる。
「この程度じゃあな」
数秒もかからず地面へと落下しはじめた二人。
掴んでいた腕を離し、ミキ蹴り飛ばして離れようとする一二三を、ミキは必死の形相で掴み返した。
「道連れ……いえ、貴方だけ潰れるのよ」
両耳から血を流し、一二三を見る瞳は狂気を帯びている。
まるで恋人を抱く様に両手を使って一二三の胴にしがみ付いたミキは、その格好のままで障壁を硬化させた。
「……落下の衝撃は、障壁がほとんど吸収してくれる。でも、生身の貴方はそうはいかないでしょ」
ミキの言葉の終わり際、一二三の身体を下にして二人は地面へと墜落した。
押し固めた土の上に落ちるのを見て、誰かが悲鳴を上げる。それはヴィーネであり、観衆の誰かでもある。
「終わった……?」
両手を広げ、地面に大の字になっている一二三を見下ろしたミキは、目を見開いたまま動かない顔を確認して呟く。
「これで、平和が……ひっ!?」
硬化を解いたミキが立ち上がろうとすると、その左腕を一二三の右手が掴んだ。
「い、生きてる? なんで、どうして……」
頭部から血を流し、目元からも赤い液体を滴らせながらも動いている一二三は、全身を耐えがたいほどの痛みが走っているはずだが、その顔は笑っている。
「やってくれたな……」
「は、離して!」
化物でも見たかのように半狂乱で暴れるミキはむちゃくちゃに一二三の腹や足を蹴り、右手のナイフを振るう。
どん、と何かを貫く手ごたえがした。
「ふぅ……痛みも限度を超えると大した制限にはならないな。もっとも、左手は始めから痛みを感じないが」
「何を考えているの……」
一二三は手袋をつけた左手をナイフに貫かせると、手首を捻って奪い取る。
「礼を言っておこう。ここまで俺を追い詰めた奴は久しぶりだ」
ナイフを放り捨てた左手が、穴が開いていることなどまるで関係がないかのように、ゆっくりとミキの顔へと迫る。
「や、やめて……」
「今さら、遅い」
ミキは掴まれている左手を懸命に動かすが、一二三の手ががっちりと掴んで離さない。
眼前に、一二三の手が大きく映ったとき、ミキはあることを思いつき、即座に実行した。
「おっ?」
ミキの身体が、一二三の拘束を逃れて離れたのを見たとき、一二三は自分の右手が掴んでいる物を見た。
そこには、前腕から先が残っている。
障壁を使って無理やり自分の腕を切断したのだ。当然初めての挑戦で可能か否かは不明だったが、薄い障壁は想像以上に切れ味が良かった。
「……絶対に、貴方を止める。絶対に……!」
熱に浮かされたように呟くミキ。彼女が失った左手からは出血が見られない。障壁で傷口を押えているのだ。
「思い切ったことをやる……って、待て、おい!」
一二三が踏み出した右足は折れていた。
よろめいて膝を突いた一二三の目の前で、ミキの姿は消えた。
そして数十秒。待てど暮らせどミキは現れない。
「あ、あ……あいつ! 逃げたな!」
震えながら、一二三の左手が地面を殴りつけた。
「これからが楽しい所じゃねぇか! どっちがいつ死ぬかわからない状況で、使える手が限られて、お互いに五感すら制限され始めてからが本番だろうが!」
呆然とする参加者や観衆の目の前でひとしきり叫び声を上げた一二三は、荒くなった呼吸を整え、周囲を見回した。
「……かかって来い」
生き残っている参加者たちは、まだ五十名はいる。その誰もが顔を見合わせ、見ただけで満身創痍とわかる一二三に対して動こうとしない。
「どうした。さっさとかかって来い。メインディッシュが目の前で消えたんだ。お前らで我慢してやる」
挑発は覿面だった。
審判として見ている者たちは誰も中止や中断を言いださない。とすれば、今目の前で大怪我を負っている王を殺せば、自分が王に成れるのだ。
「う、うおおおお!」
誰かが駆け出し、それに続いて他の参加者たちも攻撃を始めた。
居住まいをただし、正座で待つ一二三は大きなため息をついた。
抜き打ちの刀が、三人を纏めて切断する。
「虫の居所が悪いんだ。お前らは逃げるなよ?」
それから三十分ほど経って、参加者たちは残らず殺された。
逃亡して失格となったミキを除いて。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。