09,ハイブリッド伝説
引き続きプチセレモデルのマイです。
ぶっちゃけわたしクラスのモデルはギャラもどうってことなくて、毎月金欠に喘いでいるのよね、南の島のバカンスなんて夢のようよ。
で、カヌレに釣られておしゃれなパーラーでこの勘違いメタボップおじさんと向かい合っているんだけど……こんなところを撮られて「愛人と密会」なんて焦点されたらたまったもんじゃないわね。でもま、おじさんがあのミセス・ビッキーの料理番であるのは本当みたい。コック姿でいっしょに写ってる写真見せられたから。
そうそう、前回のサブタイトル、「探偵助手登場」? それってわたしのこと? じゃあこのぶっちゃいくなおじさんが探偵なわけ? ちょっとやだな。
カヌレは絶品よ。
「ミセス・ビッキーはあの『真珠輝』にたいへん興味を抱いておる。あの『真珠輝』には謎が多い。その謎を解く鍵としてCMのモデル、ユイに目を付けたのだが、彼女は『真珠輝』の社長の実の娘なのだな? ますますもって興味深い」
「モグモグ。で、おじさん? わたしに訊きたいことって?」
「すなわちそのユイのことである。君の目から見て何か気づいたことはないであるか? なんでもよいぞ?」
「モグモグゴックン。お代わりいい?」
「いくらでもいいぞ。わしは金持ちだからの。ぐへへ。しかし、モデルのお嬢さんが甘い物をバクバク食ってもいいのであるか?」
「わたし毎朝通勤快速だから平気よ。いくら食べても太らない体質なの」
「そりゃいいの。どうぞ、じゃあ好きなだけ食べるがよい」
「ラッキー」
わたしはベルを鳴らしてケーキを二つ追加し、マンダリンのお代わりをもらった。
「で? 白金ユイというのはどんな娘であるか?」
「ヘビ」
「蛇?」
「そうよ」
わたしは普段高くて手が出ないマンデリンを味わい、幸せ気分の上機嫌で教えてやった。
「あの娘はへび女よ。あのぬめぬめした白い肌と青臭い臭いがその証拠。カノンってレズのパートナーも同じ肌、臭いの仲間にされちゃったから、へび女は感染するのね。そのうち脱皮するわよ」
「ぐへへ。面白いことを言う娘だの」
ブッチ・熊田はげへげへカエルみたいに笑った。こいつが目の前にいなければスイーツもコーヒーも200パーセント増しで美味しいことだろう。
「信じないんだ?」
ま、どうせこっちも冗談だけど。
「いや。わしも蛇には心当たりがある。面白い符号だの」
ブッチ・熊田はんべっと舌を出した。
「わひの舌は特別で、あらゆる味覚を99パーセントの確率できき分けることが出来る」
ブッチ・熊田の舌は大小のぶつぶつだらけで……ゲロゲロ〜〜、一気に食欲が失せた。
「早くそのグロテスクな物を引っ込めて!」
「ぐへへ、失礼」
引っ込めた。さっさと会談を打ち切って追い返そう。しかしどうやらブッチはじっくり腰を落ち着けるつもりらしく話し出した。
「わしの舌によると『真珠輝』にはは虫類の臭みが混じっておるが、あの青臭さはやはり蛇であろう。
へび女というのは面白い。古来より世界中に動物と人間の異種交配の伝説は多くある」
「異種交配?」
わたしもその手の話は好物なのでつい乗ってしまった。
「鶴の恩返しとか?」
「そうそう、それである。鶴が人間の女になって男の嫁になるのだな。南総里見八犬伝も犬がお姫様に懸想するのが元々の発端だの。浦島太郎も昔は乙姫自身が太郎に助けられた亀であったのだ」
「へえー、乙姫って亀姫だったんだあ?」
「そうである。海の話では蛤女房というのもある」
「はまぐり女房?」
「そうである。まあ浦島太郎の亜流であろうが、漁師が大きな蛤を捕るが、せっかくここまで育った物を食べてしまうのはかわいそうだと海に戻してやるのだ」
「アハハ、食べちゃえよー」
「その夜美しい女が訪ねてきて自分を嫁にしてくれと言うのである」
「いきなりだなー。家出少女か?」
「漁師が女を嫁にすると嫁は実に美味い味噌汁を作るのであるが、その味噌汁を作っているところは決して覗いてはいけないのである」
「アハハ、味噌汁だってえ、すでに笑えるー」
「男は我慢できずに美味い味噌汁の秘密を覗いてしまうのであるが、なんと嫁は鍋の上にまたがって小便を注いでいるのである。蛤女房の小便出汁が美味い味噌汁の秘密だったのである。怒った漁師は嫁を追い出すのである」
「ギャハハハハハ。なになに?女房さんは大っきな蛤になって泣きながら出ていくの?」
「浜辺で蛤に変身して海に帰っていくのである」
「あー可笑しい。絶対作者ギャグで書いてるよー」
「羽衣伝説は天女が地上の男と結婚して子を残すバージョンがあるが、天女は白鳥として登場するからこれも異種交配の話なのである。ちなみにギリシャ神話では大神ゼウスが白鳥に変身して人妻を誘惑して卵を産ませるのである」
「ゲロゲロ〜。ヘンタイぽーい」
「有名な安倍晴明の母親は白狐である。人間の男の妻になる動物としてはキツネもメジャーであるが、蛇もメジャーである」
「蛇?」
わたしはつい身を乗り出してしまった。
「そうである。へび女房という話がある。助けた蛇が人間の美人になって嫁に来るのは毎度お馴染みのパターンである。これは子供を産むが、見るなと言われた部屋を覗いてしまい、蛇の正体がばれて出ていくのも同じである。しかしこの蛇は赤ん坊を残していくのであるが、赤ん坊が泣いたらしゃぶらせてくれと玉を置いていくのだ。赤ん坊はこの玉をしゃぶってすくすく育っていくのだが、この噂を聞いた殿様にその玉を取り上げられてしまう。赤ん坊が泣いて仕方ない男は蛇の住む池に嫁を訪ねていくのだが、現れた蛇女房はもう一つ玉を寄こす。赤ん坊はまたこれをしゃぶって育っていくのであるが、二つ目の玉も殿様に取り上げられてしまう。再び池を訪ねた男はことの次第を女房に話すが、実は二つの玉は蛇の目玉であったのだ。二つとも目玉をあげてしまった蛇にはもう我が子に与えてやれる玉がない。怒った蛇は大蛇となって暴れ、池から大水を起こし、殿様の住む城を押し流してしまうのである」
「ふーん。なんかいい人っぽいじゃない、へび」
「そうであるな。しかしこれは異種交配の話なのである。蛇はは虫類だから産むのは本来卵なのである。マムシなどは卵胎生で胎内で卵をふ化させて赤ちゃん蛇を産むし、種類によっては胎盤もあって蛇はは虫類の中ではほ乳類に近いのである。しかしやはりほ乳類ではないからおっぱいは出ないのである。代わりに目玉をしゃぶらせるというのはなかなかグロテスクなのである」
「なーる。やっぱりゲロゲロ〜」
ま、話は面白いがしょせん昔話の世界だ。
「でもさー、現実に蛇と人間がエッチしても子どもは産まれないでしょう?」
「可能性が全くないわけではない」
「え〜〜? うっそおー?」
「この世にはほ乳類とは虫類のハイブリッドの人間がいるのである。
地球に来ている宇宙人の中には虫類から進化したは虫類星人がいるのである。彼らは地球に自分たちは虫類の遺伝子を定着させるため人間との間に地球人とは虫類星人の両方の遺伝子を持つほ乳類とは虫類のハイブリッド人間を生み出したのである。は虫類の遺伝子を持つハイブリッド人間が蛇と交われば、両者の間に子どもが産まれるかもなのである」
「アハハ、おじさんも好きだなあ? それってアメリカのSFドラマの話でしょう?」
大まじめだったブッチの顔がニヤリと笑った。
「分からんぞう? 人間は自分が思っているほど賢い物じゃないである。人間の常識など、グレートワールドの中ではちんけな物なのである」
「ふーん。おじさんてマジ面白い人だね? お付き合いするのはNGだけど」
「あらら、である。わしもストライクゾーンは28歳から37歳であるから小娘には欲情しないのである」
「よかった。じゃあ安心してパートナーシップが結べるわね?」
「買収成功であるか? 嬉しいである」
「白金ユイを観察すればいいんでしょ? いいけど。でもなんでわたしに目を付けたの?」
「わしも人を見る目は自信あるである。あなたは能ある鷹である。……鷹は蛇の数少ない天敵である。実に頼もしいのである」
「お褒めに与り光栄よ。ミセス・ビッキーにばっちり報告しておいてね? じゃ、美味しくケーキを食べたいから帰って」
ブッチはおやおやとない首をすくめて、財布から1万円札2枚と名刺を出してテーブルを滑らせた。
「とりあえず前金である。その番号に報告するである。いい情報にはたっぷり礼を弾むである」
「ありがと。いいお小遣い稼ぎが出来そうだわ」
「よろしくである」
ブッチは立ち上がり、軽くお辞儀して、注文票を持って出ていった。わたしは2万円丸儲けかとほくそ笑んだ。
ブッチ・熊田。このわたしの隠した爪に目を付けるとは、なかなか侮れない相手だわ。真珠輝と栄美丸本舗、会社の規模を比べれば圧倒的に栄美丸本舗が上だもんね。付くならこっちよ。わたし、美白には興味ないのよね、元が真っ白だから。日焼けだけ気を付けなくちゃ。火事になっちゃうから。
パーラーを出たわたしは帽子屋さんに寄って赤いベレー帽を奮発した。まあわたしったら、完璧かわいく似合うじゃない!
ベレー帽は美少女探偵助手のステイタスである。あ、おじさんの口調が移っちゃった、気を付けなくちゃ。
あの楳図かずお先生に魔子という美人の妹がいることをご存じかしら? 今は愉快なウーリーを探せの楳図おじさまも、バリバリ恐怖マンガを描いていた若い頃は超かっこいい美青年だったのよ?マンガの中でだけれど。「うろこの顔」はゲロゲロ気持ち悪い名作だから参考書としてお勧めするわ。
わたしは自宅のアパートに帰ってきた。某警察鉄道(ボケが分かりづらいかしら?)沿線のベッドタウンにあるリーズナブルな2階建てアパートよ。誰かさんみたいな「リオパレス12」なんて夢のまた夢ね。
すっかり遅くなっちゃって、時刻は夜9時を回っている。電車の中でやけに視線を感じると思ったら、窓ガラスを鏡になかなか美麗なOLのお姉さんが妖しい微笑を浮かべて色目を送っていたわ。思わず誘いに乗っちゃおうかと思っちゃったわよ。ちょっとわたしも変にハイになっちゃってるわね、気を付けよう。いやあ、それにしても、類は友を見抜くのね。また会いたいわ。
変質者の噂があるからわたしは夜道では常に「電撃アラーム サンダーアウチ」を握りしめている。お尻の紐を引っ張るとスティック型の小型ボディーからは想像も付かないけたたましいアラーム音が鳴り響き、出力は弱いがスタンガンとしても使える優れ物だ。用心深いわたしは万が一不届きな犯人に奪われてしまわないように紐の端を腰のベルトにつないでいる。気づかずに奪ったりしようものなら自分で紐を引いてアラームを鳴らすことになるのだ。ただし、たまたま通りかかった友人に「あら、マイちゃん」なんて声をかけられてうっかりにこやかに振り返ってその動きのままに手を上げてしまったりした日には自分でアラームを鳴らしてしまって目も当てられない惨状を作り出してしまうが。幸いわたしにはそういうお友だちはいないから平気だけれどさ。
アパートに到着し、外の階段を上がり、自分の202号室の前に立ち、慎重に左右を見渡し不審者が隠れていたりしないことを確認すると、ドアノブの鍵穴にキーを差し込んだ。
カン。
ん?とわたしは振り返った。今上ってきた階段から、誰かが鉄のステップに上がった音がした。わたしは静かにキーを回し、鍵を開けた。キーを抜き、そうっと音を立てないようにノブを回し、ドアを引いた。
カン。
また音がして、かすかに、ズルズル、と布を引きずる音が聞こえた。わたしは女の死体を詰めた袋を引きずって階段を上がってくる不審者の男を想像した。根拠はないけど。
カン。…………ズルズル。
また音がしたが、妙に間隔が開く。わたしはいつでも部屋に逃げ込める体勢を取りながら耳を澄ませた。
間隔が開いてやたらゆっくりだが、確実に何者かが階段を上がってきている。わたしはすぐさまバタンとドアを閉められるように玄関に身を潜め、ノブを握りしめながら、隙間から階段の方を窺っていた。通路は電灯がともって明るいが、手すりの向こう側は閑静な住宅が夜の黒の下、灰色にたたずんでいるばかり。
カン。
音の正体が分かった。それは靴ではなく、手だった。じっと見つめる壁の陰から真っ白な手が、振り下ろされ、「カン」と、鉄の床板を叩いた。ズルズル。床に張り付いた手で引っ張られて、真っ白な顔がぬっと現れ、くわっと血走った目がわたしを見た。