10,這いずる白い顔
きゃあああああああああああああ!
とは、わたしは悲鳴を上げなかった。相手が弱って瀕死の体であるのが見て取れたからだ。自分に害が及ばないとなれば落ち着いたものだ。
しかしながら必死に助けを求める彼女の後ろからぬっと包丁握った変質者が現れないとも限らないので用心は怠らず、わたしは左手にサンダーアウチを、右手に雨傘をフェンシングの要領で構え、慎重に近づいていった。
ガチャッと向かいの家の玄関ドアが開いた。家人がギョッとした顔を上げる。奥さん奥さん、夜のゴミ出しは御法度ですぜ? ちょうどいいから訊いてみる。
「階段に変な人いません? あ、この人はいいですから」
「いえ。いないけど……」
「そうですか」
わたしは安心してフェンシングの構えを解いた。念のためひょいと階段を覗き、確かに変質者の類のいないことを確認し、
「すみませんが救急車を呼んでいただけませんか?」
頼むと、
「分かりました」
と奥さんはゴミ袋を持って引っ込んだ。ゴミ出しの件はわたしの心の内にしまっておくからどうぞご安心を。
さて、わたしはようやく手をわなわな震わせて助けを求めている彼女の下へにしゃがんで顔を覗き込んだ。
「だいじょうぶ?」
この真っ白で唇が紫色の、プールで長く遊びすぎた小学生みたいな顔はとうてい大丈夫には見えない。寒くてたまらないように唇をブルブル震わせている。しかし、謎だ。なんでこの人がわたしのアパートにいる? しかもわたしが帰宅したのを狙い澄ました絶好のタイミングで「呪●」の伽●子ばりのどっきり恐怖シーンの登場をする?
訊ねても震えるばかりで答えられない。
さて問題です。この白い顔の人は誰でしょう? あんまり引っ張ると飽きられるので発表しますね、答えは
「カグヤさん」
です。病的に顔が真っ白なのは元々なんだけど、この血走った目は尋常じゃないわ。
「どうしたんです?」
どうせ答えられないので額に手を当ててみる。冷たい。これ、本格的にやばいわ。
わたしは当てずっぽうで訊いてみた。
「どこを噛まれたの? 目で教えて?」
血走った目がギョロッ、ギョロッ、と動く。わたしは彼女のスカートからにょっきり伸びた真っ白な脚をここぞとばかりに触りまくった。別に触る必要はないのだが、わたしの趣味だ。当てずっぽうが正解。触るまでもなく右のふくらはぎが真っ青に腫れて、中心にポツポツと2つ点が並んでいる。
「しっかりしてね」
と、わたしは彼女の右脚をスカートの下に両手を入れて太ももから下へぎゅっと絞り下ろした。エッチでやってるのではない、少しでも毒が回るのを防ぐためである。いわゆる役得。
ガチャッと玄関ドアが開いて、奥さんと、旦那さんも現れた。
「あの、119番しましたけど、どういう容態かって?」
と、電話の子機を掲げた。まだつながっているのだろう。
「毒蛇に噛まれたようです。体温が著しく低下して危険なようです」
「毒蛇に噛まれたんですって。ええ、そう言ってますよ。はい。あの、蛇の種類は?って」
「どんな蛇に噛まれたか分かる?」
わたしは一応カグヤに訊いてみたが、震えながら首を振った。
「分かりません」
「分かりませんって。はい」
とか言ってるうちに救急車のサイレンが迫ってきた。日本の救急隊は本当に優秀だ。ご苦労様です。
古い住宅街の狭い路地を救急車がやってきて、止まると、救急隊員がまず一人飛び出してきた。ご近所さんも何事かと不安そうな顔を出して、ボケをかましている雰囲気ではなくなったのでわたしは駆けつけた救急隊員のお兄さんにカグヤを任せることにしよう。
「毒蛇に噛まれたんですか?」
わたしが押さえている右脚を見て、
「ああ、なるほど。蛇のようですね」
と、わたしからカグヤを引き継いで、用意してきたゴムチューブでカグヤの太ももを縛り上げた。まあわたしの処置は間違ってなかったのだろう。蛇に噛まれたときは噛まれた箇所を心臓より下にして安静にし、速やかに医療機関に掛かるのが鉄則よ。
カグヤは担架に載せられ下へ運ばれ、救急車に乗せられた。「お知り合いですか?」と訊かれ、友人として同乗する。その前にわたしは彼女が潜んでいたと見当を付けた101号室の窓側に行き、彼女のバッグを見つけて持ってきた。いつも帰りの遅い若いサラリーマンが住んでいるらしい101号室の窓の下は、塀との間に雑草がぼうぼう生えていて、まだ蛇が潜んでいるのではないかとちょっと怖かった。ストーリー展開上わたしまで噛まれるということはないだろうが。
救急車に同乗したわたしは隊員が受け入れ先の連絡を行っているのを後目にカグヤの携帯電話を調べていた。あった。登録されている番号を選び、わたしは電話した。
『もしもし?』
ユイが出た。
「もしもし、わたし、マイ」
『え? マイ…さん?』
「人造人間2号よ」
『それは知ってるわ、ってことじゃないんだけど。あれ? カグヤさんの電話でしょう?』
「ええ。そのカグヤさんが、蛇に噛まれて瀕死の重体なの」
『まあ! 大丈夫?』
「大丈夫じゃないのよ。噛んだ蛇の種類が必要なの。ユイちゃん、長崎の人でしょ? 本土にいる強力な毒蛇、心当たりない?」
一般的な長崎県人が毒蛇に詳しいとは思わないが、わたしは彼女が答えることを期待した。
『具体的な容態は?』
「超低体温」
『噛み傷は腫れてる?』
「うん。すごく。真っ青になってる」
『じゃあマムシね。マムシの血清なら大きい病院ならたいていどこでも置いてあるから大丈夫でしょう。命を落とすことはないと思うけど、舐めてかかると最悪失明したり脚を切り落とさなくてはならないことになりかねないから気を付けてね?』
わたしはユイの冷静な解説にゾッと寒気が走った。
「今救急車で隊員の人が診てくれてるから大丈夫だと思うけど……」
『そう。それなら安心ね』
ユイの笑ったような声にゾオ〜ッとした。
「ユイちゃんは今どこにいるの?」
『うん? 家の近所よ? コンビニにお買い物』
わたしは耳を澄ましたが周囲の音は聞こえてこなかった。
「ユイちゃんも夜道は気を付けてね? 変質者が出るって噂だから」
笑う息づかいが耳に響いた。
『わたしは平気。実は基本夜行性なの。暗闇でも鼻が利くのよ?なーんちゃって』
笑いのセンスないわね。
『わたしより、マイさんも気を付けてね? 蛇って、どこに潜んでるか分からないから』
「うん。ご忠告ありがとう」
『どういたしまして。マイさんとお話しできてよかったわ。またゆっくり、仲良くしましょうね?』
「うん。わたしもユイちゃんと仲良しになりたいなってずっと思ってたのよ?」
『ほんと? 嬉しいなあ。じゃあ今度、ゆっくり』
「うん。ありがとう。それじゃあ」
『はーい。カグヤさん、お大事に』
わたしは電話を切った。
わたしはカグヤさんを嫌いではない。少々おつむの軽いところがあるが、年上ながら女の子としてかわいいものだ。わたしは基本平和主義者で自分に敵対しない者には寛容だ。このシナリオを書いた者がカグヤをわざわざわたしのアパートで襲ったのはわたしに対する警告だろう。ブッチ・熊田と会った直後にこれだ、わたしの動きは敵の監視の下にあると考えてよいだろう。イコール、ブッチ・熊田の存在も敵には感知されているわけだ。
恐るべし…………。
苦しむカグヤを前におちゃらけていたのだって本心は心臓バグバグ怖くてしょうがなかったのだ。わたしだって人の子だ、得体の知れない敵を前にして怖くないわけがない。
「頑張ってね、カグヤさん。きっと助かるから」
わたしはガクガク震え続けるカグヤの左脚に手を当てて応援のエナジーを送った。電話でユイの言ったことは正しいだろう。マムシはポピュラーな蛇だからわざわざ救急隊員さんに言って余計な先入観を与えることもないだろうから黙っておく。敵にはカグヤを殺すまでの意志はないと思いたい。ただ、カグヤが無事に快復できるかは分からない。
あーあ、好みだったのになあ。
わたしは白金ユイを敵としてマークすることに決めた。
※ ※ ※ ※ ※
「ただいまー」
ユイは自宅「リオパレス12」1202号室に帰ってきた。実は彼女のマンションとマイのアパートは同じ沿線上にあって距離はそんなに離れてない。
「お帰りなさーい」
と、すっかり居心地のいいこちらに同棲しているカノンが嬉しそうに迎えに出た。
「ご飯にする? お風呂にする?」
「うーん、お風呂」
「はあーい」
嬉しそうに自分が服を脱ぎ出す。ユイも妖しく微笑みながら服を脱ぎだした。
× × × × ×
二人は洗面所に灯りをつけた薄暗いバスルームで、ゆったり寝ながらつかるのに丁度いい細長のバスタブでほんの少しだけお湯を入れ、ぬらりぬらり、白い肌をこすり合わせる「スキンシップ」をしていた。二人の白い肌には赤いうろこ模様が浮き上がり、それを逆さに撫でると、とても気持ちの良いようで、激しく血液が巡って赤く燐光を発した。
「ねえユイちゃん」
カノンは甘く睦言のように言った。
「マイはどうする気?」
「んー?」
ユイはとぼけるように首をかしげ、ううん!とカノンは顔をすり寄せた。
「マイも仲間にするの? わたしあの子は嫌ーい。いっつも何か考えているようで、全然それを見せようとしないんだもん、気味悪いわ。それに、白いし」
うふふ、とユイはカノンの肌を逆撫でしながら笑った。その反応をああかわいいと脚に絡め取りながら。
「どうしよっかなー? 考え中。仲間にするのは、そうね、あと3人かな?」
「そんなに?」
不満そうに尖らせる唇をユイはつんとつついた。
「妹たちの分よ。妹たちにもわたしのカノンちゃんみたいにお友だちを作ってあげなくちゃ」
「なーんだ。そう」
カノンは安心してユイに甘えた。
「じゃーあ、選ばれなかった残りは?」
「そうねー? どうしよっかなあー?」
ユイはとぼけながら、その口許には妖しく残忍な笑みが刻まれ、ちらちら赤い舌を覗かせるのであった。




