36,女の決闘
バキッ、バキッ、と邪魔な木の幹をへし折り、白樹様は砂浜に躍り出た。
我が庭先で大騒ぎしている者どもを睨み据え、
「この、無礼者どもめ!」
と叱りつけた。
人間たちはその声を頭の中で聞くいわゆるテレパシーの類かと思ったが、その声ははっきりと空気を伝わって耳に聞こえていた。
白樹様のあごを大きく開いた口の中に、ピンク色の喉の筋肉が盛り上がって、人の唇の形を作っていた。その人間の口を使って、
「ユイ。おまえが人間どもを好き勝手に暴れさせるなど、なんたる失態じゃ? ユリエ。おまえ、わらわに楯突くとは、どういうことじゃ?」
と、娘たちを叱責した。
人間たちは始めて姿を見る白樹様の巨体と、人語を操る想像以上の神秘性に畏怖の念を新たにした。ギロリと睨まれ。
「人間ども。わらわに対する敬意はどうした? わらわを畜生とあなどっておったか? この、愚か者どもめ!」
長太郎は動けないまま脂汗を顔がぬらぬらになるほど流し、若い漁師はすっかり怖じ気づいてへへえとひれ伏した。白樹様はますますカアッと大口開けて。
「わらわの怒りが静まらねばどうなるか? ここで食われて果てるか、生きながらえて神罰の恐ろしさを味わうか、どっちがよい!?」
へへえと若者は平伏するばかりで、長太郎もこれほどの物であったかと今さらながらうなるしかなかった。
白樹様はぞろりと前進し、
「まずはおまえじゃ、ユリエ」
と、船の上に立って頑張るユリエに怒りの矛先を向けた。
「わらわの娘として力と若さと美しさを与えてやったものを、この、恩知らずの罰当たりめ。覚悟は出来ておるのじゃろうな?」
ぞろぞろと長い胴体が通り過ぎていき、ユイは横目を後ろに流してユリエをあざ笑った。白樹様を本気で怒らせて、自分たちだってかなうわけがない。なんと愚かなことをしでかしたものだろう、と。
死の制裁が迫りながら、ユリエは険しい目で自分の親とも言うべき白樹様を睨んでいた。
「マイを、どうしました?」
白樹様は腹を波につけ、船の舳先まで首を伸ばし、いったんあごを閉じて、せせら笑った。
ユリエは怒りの目で睨んだ。白樹様は再び口を開き、言った。
「食った。ただの人間の娘も食い飽きた。へび女の娘は、なかなか乙な味じゃわい。おまえも腹の中でどろどろの娘と再会させてやるわ」
ユイはその会話に顔をしかめた。マイがユリエの娘? 気に入らない奴とは思っていたが、ヘビの仲間の臭いはしなかったが?
白樹様はぐうっと海の上に立ち上がった。
「覚悟しろ、ユリエ!」
ガアッと大口でかぶりつこうとしたが、
「ガッ・・・・」
大きく開いた喉に何か引っかかったように、しきりに喉を膨らませて、ゲエゲエ苦しみだした。
黄金の瞳に赤い筋が走り、涙まで流して、海の中にバッシャーンと倒れ込み、波を蹴立ててグネグネ体をくねらせた。苦しくて堪らず、腹の中から何か吐き出そうと必死になっているようだった。
「ゲホオッ!・・」
白樹様はようやくそれを吐き出すのに成功した。
「きゃっ!」
バッシャーンと海の中に吐き出されたのは、マイだった。
波をバシャバシャやって立ち上がったマイは、
「いやん」
と裸の胸とお股を隠し、
「男子禁制! 見たら殺す!」
と宣告した。船の上の若者は恐ろしさにひれ伏したまま硬く目を閉じ、長太郎もいいかげん熱さと苦しさでこの際運を天に任せて気絶してしまった。
白樹様はまだ何か苦しがり、ぺっ、ぺっ、と白い膜の塊を吐き出した。
ユリエがほっとした嬉しい顔で訊いた。
「マイ! あなたどうやって助かったの?」
ユリエは自分のシャツを脱いでマイに投げてやった。大きな胸はしっかりビキニでガードしている。
「サンキュー」
受け取ったマイは笑顔で手を振り、
「えーと、なんかわたし、脱皮したみたい」
と言った。
「脱皮? 白樹様の胃なら同族の皮だって平気で消化しちゃうと思うけど……」
不思議そうに考えるユリエにマイも考え言った。
「溶かされてなるものかってむちゃくちゃ暴れ回ったから……、なんかむちゃくちゃ脱ぎまくって手当たり次第に穴っぽい所に脱いだ服を突っ込んで入り口に逆走してきたような気がする……。いやあ、始めて脱皮して溜まりに溜まっていた古い皮膚をこれでもかこれでもかとはぎまくった感じかな?」
恥ずかしそうに照れ笑いするマイにユリエも楽しそうに言った。
「若いってやっぱり羨ましいわねえ?」
そんな母娘の和やかムードにすかっり怒り狂った白樹様がカアーッと伸び上がった。
「オノレ、コムスメ! 噛ミ千切ッテ半分ズツ消化シテクレル!」
ユリエもギラッと恐い目で睨み上げた。
「娘や孫娘を食おうだなんて、悪食も極まれりね? やっぱり殺さなくちゃならないかしら?」
シャシャシャ、とヘビは笑った。
「生意気ニ、オマエゴトキガワラワニ勝テルト思ウテカ?」
「お母様」
ユリエは冷たく怖い声で言い返した。
「人間をあまり舐めない方が身の為よ? あんまり我が儘が過ぎると、動物を殺すのなんてなんとでも出来るんですからね?」
その落ち着いた言い方に白樹様はゾッとして、思わず棒立ちになった。
「させるか!」
ユイが猛烈な勢いで走ってきて船の上にジャンプした。
「フンッ!」
「ハッ!」
蹴りと腕が交わり、再び人間を超越したモンスターたちの闘いが始まろうとしたが、バシャッとマイが二人に水を浴びせた。
「ストーップ! ユイ!」
人差し指をビシッと突き付け。
「わたしと勝負しなさい! なによ、自分と同年代のピチピチギャルかと思ってファンだったのに、思いっきりサバ読んで50歳の中年おばさんだったなんて!」
「まだ48歳よ!」
「おんなじよ! この、嘘吐き! わたしと勝負しないと実年齢ばらしてやるわよ〜?」
べろべろべー、とやられてユイはむっつりした。ユリエを見て、ニヤリと残酷に笑った。
「だってさ? いいのね?」
「マイ……」
ユリエは心配そうにマイを見つめ、その視線を見たユイは、
「へー…、本当に実の母娘なんだあ」
と白けたように言うと、ギラッと目つきを豹変させて、波打ち際へ飛んだ。
「来なさいよ、マイ。なんか気に入らなかったのよね、あなた。原因が分かったところで、すっかり食欲が湧いて来ちゃったわ。白樹様には悪いけど、わたしがあんたを食べてあげるわ」
「別の意味ならいくらでも食べられたかったけどね」
シリアスな顔つきになってユイの下へ向かうマイにユリエは呼びかけた。
「待ってマイ! 白樹様」
キッと見上げ、言った。
「娘がわたしの代役です。わたしも二人の決着を受け入れますから、お願いです、もしマイが勝ったら生け贄の娘を食べるのをやめてください」
「ナゼワタシガオマエノ言ウコトヲ聞カネバナラナイ?」
「願いを聞いていただけないなら、あなたを殺します。これはハッタリではありません。二人の勝負の結果に従ってください。お願いします」
白樹様は娘たちを見比べ、
「ヨカロウ。願イヲ聞イテヤル」
と約束した。
波打ち際で、ユイとマイは向かい合った。
「ヘビの弱点は知ってるわね? おまえの玉を噛み砕き、じっくり生の肌を味わってやる」
「アッカンベー。女の子にそんなお下品な物、付いてませんよーだ」
「カマトトぶってんじゃないわよ。身の程知らずにわたしに挑戦したこと、泣きわめきながら後悔するがいいわ」
ガアッと牙を剥き出すと、ユイは得意の低い位置から一瞬で間合いを詰め、大きくアッパーでマイの首をすくい上げると、海に叩きつけた。マイはぐえっとうめいて、必死にバチャバチャ転がって、第二第三のユイの攻撃をかわした。ユイは笑いながら遊んでいて、力の差は圧倒的だった。
「それ」
腹を蹴り上げられ、マイは4、5メートル軽くふっ飛び、波の中に転げた。
「ぶはっ」
濡れた黒い砂混じりの顔を必死に突き出し、次の攻撃に怯えて後ろ手で後ずさったが、空から飛んできたユイがドン!と胸にお尻で着陸した。
「ゲホッ」
マイは肺が喉から飛び出すように咳をして、ゲホッゲホッとむせた。グイッとホットパンツのユイの股があごに押しつけられた。
「ほらほら、女王様に従いな!」
グリグリ押しつけて苦しがるマイを残忍に笑ってやり、
「フン、口ほどにも無さ過ぎるわ。何をのぼせて勘違いしたのか。おしまいにしてあげるわ」
と、がっしり両腕を力の入らないように上腕二頭筋を握りしめ、体を下にずらし、あご先で下半身丸出しのシャツをめくり上げた。
「これでおまえの『ヘビの玉』はいただいた…………」
シャーッと舌を長く出したユイは、マイの滑らかな腹を舐めて、うん?、と目をまたたかせ、よおく見た。ハッと驚きが顔に浮かんだ。
「おまえ! へそがない!?」
「だから、わたしには付いてないって言ったでしょ?」
マイの両脚がグンと上に伸び、太ももでがっちりユイの腰を挟み、思い切り締め付けた。
「ぎゃっ! ……こ、この……」
「力は若い方があるのかしら? えいっ!」
レスリングのように横倒しにして自分が上になると、クルッと体の上下を入れ替え、さっきのお返しとばかり股でユイの顔を押さえつけ、ユイのホットパンツをグイッと引き下ろした。
「わあっ! やめろ! よせ! くそう!……」
ユイは必死にマイの腰を引き寄せ舌を伸ばして『ヘビの玉』が埋め込まれているはずのへそを探ったが、ユイの腹につるりつるりと滑るばかりで、取りかかりの穴は見つからなかった。
「どうして? どうしてへそがない!?」
ユイが焦ってパニックになっている間に、マイがユイの腰をしっかり両腕で抱え込み、露出したきれいな縦長のへそに、伸ばした舌をグイッ!と突き刺した。そのままずぶずぶと中へめり込ませていく。ユイは自分の敗北が近いことを悟り、
「やめろーっ! やめてくれーっ!!」
と騒ぎわめいた。ユイの必死な叫びに白樹様が思わず体を揺らしたが、
「お母様」
ユリエにきつい口調で言われて止まった。
『ヘビの玉』は、子蛇がへそに潜り込み、下腹部の、気功術言うところの「丹田」にてとぐろを巻き、丸くカルシウム化し、『玉』となる。
ヘビのくせに『玉』のあるべき丹田への入り口がないマイがユイには信じられなかった。ユイが卵から生まれた正真正銘の「へび女」である事実を彼女は知らなかった。
体内に潜り込んだマイの舌先が、ぬるっ、と『玉』を舐め、必死にわめいていたユイの声が、
「あふ・・・・」
と、途端に力の抜けたものになった。ぬらぬらと舐め回る舌に、どうしようもなく下半身がじれて、力無い泣き声で
「お願い、マイ……、やめて、わたしの玉を取らないで? 負けを認めます。ヘビは自分より強いと認めた相手には逆らいません。あなたの下部になりますから、どうか、わたしからヘビを奪うことだけは、お許しください……」
とお願いした。マイもそのあまりに悲しい言い方に心が揺れ、舌を抜くと、用心してユイの腰を抱えたまま、
「お母さーん。どうしようー? ユイさん、負けを認めるってー?」
と訊いた。
ユリエはうなずき、言った。
「ユイが負けを認めたなら、それは真実よ。許してくれと言うなら許してあげて」
「はあーい」
マイは素直にユイの腰を放して、上から下りてやった。
ユイはぐすんぐすんと泣きながら起き上がった。ザーッと波が引いていき、すっかり心を入れ替えたように正座して三つ指ついて頭を下げた。
「参りました。これよりあなた様の下部としてお仕えさせていただきます。どうかよろしくお願いいたします」
マイは従順そのもののユイの様子に、
「なんでも言うことを聞く下部……」
と、ほくそ笑んだ。
「シャアアーーーーッ!!!!」
白樹様が叫んで躍り上がり、ぐわっとユイとマイの二人目がけて牙を剥きだした。
「お母様! 約束したでしょう!?」
「ヤカマシイ! コンナ中途半端ナ決闘ナド無効ジャ! コノ半端ナ恥さらしドモ! 食ッテ我ガ肉体ニ戻シテクレルッ!!」
もはやこれまでか!、とユリエがお尻に隠し持っていた丸いプラスチックのカプセルを取り出した。科学的に合成された、生物が中和できない猛毒だ。いかに白樹様といえどこれにはかなわないはずだ。
「ごめんなさい、お母様」
ユリエがカプセルを開け、飛び上がり、中の毒団子を白樹様の口に食わせようとしたとき、
空のかなたより音楽が流れてきた。
ヘリコプターの羽根の音と、「ワルキューレの騎行」ならぬラベルの「ボレロ」だった。
タンタタタタン、タン、タンター、タンタタタン、タン、タンター、
と、優雅で、なんとなくのんきな気がする音楽がのどかに流れてきて、浜辺の殺気立った空気を爽やかな海風と共に吹き流した。
近づいてきたヘリコプターは、なかなかシュールな光景だった。
ヘリコプターの下には丸々した黒毛の牛がつり下げられていたのだ。
へび女たちはすっかり毒気を抜かれた物見の好奇心でヘリコプターの到着を待った。その間にマイは慌てて船に飛び帰り、予備の服を着込んだ。
浜にまず牛が着陸し、吊っていたロープを解かれ、両脚に浮きタンクを付けたヘリコプターは海の上に着水し、ひょいと顔を出したブッチが、水上にガスタンク付きの折り畳みゴムボートを投げ、ボートは一瞬で開いて浮いた。
「さ、お足元お気をつけて、である」
ブッチにエスコートされてボートに降り立ったのは、なんと、ミセス・ビッキーその人だった。




