19,母と妹たち
辺干島の左右岳がそれぞれ標高634メートル。一回り小さい白輝島の鏡岳は500メートルくらいだろう。
その中腹に建つ白金家の御殿までユイと11人の女たちは折れ曲がる長い階段をそれぞれ自分の荷物を持ってひーひー言いながら上っていった。斜面の森の中は「ジイーー…シャンシャンシャンシャンシャン」とクマゼミが尻上がりの猛烈な音量で合唱し、そこに「クエーークックックーケエーーーーーー」とシャモたちのけたたましい鳴き声が響き渡り、じっとり大粒の汗を全身の肌に噴き出させた東京女たちの神経を苛立たせ、つい眉間に縦皺を刻ませた。
白金御殿は分厚い漆喰の白壁にどっしり厚い黒瓦の屋根が載る、大きな土蔵作りの建物だった。
斜面を振り返ると貝合わせのツノ島の向こうに白い浅瀬が道になって浮き上がり、その道の指し示す青い海の先に辺干島の左岳が浮かんでいる。辺干島に向かった出戻り組もそろそろ到着している頃だろう。
黒く焼いた板に鉄版を打ち付けた頑丈な観音開きの戸が内側に開いて入り口が開いている。
「お疲れさまでした。どうぞお入りください」
入り口脇に立ったユイに奥へ手を伸ばされ、
「お邪魔ひま〜す」
へとへとになった女たちはシズカを先頭に日陰の落ちる土間へ入っていったが、外の強烈な明るさに慣れた目が奥の暗がりを見たとき、シズカはギョッと思わず立ち止まり、後続が背中にドタドタぶつかった。
暗がりにまるで幽霊のように白い影が立っていた。
ボッと蛍光のように白く滲んでいた影が、目が慣れるに従い立体的な陰影を顕わした。
「皆さん、よくいらっしゃいました」
白い浴衣のようなラフな印象の着物を着た中年の女性だ。ラフな印象だが、生地には光によって銀色の波模様が浮き上がり、かなり高級そうだ。物静かににこやかにたたずむ女性をユイが紹介した。
「母です」
「母です」
ニコニコと自ら名乗ってお辞儀した。丸顔のかわいらしい婦人だ。
「え? じゃあ、こちらが真珠輝の?」
怖じ気づいたようなシズカのいわんとすることを察してユイの母、お社様は、ほほほと袖で口を隠して笑った。
「はあーい、社長でーす。おほほ、お恥ずかしい。まあ社長なんて名前だけですのよ? 島の皆さんが古い家を立ててくださって」
と、お社様は華やいだ様子で言った。葵マネージャーと瀬合編集員が前に出て挨拶した。
「この度はお招きいただきましてまことにありがとうございます。お言葉に甘えてお邪魔いたしました」
緊張する両者に
「いいのいいの。ユイちゃんがお世話になってます。どうぞどうぞ、遠慮なく甘えてください。さ、どうぞ」
奥へ上がるよう招いた。
「お邪魔しまーす……」
前がつかえて外で待たされていた者たちも入り口をくぐり玄関である土間に入った。横に長い長方形の8帖ほどの部屋だ。天井には図太い梁が渡され、板は載っておらず、屋根裏の板が直接見える。炎天下の外とはまるで別天地で、クーラーが入っているみたいにひんやりしていて、汗が急激に冷えてブルッと震えが来るくらいだ。
横に長い上がりがまちの下にずらっと靴を並べ、一行は板間に上がった。右に上へ上がる階段があり、左に廊下が延び奥側に障子戸が並んでいる。
「キョウカちゃん。マミちゃん。ユイちゃんがお友だちといっしょに来たわよー」
「はーい」「はあ〜い」
二つ、奥の方から返事があったものの、こちらへ出てくる様子はない。
「ほんとにもう、夏休みだからってしょうがないわねえ」
母親らしくお小言を言って先へ進むお社様に続いてシズカを先頭にしたモデルたちも廊下を進んでいった。左手の白壁には時代劇その物の蓋を上へめくってつっかえ棒で止めるガラスのない窓が開いて相変わらずのセミとシャモの鳴き声が聞こえている。なんとものどかでにぎやかな田舎の風情だ。
ズバン! ズバン!と、勇ましい音が障子の向こうから聞こえてきた。
「こーらっ、キョウカちゃん! マミちゃん!」
お社様が障子を開けると勇ましい効果音が大きくなり、『トウッ!』『ヤアッ!』というかけ声も聞こえた。
いい年した女の子が二人、大型テレビの画面に向かってVViiのコントローラーを振り回していた。ズババン!と武器を振り下ろす効果音が大きく鳴り、『キィヤアアアアーー』と大型モンスターが断末魔の悲鳴を上げてジャングルの地面にドオオッと倒れた。
「やったあー! やつけたあー! いやあ、こいつは手強かったわねえ。やったね!お姉ちゃん!」
「うん!マミ!」
二人はコントローラーのヌンチャクを放した左手で硬く握手して協力プレーの健闘をたたえ合った。
「こーら、キョウカ。マミ。午前中はお勉強じゃなかったの?」
どっちも若いが、より子どもっぽい妹がべーと赤い舌を出した。
「高2の夏休みだよー? 遊びたい盛りじゃん?」
お社様はもう一人、お姉ちゃんの方をジロリと見た。
「キョウカちゃんは? 来年受験でしょう? 遊んでいる余裕あるの?」
「ごめんなさい」
大人しそうな姉はしゅんとして肩を落としたが、妹がかばうように抱きついて言った。
「わたしが誘ったんだよお。だってえ、一人でやっても勝てないんだも〜ん」
ムン!と眉を勇ましくする妹と、苦笑する姉。母親のお社様は困ったため息をついて笑った。
「もう、キョウカちゃんはマミちゃんに甘いんだから。ほら、ユイちゃんが帰ってきたわよ?」
「ヤッホー」
シズカの前を失礼して障子から顔を出して手を上げるユイに、
「ユイちゃん」
「ユイ姉ちゃん!」
と、二人は喜んで駆け寄り、妹のマミが遠慮なく抱きついた。
「おっかえりー! いやあ、ユイ姉ちゃんのスベスベお肌、やっぱ気持ちいいなあー」
頬をくっつけてすりすりした。
「こらこら。お客様の前よ?」
たしなめるユイに、マミはハッと丸く開いた目を廊下に向けて、
「アイリちゃんだー!」
と、他のモデルには目もくれずアイリに駆け寄り、両手を握りしめた。
「きゃー! かっわいいーー! 本物だあー! わあ、すっごおーい! わたし絶対アイリちゃんのファンー!」
キャアキャア喜ぶ女子高生にアイリはクライアント向けの営業スマイルで
「はあーい。アイリでーす。よろしくね?」
と挨拶した。無視された他のモデルたちはしらけた目をしている。
妹に続いて廊下に出てきたキョウカも大人しそうな顔をぱあっと憧れに紅潮させ、
「姉がお世話になってます。妹のキョウカです」
と挨拶して一人一人キラキラした視線を向けて確認していき、嬉しくて堪らない笑みを広げていった。
「よろしくー!」
ウララを中心に声を揃えて笑顔で挨拶し、モデルたちはキョウカと、マミをじっくり観察した。二人はミニスカートにTシャツという開放的な服装をしている。
白い。
母親のお社様もそうだ。まさにユイと同じまっ白く、内から光り輝く光沢のある肌をしている。
この肌が欲しくてこんなど田舎の離島まで来たのよ、と、彼女たちは思わず口中に溢れるよだれをゴクンと飲み込んだ。
「さあさあ皆さん、坂を上がってきて汗をかいたでしょう? 冷たい飲み物を差し上げましょうね。どうぞこちらでおくつろぎください」
お社様は廊下を戻ってとなりの障子を開いてお客様を招いた。間のふすまを取っ払って2部屋を続けた16畳の広い部屋だ。となりのふすまを開いてマミとキョウカが出てきた。
「落ち着いたらいっしょに遊ぼうね?」
人なつっこく遠慮のないマミを廊下からユイがたしなめた。
「こら、マミちゃん。みんなお姉ちゃんがお世話になってる先輩方なんだからね?」
てへ、とマミは悪戯っぽく舌を出した。
廊下の反対、階段側に台所があるのか、お社様はお盆にコップを載せて運んできた。11人分1度には無理なので、
「すみません。どうぞ適当に取ってください。またお運びしますので」
と、ユイといっしょに戻っていった。
コップの中には何か砕いた果肉の泳ぐ白く濁った液体が氷を浮かべて入っている。
「美味しいよ? どうぞ?」
マミにニコニコ勧められて、彼女のお気に入りのアイリが喜ばせようと
「じゃあお先に」
コップといっしょにお盆に運ばれてきたストローを取り、沈殿する果肉をかき混ぜて、
「いただきまーす」
とストローを口にくわえた。
うん?とアイリのかわいい顔が変な表情を浮かべた。
「どう? 美味しいでしょう?」
「うん。とっても」
アイリは二口目を吸い込みながら、なんのジュースかしら?と味を検分した。南国っぽい香りの高い、ブドウのマスカットのような爽やかで上品な甘み。そこまではたいへん美味しい。でも、そこに変な、べたっとした甘みと、なんだか、舌の痺れるようなひやりとした薬臭さがある。
なんの果物なのか、他に何か変な物が混ざっているのか怪しみながら、マミにニコニコ見つめられながらアイリはチューチューすすっていたが、しびれが歯茎にまで染み込んできて思わず、
「んあ……」
と、あごが開いて、口の端からだらあーーっとよだれを垂らしてしまった。
舌が痺れて上手く口が動かない。
「にゃ、にゃひ? ほへ?」
「あははははははははは」
マミは腹を抱えて大笑いした。
「アイリちゃん、かっわいいーーー! だあーい好きいーー!」
あははと大笑いされてアイリもさすがにいい顔はしていられない。というより、神経が麻痺してだらんと弛緩して戻らない。他のコップを取って飲みだしたメンバーもしびれを感じる薬臭さに顔をしかめて視線を交わしあった。
アイリは緩んだ口からだらだら垂れるよだれが止まらない。
「あらあらたいへん」
慌てたキョウカが布巾を畳に置き、とりあえず自分のハンカチでアイリの口を押さえてやったが、他のジュースを飲んでしまった者たちも筋肉の異変に気づいて慌てて口に手を当てたが、その指の隙間からやっぱりだらだら太いよだれを滴らせてしまった。
「お待ち遠様」
次のお盆を運んできたお社様とユイに、
「ママ! これをお客様に出しちゃ駄目よ」
キョウカが注意し、「あら!」と気づいたお社様は「あらあら」とお盆を持ったままおろおろし、
「お母さん、とにかくお盆を置いて」
丸卓にお盆を置いたユイに注意されてお盆を置き、
「あらあらまあまあ、たいへん。ごめんなさいねえ」
とおろおろの続きを始めた。マミはまだ大笑いしている。
他の者はまだよかったが、たくさん飲んでしまったアイリはひどかった。ユイは座布団を枕にアイリを寝かせ、
「横を向いていてね? 仰向けになると唾液が喉に詰まって窒息しちゃうから。しばらくすれば治ると思うから、我慢してね?」
と、口の下にタオルを敷いて唾液を吸わせた。アイリの頬は自分の唾液でべとべとになってしまっている。
他へ譲って痺れ地獄をまぬがれたウララは青い顔でユイに訊いた。
「いったい何が入っていたの?」
ユイは困った顔でうっかり屋の母親を睨み、申し訳なさそうに言った。
「実は、マムシの毒が入っているの」
ゲッとみんなのけぞった。
「わ、わたしたちを、ど、毒殺する気?」
「ううん! とんでもない!」
ユイは慌てて首を振って否定した。
「この島はシャモと同じくらいマムシがたくさんいるの。血清は何度も効かないから、噛まれたときの用心にわたしたちは日頃から少しずつマムシの毒を飲んで体を慣らしてあるの。わたしたちにとっては当たり前のことなんだけど……、もうっ、お母さあーん、駄目じゃない、気を付けてよね?」
「はあーい。すみませんでした」
娘に叱られたお社様は膝をついて頭を下げ、ケラケラ笑っているマミを、
「マミちゃん。いつまで笑ってるの?」
と恥ずかしそうに注意した。
とんでもない所に来てしまった。
モデルたちはゾオッとし、一番の被害者アイリは怒ることもできないでダラダラ、タオルに唾液を垂らし続けた。




