11,ベイビースネーク
病院の廊下でカグヤの経過報告を待ちながら、マイは名刺に記載のブッチ・熊田の携帯に電話した。
『もしもし。どうしたであるか? 早くも何か報告かね?』
マイは冷たく不機嫌に言ってやった。
「しらばっくれるんじゃないの。あなた、わたしの前にカグヤさんをスパイに使っていたでしょう?」
げへげへげへ、とブッチは笑った。マイは思わず顔をしかめて携帯を顔から離した。
何故自分でなくカグヤが襲われたか? うるさく付きまとわれるのが鬱陶しいだけなら自分に見せしめる必要はないだろう。敵に回るなら同じ目に合わせるぞ?という警告だ。つまりカグヤは。
「そうなんでしょう?」
『当たりである。さすがわしが見込んだだけあるある。しかしなんで分かったのであるか?』
「そう。それは知らないんだ? カグヤさん、敵に襲われて瀕死の重傷よ?」
『なにっ!?』
ブッチの驚きようをマイは本当と見た。
「毒蛇に噛まれたの。今病院で治療中。毒が回っちゃって血清はあまり効果がないみたい。毒の中和剤で抑えて、多分大丈夫だろうと言うことだけれど」
『そうであるか。それは気の毒であるな』
「疑問に思わないの?」
『何がであるか?』
「ふつう蛇に襲われたって、人の仕業とは思わないでしょう? 冗談めかしてたけど、白金家と蛇って、何か特別の関係があるんじゃない?」
『ふうむ』
ブッチはしばらく考え、言った。
『株式会社真珠輝のある長崎県五頭市辺干(へっぴ)島は五頭列島の最南端に浮かぶ小島であるが、そこでは島をあげての蛇信仰があるである。その中でも白蛇を最高神として奉り、その奉る総本家が、白金家であるである。
蛇が信仰の対象になるのは珍しいことではないである。天然記念物に指定されている『岩国のシロヘビ』のように特に白蛇は繁栄の象徴としてあがめられているである。白蛇の抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まると言われているである。家に住み着くとその家は繁栄するである。
世界的に見ても蛇は神秘の象徴であるである。毒を持ち、脱皮をして成長する生態は死と再生を象徴し、長い間食べなくても死なない強さでギリシャ神話では生命力の象徴であり、杖に蛇の巻き付いた『アスクレピオスの杖』は欧米では医療、医学を象徴し、世界保健機関のマークになっているである。カップに蛇の巻き付いたマークは『ヒュギエイアの杯』で薬学の象徴である。土俗的にも生態的な神秘、生命力にプラスしてネズミなどの害獣を捕食することから大地の豊穣の神としてあがめられていたである。
ちなみに白金(はっきん)とはプラチナの和名であり、もちろん女子ならよくご存じだろうが指輪としてダイヤモンドの台座として使われるたいへん美麗で高価な稀少金属である。
プラチナは特に日本人の美意識にアピールする金属のようである。世界的に見てもプラチナが宝飾品として本格的に広まったのは19世紀末、かのカルティエの三代目ルイ・カルティエによってであるが、時に本邦における明治時代には、既にプラチナは高価な貴金属として一般にも知れ渡っていたのである。そもそもジュエリーなる物が文明開化によって輸入、紹介されたばかりで、その中でも何故かプラチナは最初から日本人の美意識にアピールしたようで文学作品にも取り上げられることが多かったである。まさに黄金の輝きの金、華やかで冴え渡った銀に対し、プラチナの輝きはまろやかで控えめなところが日本人には特に好まれたのであろうである。日本人が初めてプラチナに出会ったのはさかのぼること江戸幕府も末期の文久元年1862年、福沢諭吉も参加した文久遣欧使節がロシアを訪れた際にプラチナの塊を見たのが最初とされているである。
ちなみにプラチナの産出は南アフリカが75パーセント、次いでロシアが16パーセントで90パーセント超を占めているである。有史以来人類が産出してきた金の総量は15万トン、銀の総量は100万トンに対し、プラチナの総量はわずか4千5百トンと極端に少ないである。
日本でプラチナを宝飾品の加工に使いだしたのは真珠で有名なミキモトで、明治43年西暦1910年にプラチナ張りの技術が開発されたである。大正6年西暦1917年には貞明皇后がミキモト製のティアラをおつけになられ、以来昭和にかけてプラチナジュエリーは花盛りとなったである。
以上プラチナの記述は冗談抜きである』
「……おじさん、ずいぶん長々と、物知りね?」
『門外漢の付け焼き刃である。わしは美食以外興味ないである。せっかく調べたので(http://www.takara-kiho.co.jp/column/009.html)披露する機会を窺っていたである』
「あっそ。それって白金家と関係ある知識なの?」
『分からないである。しかし一般の日本人が名字を付けるようになったのは明治になってからである。白金の由来がプラチナであるのは出島のある土地柄大いにあり得るである』
「白金家はプラチナかあ……。それってやっぱり白蛇のことかな?」
『そうであろうである』
思い浮かべてみるとユイの白くて整った顔は西欧人の血が混じっていることも十分考えられる。黄色人種の日本人の血の中で、西欧白人の白は劣性遺伝で、シロヘビ同様人為的に守られる希少種ではないか? まあ仲間にされたカノンにも肌の白は感染しているけど。ただの病気か?
「まあいいわ。わたしはユイとカノンを調べるから。でもさー、ずいぶん危険なミッションになっちゃったじゃない? お礼は弾んでよね?」
『やめる気はないであるか?』
「やめないわよ」
『頼もしいである。ではよろしくである』
看護士に呼ばれて病室へ行った。
カグヤの顔色は相変わらずだが(まあ元々だし)医者の説明によると中和剤が効いて体温も上がってきたから大丈夫だろうと言うことだ。ただし2、3日は絶対安静、1週間くらい入院が必要かもと言うことだ。
葵マネージャーが駆けつけ、わたしはバトンタッチして帰ることにした。カグヤは北海道網走出身だそうで、ご両親に連絡したがこちらに到着するのは明日の午後以降になるそうだ。カグヤの色白も元は天然物だったようで、快復したら積極的に仲良くしてやることにしよう。
わたしは病院を出た。
※ ※ ※ ※ ※
容態も安定したということで葵マネージャーも帰宅した。
灯りを消された病室で、密やかな動きが起きた。
エアコンのダクトに沿って伸びている白いコードが、スルリと垂れ下がり、ぽとりと、床に落ちた。20センチほどの白いビニールコートの線が、しゅるしゅるしゅると、S字を連続して描き、カグヤの眠るベッドの脚に到着すると、するすると、パイプに巻き付き、布団をのたくり、カグヤの胸に這い上がると、鎌首をもたげてカグヤの顔を見つめた。蛇だ。細いしなやかな胴体を持つ、小さな白蛇だ。
白蛇は舌をしゅるしゅる出し入れしてカグヤの顔に近づき、その微かだが不穏な音を聞きつけてカグヤが苦しそうに眉間にしわを寄せて首を振った。カグヤは腕に薬剤とブドウ糖の点滴をしているが、酸素マスクなどは付けていなかった。蛇は舌を出し入れしながら苦しむカグヤの臭いを嗅ぐように鼻の辺りの空気をしきりと舐めた。
蛇はするすると、カグヤの首から布団の隙間に入り込み、中を這い進んでいった。体を蛇にのたくられ、カグヤはますます苦しそうに首を振った。が、蛇はカグヤの下半身に達するとどこかの穴にでも入り込んだようで、布団の上からその所在は分からなくなり、一瞬うっと体をのけぞらせたカグヤも、ふうーー……、と息をつき、それ以降は落ち着いたように深い眠りに入っていった。
点滴をチェックしに来た看護士が様子を見たが、カグヤは落ち着き、その後も巡回の度見ていったが夜の間中カグヤの様子に変わりはなかった。
翌朝目覚めたカグヤはすっかり元通りになっていた。噛まれて青く腫れ上がっていた右のふくらはぎも、まるですっかり毒が中和されたように、きれいに治っていた。
ただし、保健所に報告しなければならない医者が蛇に噛まれたときの状況を訊ねたところ、
「蛇?」
とカグヤは首をかしげ、自分が何故病院のベッドの上にいるのかまるで分からないようだった。
葵マネージャーとマイが見舞いに来て、マイが何故自分のアパートに来たのか訊いても、
「えー? わたし、マイちゃんのお家、知らないけど?」
と首をかしげ、どうもその様子は演技をしているようには見えなかった。このカグヤにそんな器用な真似が出来るとも思えない。
医者は首をかしげ、
「どうもショックで記憶が飛んでしまったようですなあ」
と言った。診察の結果体は本当にすっかり正常に戻ったようで、これならもう入院の必要もないだろうと退院を許可された。
それでも心配な葵マネージャーが、
「2週間後の旅行はカグヤはキャンセルした方が無難かしら?」
と言うと、
「え〜〜っ! 嫌ですよお〜〜っ! 置いてかないで、連れてってえ!?」
と、すがりついてお願いした。葵マネージャーも
「まあせっかく全員参加の企画なんだからカグヤもいっしょに来てほしいけど」
と医者にお伺いすると、
「2週間後ですか? ま、大丈夫でしょう」
とお許しが出て、カグヤは
「やったあー!」
と、よく伸びる唇をにゅっと端をつり上げる笑顔を作った。
大喜びして、蛇島に行くことに恐れを抱いている様子はみじんもない。
「じゃあカグヤも予定通り参加ということで。マイに感謝するのよ? マイがあなたを発見して救急車呼んでくれたんだからね?」
「そうなんだ? ありがとうね、マイちゃん」
ニコニコ笑うカグヤに、マイはすごく心配していたように近づき、ハグした。
「マイちゃん?」
特別親しいわけではない、普段何考えているんだか感情を見せないマイの大胆な行為に戸惑いながら、
「そんなに心配してくれてたんだ? ありがとうね」
と、カグヤも背中を抱きしめた。力を抜くと、マイは嬉しそうな笑顔を見せた。カグヤもえへへーと子どもみたいに笑い返した。
わたしは、カグヤに、ユイやカノンほど強くはないが、同じ蛇の臭いを嗅いでいた。




