第十四話の3
カランカラン、とダイナーのドアベルがなった。
俺は入り口から入って、店内を進む。特に店員も出てこないので勝手に席を選ぶことにした。俺がテーブルに付くと、彼がそこにいた。顔のない美少年だ。
「やあ、最終段階だね」
俺はボーっとした顔をしていた。
顔のないアイツはいつものように微笑を浮かべていた。
「最終…?そうなのか?」
「それはそうだろ、最後の魔物が出動して、今頑張ってる。応援してやってもいいが、戦局は不利だ。キミのせいでね」
ダイナーの窓の向こうに戦闘の風景が一瞬見えた。吐息たちが最後の魔物と戦っている。
「誰が操ってるんだ?俺じゃないよな?」
俺はココにいる。あの魔物を生み出しコントロールしてるのは、誰だ?
「契約の話をしよう」
彼は書類ケースから分厚い書類を取り出した。それは古い紙と新しい紙がバラバラに挟まった、見るからに厄介そうな書類だった。
「キミ、契約は?」
「覚えてない」
「了解、それはここでは通じるけど。他の場所じゃ通じないから気をつけてね」
「知ってる」
社会常識だ。ただ、彼との契約は現在までかなりナアナアで進んでいるようだ。
「キミは契約を覚えていない。だが、ここにすでに署名済みの書類がある、それが今回の問題なんだ」
彼は書類をこちらに差し向けて見せた。
「きったねぇ字だな」
確かに俺のサインが書いてあった。本当に下手な字なので、俺のだとわかる。
「ワレワレはキミこそが、この時代でもっとも優れた暗黒の精神の持ち主だと確認し、アビスの門の所有者となってもらった。その精神の黒さときたら…」
彼は俺の顔を見て肩をすくめた。
「悪かったな、世界を憎んで過ごしたような、不適格者じゃなくて」
「いや、キミはまさにその通りの男だった。ただキミは覚えていないんだ。だから今日は、キミに思い出してもらいたい…そうすれば、契約は完成する!」
彼の目が輝き、ダイナーは消えた。
彼は俺をいざない、どこに運んでいくのだろうか?
雨が降っている。この雨音とアスファルトの濡れた匂いに覚えがあった。鼻は目よりも記憶している。
「俺の、家じゃねぇか」
アパートの俺の部屋の外に、俺たち二人は立っていた。季節はまだ夏前、梅雨の時期。そう空気が教えてくれた。
「じゃあ、最初っから話をやり直そう」
彼はそう言って、俺の部屋のドアを開けた。鍵は掛かっていなかった。
「ここ、俺の部屋か…?」
玄関から入ると、部屋は薄暗く、生活感がなかった。いや生活感はあるのだが、腐っていた。
俺のいた部屋と同じ間取り、同じ家具、同じ窓に襖、場所、方角、全て同じなのに、
匂いが違う。
まるで、
「まるで魔法が解けたような…」
俺が住んでいる部屋のはずなのに、まるで別人の部屋だった。
その部屋に、主である、俺がいた。
仕事用の机に収まり、PCを操っている。汚れた室内着。目はモニターだけを見つめ、口は緩く、貧乏ゆすりが止まらない。奇声のような独り言を何度も上げていた。
俺は、見ていられなかった。
「なんだ、コイツ…」
「キミだよ、ほんの二ヶ月前の」
「嘘だろ、俺、こんな、こんな…」
「こんな?」
「こんなクズみたいな…!」
俺は喉まで悲鳴が出かかっていた。鏡で自分の顔を見た時、いささかガッカリすることがあるだろう。そんなもんじゃない、鏡に写っていたのが腐り果てた自分の顔だった時のような気分だ。
「そんなに悪く言うもんじゃないよ、自分の事を。世界が全部敵になったって、自分は自分を守るべきだ」
「こんなッ…!何なんだコイツは!」
椅子に座った俺がまた奇声を上げた。ブツブツと恨み言をつぶやいたあと、黙々と仕事を続ける。
「カレこそが、ワレワレが見つけた宝石。世界を憎んだ男、オチタニオチドその人だよ」
顔のない美少年は高らかに紹介した。この痙攣する中年を。
「世界を憎んだ男?」
「そう、アビスの門の所有者に選ばれるってのは、まあそれだけなんだ、資格も免許も求めないし、経験も年齢も国籍も不問だ。必要なことは、世界を憎みきっている。濁った目で世界を見つめている」
「誰でも良かった?」
「そこまで簡単じゃない。数値化はできないが憎しみが世界最高水準であることが必要だ。キ・ミ・は」
俺の胸を指で押して、
「世界ナンバー1だった」
悪魔から勲章を与えられた。
部屋の据えた匂いが耐え難くなってきた。自宅がどれほど臭かろうと住人は気にしなくなるなずなのに、俺はこの俺の部屋の匂いがたまらく嫌いだった。
もう一人の俺が、俺達の気配に気づいたかの様に首を左右に振るが、何も見つけられず首をもとに戻した。その奴の顔…幸福が全て消え去ったかのような虚ろな表情、人に見られることを気にしていないボサボサの髪。
だが、何よりも俺を腹立たせたのは、この男が発している「自業自得」の匂いだった。
こいつは、選んでこの人生になっている。それなのに…
「それなのに、このオチタニオチドという男は世界を恨んでいる」
俺の心を読んだかのように、彼が続けた。
「さあ、いつまでもココにいても仕方がない。時間を進めて、カレの最後の旅路を見てみよう。いかにして彼が世界を壊す破壊者となり得たのか? その行く末を見れば、キミの記憶も蘇るんじゃないかな?」
顔のない美少年がそう言うと、俺達は違う場所へと向かっていった。
もう一人の俺、落谷落土は俺をいったいどこに連れて行くのか?




