アメーバ
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暗くなる遊園地。
途中で落ちた、プロポーズという爆弾を、説教とその後のアトラクションで乗り切った貴恵は、隣の男と手をつないで、園を後にしようとしていた。
「アメーバって、知ってる?」
爆弾犯が、ぼんやりと言葉を呟く。
また、何か爆弾を落とそうというのか。
今日の大樹は、いきなりとんでもないことを言うので、油断ができない。
「ちっちゃくて、うねうねしてる奴でしょ」
単細胞生物のアレ。
「うん…子供の頃から、よくアメーバの出てくる夢を見たよ」
なんだろう。
ただの夢の話なのに、貴恵にはそう感じない。
まるで自分の中の毒を、切り出すように聞こえた。
「夢の中のアメーバは、いつも泣いてた。涙の形に、身体をちぎって…ちぎるたび、アメーバが小さくなっていくから、涙をかき集めるのが僕の仕事だったよ」
シュールな夢だ。
一言で済ませるなら、「変な夢」。
「子供の頃の僕は…アメーバだったんだ」
その、変な夢を見る意味を、大樹は自分なりに考えたのだろう。
「それくらい、小さくて無力だった…かわいそうだと、最初に貴恵ちゃんも思ったでしょ?」
衝撃的な言葉に、貴恵は一瞬で打ちのめされた。
中学の教科書を抱えた、小さくてかぼそい大樹。
そして、否定できなかった。
大樹の言うとおりだったのだ。
「いいんだよ…貴恵ちゃん。もうかわいそうな子は、どこにもいないから…アメーバな僕は、もういないんだ」
足を止めて、貴恵をまっすぐに見る目。
むちゃくちゃな過程を経て、大樹は大人になった。
だが、今の彼を見て、誰もかわいそうなんて思わない。
自分の小ささも、大樹は自分で乗り越えて這い上がったのだ。
「最初の、一歩目をありがとう…貴恵ちゃん」
わんっと、貴恵の頭の中で声がハウリングした。
「あの時、貴恵ちゃんが手を引いてくれなかったら…多分僕は…アメーバのまま、ひどい人間になってたと思う」
どんな。
どんな「愛してる」の言葉よりも重い――大樹の告白。
貴恵はただ、あるがままだっただけだ。
やりたいように、やっただけ。
だがそれは、大樹の人生を左右するほどのものだったのだ。
「だから貴恵ちゃん…今度は、僕が手を引くよ」
行きたいところに、一緒に行こう。
大樹は少し笑って、貴恵の手を引っ張った。
その、大きな背中。
かわいそうとやらが、裸足で逃げ出しそうな背中。
その背中を、貴恵に全部くれると、言われている気がした。
これから、ずっと。
鼻がつんとした。
胸がもやつく。
「帰ったら…髪、切ってやるよ」
ごまかそうとしたら、そんなことを言っていた。
大樹の髪は、そんなに伸びていないのに。
「うん…」
けれど大樹は、素直に貴恵の言葉を受け入れる。
丸坊主にしたって、きっと彼は微笑むだろう。
そんな愛情が、自分に向いているのだ。
そう思ったら。
いろいろ我慢できなくなって――大樹の背中に、抱きついていた。
「貴恵ちゃん?」
「こっち向くなー」
自分の、ぐちゃぐちゃの思いを見られたくなくて、貴恵は彼を制止した。
なのに。
大樹は、こっちを向く。
頭に血が昇った貴恵は、わめきたてようとしたのに。
「大丈夫…見えない」
大樹が彼女を、自分の胸に引き込んでしまった。
彼がくれるのは――背中だけではなかったのだ。