うまくいったり、いかなかったり
○
「何で、店変わってんのよ!」
自動ドアが開いた途端、早口の英語がすっ飛んでくる。
驚いて振り返った貴恵は――更に驚いた。
懐かしい顔があったのだ。
「アーシャ!」
長く伸ばした黒髪の、あの艶は、間違いない。
フルメイクのせいで、顔の印象は随分違ったが。
「前の店に、ちゃんといなさいよ」
怒られるのは、貴恵とチーフ――いや、すでにこの店のボス。
独立したのだ。
店を立ち上げる時、貴恵はスタッフとして誘われて、のこのこついてきた。
「げっ!」
アーシャを見て、変な声をあげたのは、ジュニア・セラ。
シニアの命で、ここに修業に出されている。
「アーシャって…スネーク・シスターズの片割れジャ? 写真とおんなじ顔!」
半分アジア系の血が入っているジュニアが、目を回さんばかりだ。
「そうなんですか?」
元チーフこと、ボスに聞いてみる。
美容師の貴恵が、世界のマフィア情勢に詳しいはずがなかった。
「さぁ? どうでもいいだろ?」
ボスは、肩をそびやかしながら、アーシャに近づく。
「いらっしゃいませ…どんな髪型にしましょうか?」
にやっと。
ただのお客へは見せない、ちょい悪な笑み。
どうやら、アーシャの訪日を喜んでいるようだ。
「任せるわ…蛇なんてあだ名が消える髪型にして」
長い自分の黒髪を引っ張ってみせる。
「かしこまりました…貴恵、手は空いてるな? サブにつけ」
ありがたいご指名に、貴恵は両手をワキワキさせた。
「了解! それじゃ、シャンプーからいきましょか」
イキイキかつ、テキパキと動き始める二人の中――ジュニアだけが、信じられないものを見る目をしていた。
※
「貴恵さん」
ドタバタの仕事を終えて、貴恵が家路につこうとした時。
車が、ゆっくりと減速して止まった。
「おじさん!?」
彼女は、また驚かなければならない。
「一緒の方向だから、乗りませんか?」
穏やかな笑みは――大樹の父だった。
あの事件以来、彼は日本に滞在している。
結果から言えば、彼と妻は和解した。
いまは彼女は仕事を辞め、きちんと籍も入れ、うまくやっているようだ。
大樹も、そして父に無事見つけだされた。
一見、万万歳に見えるが、修復できないものもあって。
それが。
母子関係だ。
自分がしてきた仕打ちの重さにか、大樹の母は息子と顔を合わせられなかった。
これは、長引きそうな話だ。
一生かかっても、修復できるかどうか分からない。
それでも。
昔よりは、全然マシだった。
少なくとも、父との関係は良好だし、大樹がもう母に怯えることなどないのだから。
「大樹は、帰ってるかな」
向かっている先は、あのボロアパート。
貴恵親子が、相変わらず住み続けているが、隣の大樹の母は新しい住まいに引っ越していった。
代わりに。
大樹が、入った。
また、お隣さん生活をしている。
たまに、こうして父が息子に会いに来るわけだ。
「今日は、絶対いますよ」
貴恵は、自信満々で答えた。
逆に今日いなければ、キレてしまうだろう。
と、いうのも。
「ああ…明日は、月曜日だね。デートの約束かぁ、いいねぇ」
ハハハハハ。
声を出しての笑い方だけは、アメリカ人だ。
もろアジアンな貴恵は、こっぱずかしい気持ちになる。
見た目が日本人だから、ときどき錯覚するが、中身の半分は確実にあちら側の人だった。
そんな彼に、明日が実は大樹との初デートだとばらしても――きっと信じてもらえないだろう。
大樹の仕事の関係や、チーフの独立に伴う職場変更など、いろいろ忙しかったのだ。
『貴恵ちゃん、今度の月曜…あいてる?』
ついに、携帯電話を持つようになった二人の、それが久しぶりの通話だった。