手に吸い付く
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貴恵は――たまに、キレる。
就職が決まった時の、パーティの時もそうだった。
感情的な思考が、大樹より遥かに速い彼女は、彼のスピードが余りに遅いと、予想外のことをやらかすのだ。
その辺だけは、美津子に似ている気がした。
まあ、彼女ならまず大樹は、ひっぱたかれるところから始まるだろうが。
ともあれ、貴恵はキレた。
そして、大樹の唇を奪うや、身体ごとフンッとそらして出て行ってしまったのだ。
えーと。
半覚醒だった大樹は、強制的に覚醒させられていた。
本来、それがもつ色気など、まったく含まれていない、ただの嫌がらせのようなキス。
ええと…追い掛けなきゃ。
だるい身体を引き起こしたところで、自分が点滴につながれていることを思い出す。
カラカラと点滴台を相棒に、大樹はカーテンを越えようとした。
が。
病室のドアが、開いた。
ピッチ片手の美津子と、見事に鉢合わせてしまったのだ。
「貴恵なら、般若みたいな顔して降りてったわよ」
ぷっと、一吹きの笑いで済ませたのは、職場だからか。
大樹は、相棒を見た。
これと一緒に、階段を降りられるだろうかと考えたのだ。
「エレベータは右。病院外に逃げられたらあきらめなさい」
美津子は、笑った目のまま、道を空けてくれた。
「ありがとう…」
禁止令を出されずに済み、大樹は礼を言い、歩きだす。
カーテンは――あっさり踏み越せた。
これも、きっと貴恵のおかげ。
※
一階のロビー。
幸い、貴恵は吉岡に出くわしたようで足を止めていた。
ハッと、彼女の目が自分を見つける。
逃げられるかと思ったら、向かってくるから――正直、驚いた。
本当に、キレてる時の貴恵は読めない。
「何、起きてるの! 病室に戻る!」
ああ。
キレていても、心配はしてくれるのか。
頭の中は、まだ湯気を吹いているのに。
笑ったら、なお沸騰されそうなので、大樹は自重した。
その代わり。
「貴恵ちゃん…少しだけ話をしよう…病室じゃないところで」
話したいことも、はばからなければいけなかったからこそ、ストレスをためた貴恵は、言葉以外の暴挙に出たのだ。
「話って、その…お父さんのこと?」
多分、それ以外では話を聞いてくれなそうだ。
大樹は、こくりと頷いた。
「えっと、せめてどこか座れるとこ」
慌てる貴恵の手を握る。
もう片方は、相棒がいるからだ。
「エレベータの横に、談話スペースがあるから…」
病室のある階だ。
乗るときに、ちらっと見えた。
エレベータまで、貴恵を引っ張って行き、乗り込んだら――吉岡が、苦笑気味にこっちを見ている。
そういえば、病院の手配のお礼も言えてなかった。
ぺこりと、ふわつく頭を下げたら、エレベータの扉が閉まる。
「逃げないから…手」
上がるエレベータの中、貴恵が握られた手に言及してくる。
病室と違って、人目があるからだ。
「うん…」
そう答ったものの。
自分の手ではないみたいに、貴恵の手に吸い付いて、離れなかった。