ああ
□
「訴えませんよ…それより、長いこと放っておいた女性の機嫌の治し方を教えてください」
笑う、ところなのだろうか。
カーテンの向こうで、事情を聞かれている男は、苦笑混じりに刑事に相談を始めた。
「えっ、あっ…」
思わず、刑事が日本語で戸惑ってしまったではないか。
あれを、機嫌というのだろうか。
そのレベルを越えていたからこそ、刺されただろうに。
「じ、事情を話されるとか…」
仕事外の方向の話に、刑事もうまく対応できていない。
「国に、研究のために監禁されていて、解放されるのに15年もかかった、と?」
大統領は、監禁証明を発行してくれるでしょうか。
ため息混じりの、少し若さを失いかけた声。
ああ。
40くらいだろうか。
母もそのくらいのはずだ。
もし、隣の男がアメリカに監禁されていなければ、大樹には別の人生があっただろう。
優しい両親と、アメリカでの生活があったかもしれない。
そうか。
だから、これが一番よかったんだ。
大樹は、ひしひしと自分のこれまでの人生を感じていた。
いまの自分で、本当によかった、と思える。
這い上がらなければならない環境だったからこそ、知識のすべてに打ち込めた。
永遠の孤独が、ないことも知った。
大丈夫。
もう、自分はちっぽけな子供じゃない。
大樹は、深く息を吸った。
納得したら、身体の力がゆっくり抜けていく気がする。
隣が誰だろうが、今なら眠れる気がした。
すうっと、下にひっぱられるような感触の中、大樹はこう呟いていた。
ああ――僕でよかった。




