人の気もしらないで
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「少しざわつくけど、ごめんね」
カーテンから、ひょこりと顔を出した男が、謝るポーズを取る。
刑事だ。
本能的に、大樹はそれに気付いた。
自分が、まだ子供と思える年令だった事実に、ほっとしたように見えた。
ああ、そうか。
世間一般の、大樹の評価はそういう扱いか、と。
ずっと、貴恵とツカサ以外は大人に囲まれていて、同じように振る舞っていたので、世間というものを忘れていたのだ。
「ミスターハルイ…傷は大丈夫ですか? 話はうかがえますか?」
さっきの刑事だ。
しかし――英語。
隣人は、外国人のようだ。
話は聞かなければならないが、個室が開いていなかった。
英語での調書なら、大樹には分かるまいと思ったのだろう。
大樹としては。
英語を分からないフリをしてやるのが、親切というものだろう。
大樹は、ぼんやりと天井を見た。
「ミスターハルイ…加害者の――とは、どんなご関係でしょう」
天井が、一瞬にして鮮明に彼の目に映しあげられた。
いま、なんと!?
大樹は、カーテンを見た。
その向こうから、ほんのさっき聞こえた名前。
それは――大樹の母。
しかも、加害者だと。
「妻…と言いたいんですが…他になんと言えばいいんでしょう」
とつとつとした声。
内容も、変だ。
いや。
変ではない。
隣にいるのは、母の夫になるはずだった男なのだ。
※
隣の取り調べの声が――止まった。
ノックが、鳴ったからだ。
そぉっという気配を、感じる。
「失礼しまーす」
そんな声と共に、貴恵がとととっと入ってくる。
大樹のベッドが奥側なので、途中まではカーテンで姿が見えなかった。
ひょこっと。
その布地から、彼女が現れる。
「そ、そろそろ、少し眠った方がいいんじゃないか? ま、まだ、熱も下がってないし」
隣に、はばかるような声。
それよりも、少し焦るような違和感。
ああ。
なんとなく、大樹は分かってしまった。
くすっと。
布団の上で、目を細める。
自分が焦るより、ずっとずっと、貴恵が大樹のために焦ってくれているのだ。
「大丈夫…貴恵ちゃん」
驚きはしたが、焦ってはいない。
大樹の世界は、格段に広がった。
もう、母しかいない家の中だけの幼児ではないのだ。
あの頃、何度も折れていた心は、外の世界で少しは太くなった。
最初のドアを、開けてくれた貴恵のおかげで。
「大丈夫?」
笑顔の言葉の意味を、計りかねている彼女。
どこまで知っているかは知らないが、無理に大樹に隠す必要はない。
「うん…もう全部知ったから…」
隣に感付かれないように、大樹は軽く顎だけで、隣のカーテンを指した。
貴恵の目が、顎の先を追う。
そして、大樹に戻る。
その眉の――なんと情けないことか。
「もー…人の気もしらないでー」
へなへな、と。
貴恵は、椅子に座り込んだ。
きっと、どう言おうかとか、いろいろ考え込んだに違いない。
大樹を傷つけないように、と。
「ありがとう」
その、気遣いが嬉しい。
「あーもう…ちょっと母さんとこ行ってくる」
よろよろしながらも、貴恵は立ち上がり、病室を出ていく。
大樹は、そんな貴恵に幸せに目を細めてしまったから、隣の取り調べが再開したことに、すぐには気付けなかった。