許される場所
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「あれ…」
大樹は、目を開けながら、違和感を口にしていた。
「あれ、じゃない」
即座に入ったツッコミは、少し高い位置。
それで大樹は、自分が横になってるのを知ったのだ。
ぶらさがる点滴の向こうに――彼女がいた。
「貴恵…ちゃん」
夢の中でも、そんな風に彼女を呼んだ気がする。
交差点の、向こう側にいたような。
顎を軽くめぐらすと、どうやら病院のようだ。
「おかーさんとこよ…細かい手続きは、吉岡さんがしてくれてる」
貴恵の的確な説明に、大樹はほっとした。
吉岡なら、ぬかりはないだろう、と。
人が病院にかかると、記録がかならず残る。
大樹の保険を使えば、隠しようがなかった。
彼はもう、社会的にはあまり公にできない生きものなのだから。
吉岡に用意してもらったパスポートだって、違う人間の名前が書いてあったのだ。
と、考え込んでいると、貴恵の視線を感じた。
じっと、おもしろくなさそうな目。
ああ。
大樹は、すぐに分かった。
「ただいま…貴恵ちゃん」
だるい身体から、熱と一緒に言葉を吐き出す。
「おそい!」
すぐに、ダメだしが入った。
大樹は、困りながらも笑ってしまった。
ああ、貴恵だなぁと。
記憶の中の彼女じゃ、描ききれない本物の匂いがする。
向こうでは、貴恵が遠く遠く感じた。
とても、交わらない線の向こう側にいる気がした。
でも。
ちゃんと、近い。
触れられるほどに。
「貴恵ちゃん」
大樹は、点滴の刺さっている腕を上げた。
「なんだ?」
貴恵が、怪訝に近づく。
その――手に触れる。
「だっ…!」
びっくりした声をあげそうになった貴恵が、はっと口を閉ざす。
ここは、病院。
騒いではいけない場所。
そして。
病人が、ほんのちょっとだけ甘えても――きっと許される場所。
ぎゅっと、手を、握った。