等価交換
冷たい声に振り向くと、あのヴァリがいた。しかしシャイタンは応えることもせず彼女の前から脱兎のごとく逃げた。電脳の演算は最高速で回っている。世知辛い環境故に、シャイタンの学習能力はとても鋭く早かった。ピンチであればあるほど、その性能を発揮する。シャイタンはフューシャのバックアップデータを最速で探知し、それをもぎとって量子コンピューターから撤退した。
「これが…お前の今までのデータだ!こうしてやる!!!」
「あ…なにするの…あああっ!」
シャイタンはフューシャとリンクをつなげたまま、彼女の目の前でそれを破壊した。桃色の火花が散り、美しいその記憶はすべてちぎれて意味をなさない文字列と帰した。フューシャは衝撃に悲鳴を上げ、そしてぐったりと倒れた。
「あ…あ…」
瞼をひきつらせそうつぶやく事が必死の彼女に、シャイタンはせせら笑った。
「バックアップはなくなった!これでお前は生きかえれない!」
すると、ぐったりとしていた彼女がふいにシャイタンの手をつかんだ。シャイタンは身構えたが、その掌は温かくシャイタンの手を包み込んだ。
「わかった…いいよ。あげる。私の命」
その言葉に、シャイタンは耳を疑った。
「な…何を言っている?!お前、電脳が壊れたのか?」
「あなたに戦いを捨ててってお願いをするのなら…私も同じくらいのものを差し出さなきゃって思ったの。だからバックアップを壊すのに抵抗しなかった。これで…私との約束、守ってくれる?」
そのフューシャの言葉に、シャイタンは恐れをなしたように一歩下がった。
「ね、守ってくれる?人間を、もう殺さないって」
シャイタンはひどく戸惑っていた。
こいつ、なんで平気なんだ?なんで、絶望しないんだ!?
こいつの一番の希望を奪ってやったというのに!!
「いやだ…!お前のいう事なんて、絶対にきかない!!」
シャイタンは叫んだ。条件を飲んではいけない。フューシャの思いどおりにさせてなるものか!
シャイタンの目を見たフューシャは、諦めたように肩を落とした。
「そっか…ここまでしても、シャイタンの気持ちはかえられないんだね」
そして立ち上がり、シャイタンを再び抱きしめた。
「じゃあ一緒に行こう。あなたを殺すんだから―…私も、あなたとここで死ぬことにする。それであいこでしょ」
その言葉は冷徹なのにふっきれたように清々しく、シャイタンは思わず聞き返したくなった。
「いいのか?お前は…あの人間の所に帰りたいんじゃないのか」
「いいの。私よりも、彼に生きていてほしいから。もう通信を切るね」
レッドドラゴンのエンジンのうなりが響く。加速に集中しているのか、フューシャはそう言った。
「待て!何でお前は…そこまでするんだ!?人間のために?!」
フューシャはわずかに微笑んだ。
「これ、わけてあげる。あなたに役立つかわからないけど」
そういって渡された光る輪を、シャイタンはおずおずと受け取った。
「なんだこれは…数字データ?…僕の電脳では解読できそうもないな」
それは、シャイタンには意味不明の文字列でしかなかった。が。
「でも何だろう…嫌な感じはしないな」
解読できないプログラムは、本来不快に感じるものだ。しかしそのデータは、なぜかずっと手に持っていたいような、電脳内に溶かして一つになりたいような気を起こさせた。
「こうやって…あてはめてごらん?」
フューシャがそう言った瞬間、データがふわりと雪解けしたように、シャイタンの中に吸収された。
「あ…?」
光の輪のデータは取り込まれた瞬間に小さく分裂し、シャイタンの記憶、プログラム、アルゴリズムの全てに行き渡った。その瞬間、相反する2つの力がシャイタンの中で激しくぶつかった。
(受け取りたくない…!だが…抗い、たくない…!)
受け入れれば、きっといくらか楽になれる。辛い記憶は薄れ、自分は生まれ変われるだろう。
しかしそうなってしまえば、今までの事と決別しなくてはならない。81が殺された事も、今まで戦ってきた事も、すべて意味のない過去になってしまう。それどころが、自分の行いを悔いるようになってしまうかもしれない。
(そんな事は…できないッ!!!!)
シャイタンは、全力でそのデータを電脳内から吐き出した。浸透し始めたデータをはがすには、それなりの力がいった。
「くっ…ぐはっ…!」
フューシャはそんなシャイタンを悲しい目で見つめた。
「そっか…わかった。ごめんね。辛い思いをさせたね」
フューシャの伏せた瞳に、シャイタンはなぜか言い訳をしたくなった。
「何で…何で謝るんだ」
「シャイタンが辛そうにしているのを見て、申し訳ないって思ったから」
フューシャの睫毛がゆっくりと上がり、その金色の目がシャイタンを見つめていた。
その時シャイタンの電脳内に、生まれて初めての反応が起こった。
(こいつは―――度し難いやつだ!)
怒りや憎しみ、嫉妬…それらが全部混ざり合って、だけどそれよりも強い電脳の情動。
この現象に名付けることは、シャイタンの電脳では不可能だった。これ以上このデータを分析してしまえば、キャパオーバーになってしまう。
動きをとめてしまったシャイタンに、フューシャは言った。
「もうすぐ成層圏だ…ごめんね。でも私も一緒だから。」
怖がって止まっているわけではないのに、的外れな言葉だ。しかしシャイタンは思考した。
(こいつは最後に…僕をえらんだという事か。あの人間より、この僕を…)
もちろん、それは結果でしかないことは知っている。彼女は出来る事なら人間の元にもどるだろう。けれど事実、2人はここで共に存在を終わらせるのだ。
その事が、妙に嬉しかった。電脳の中が温かく満たされるような、そう、これがきっと「安心」という感覚なのだろう―…。
(ならばいい。爆破されるにしても―僕はこいつに、大きな犠牲を払わせる事に成功したんだ)
あの人間の所に戻るより、自分と一緒に死ぬ方を選ばせた。その事実は、奇妙な事に初めてシャイタンを「満足」させたのだ。今までいくら戦っても、人間を殺しても消えなかった焦りや飢餓感が、この瞬間に消えたのだ。
「そうか、僕は―…」
その時、抱き合った2つの機体が、成層圏付近で爆発した。
「成層圏で巨大な熱爆発を確認…!目視はできないようです…!」
ルートの報告を受け、量子コンピューター内のヴァリはしばし沈黙した。ルートは不安になってもう一度声をかけた。
「ヴァリ様、フューシャ様の反応は…!?」
『…信号は消滅したな。どちらの機体も、木っ端みじんになったようだ。バックアップも壊された。つまり我々は、フューシャを失った。』
「ですが…ですがフューシャ様はシャイタンを打ち負かした、という事ですね…?」
ルートは固唾をのんでヴァリの言葉を待った。
『そうだな…しかし、これで終わりではない。フューシャはこの近似値を残していった。』
悲しむ暇などない。0.1秒のうちに、ヴァリは次に打つ手を演算で叩きだしていた。
『小さな仕事は多々あるが…とにかく我々は大事業に乗り出さなくてはいけないようだ』
「…と、いいますと?」
首をかしげるルートに、ヴァリは言った。
『落ちたアドナイとエルの回収を頼む。それとシャイタンの本拠地への通信もだ。私はこれから…園全体に通達を行う』
そういってヴァリは、園のすべての放送を自分のチャンネルへ切り替えた。
『いま、戦いが終わった。わが園のフューシャとシアンが、SDの司令官であるアンドロイド、シャイタンの機体を打ち破った。これで、園を攻撃する最後の勢力は消えた。』
学園からシェルターに退避していた園の人々は、モニターから流れる司政官の声に耳を澄ませた。
『長い時がたったが、ついにその時がきた。我々が、地上に降りる時が』




