負けを認めたなんて……!
天幕の中にレダが入ってくると、美味しそうな香りが室内に漂う。
ベッドの横にはサイドテーブルがあり、どうやらそこに夕食を載せたトレイを置いたようだ。
朝食をとって以降、何も食べていない。
思わずごくりと生唾を飲み、お腹がぐう~っと鳴ってしまった。
「……王女様、起きていますか?」
ギクッ。
「野営ですから、王宮で召し上がっていたような、豪華なお食事の提供はできません。黒パン、シカ肉のシチュー、豆のサラダ、アプリコットのコンポート。そんなものしかないですが、作り立てです。温かいうちに食べると、結構いけますよ」
女騎士のレダは、何よりも食べることが好きなキャラクターだった。
ゲームのプレイ中、いきなりレダの動きが悪くなったと思ったら、お腹を空かせていることが多い。そんな時は食料をあげて、気力のゲージを上げる必要があったけ。
「実は。シリルにチョコレートをもらったのです。特別に王女様に差し上げますよ」
「本当か! あっ……」
思わず、上半身を起こしてしまった。
そしてレダの蜂蜜色の瞳と目が合う。
その瞬間、レダはニコリと笑顔になる。
「チョコレートはやはり、魔族の皆様にとっても、珍しいものですか?」
「そ、そうだな。そこら辺で原料となるカカオが手に入るわけでもないし、アビサリーヌは他国と交易はしていない。稀に手に入るぐらいだ」
「そうですよね。それは我々も同じです。ただ、エルエニア王国には港があり、海路での交易路を持っていますから。たま~に、チョコレートも手に入ります」
そう言うとレダは、赤い隊服の上衣からハンカチを取り出す。
広げるとそこには、丸いチョコレートが一粒乗せられていた。
「どうぞ、王女様」
レダはハンカチに乗ったチョコレートを差し出す。
「お、お前は食べたのか? 一粒しかないではないか」
「私のことは気にしないでください。今日は、甘い物よりお酒の気分ですから」
前世ゲームの知識を思い出す。
女騎士であるレダは、騎士としてレディに優しい。
違う。
彼女の気質がそもそも優しいものなのだ。
それは相手が魔族であっても同じ。
「一粒しかないチョコレートを敵に与えるなんて、お前はお人好しだな」
「王女様はもう敵ではありません」
「え……」
「暗黒の国アビサリーヌは、魔王の死をもって、敗戦国になりました。もう敵国ではないです。魔王の死は、アビサリーヌ全土に知らされました。魔法使いの魔法で。魔族たちは軒並み降参しています。最後まで抵抗を続けた南部の都市、レニアへ侵攻していた魔王の右腕と言われるセインも、ようやく敗戦を認めました」
これはドキッとして、手に持っていたチョコレートを落としそうになる。
セインが敗北を認めた……?
誰よりも誇り高い魔族の騎士であり、団長であるセインが、負けを認めるなんて!
前世ゲームをプレイしていた時も、セインが負ける姿は見たくないというファンの声が強かった。おかげで女魔王が倒されても、セインは最後まで抵抗し、女魔王の志を引き継いだ――という形で終わっていた。
それなのに!
この世界ではセインが負けを認めたなんて……!
げ、激レアだわ。
あの高貴な澄ました顔のセインが、敗北を認めた時、どんな顔をしていたのか。
ある意味、見て見たくなる……。
私って、ドSなのかしら。
「大丈夫ですか、王女様、顔色が……悪くならず、赤くなっていますが……?」
それはそうだろう。
セインが魔族の間で英雄視されていることは、人間たちも知っている。
ここは顔色が悪くなるはずなのに、私は頬を高揚させているのだから……。
「チョコレート、いただきます」と誤魔化すように、口にいれ、そして尋ねる。
「それで、セインも私のように捕らえられたのか?」
「いえ、自害したと聞いています」
女魔王の右腕、そして騎士団の団長であり、大変強い魔力を有していたセイン。
アイスブルーの髪に銀色の瞳で、スラリとした長身。
とても高貴な雰囲気を漂わせ、美しい顔立ちをしており、いつも冷静沈着だった。
前世のゲームにおいては、負け知らずで終わったセインは、いわゆる無敗の騎士。
そのセインが、敗北を認め、しかも自害した……?
「嘘。あのセインが自ら命を絶つなんて、そんなこと、するはずがない!」
「嘘ではありませんよ。魔王が自害したと知り、かつ魔王の娘は捕らえられたと知ると、自ら毒を練成し、それを煽ったと報告されています」
「毒……」
セインは幼い頃から毒耐性をつけてきたはずだ。ちょっとやそっとの毒では死なないはず。ただ、自身が練成した毒なら……。猛毒だっただろう。女魔王である私に次ぐ、魔力の強さなのだから。
そうか。
もう、セインはこの世界にいない……。
魔術を使い、ワイバーンを召喚し、逃亡することも考えた。
逃亡したその先にいるのは、セインだった。
セインの元へ行くことが私の目的。
でもそのセインがいないなら、もう私、逃亡する意味がある?
ボタボタと掛け布に落ちた滴を見て、ハッとする。
「……王女様はもしやセインと恋仲だったのですか?」
遠慮がちにレダに尋ねられ、「えっ!」と反応することになる。
それは実に難しい質問だ。
前世の私からすると、セインはあくまで乙女ゲームに登場するイケメンキャラクターだった。
でもヒロインの攻略対象ではないので、恋愛できるキャラクターとして見ていない。
ではこの世界の女魔王オデットから見たセインは、どんな存在か?
記憶をたどるが、どう考えても戦友としか思えない。
もしくは同志。
恋愛感情は……。
そもそも女魔王オデットは、恋愛という感情を持ち合わせているのだろうか?
ヒロインと攻略対象が進む花道に存在する障害物として排除され、恋など知らずに散っていく存在だった。恋愛とは無縁だったと思う。
恋愛とは無縁。
そう思っているのに、なぜか脳裏に一人の少年のシルエットが浮かぶ。
どこかの森で、幼い頃に出会った少年だ。
確か子供のフェンリルを見つけ、その少年と可愛がっていたような……。
サラサラとした髪の感じは……セイン?
突然、成獣のフェンリルが現れて……。
「恋仲ではなかったようですが、親友だったのでしょうか。いずれであれ、元気を出してください」
レダの声に我に返る。
見るとレダは、私にハンカチを差し出してくれていた。
「こういう時、王女様は一人になりたいですか? それとも誰かそばにいた方がいいですか?」
「それは……どういうことだ?」
「ですから友が亡くなった時です」
あ、なるほど、と思う。
セインが自害したのだ。
思う存分一人で泣きたいか、それともそばで支えて欲しいか、ということだろう。
さっき、ボタボタと涙を落とした。
でも今、それ以上の涙は出ない。
なんというのだろう。
心にぽっかり穴が空いた感じだ。
悲しみを超越し、喪失の状態。
なんだか無気力になっている。
だって。
シアとペルも。多くの侍女達も。
名ばかり魔王を演じてくれたルーベントも、沢山の家臣たちも。
みんな、もうこの世にはいないんだ。
叔父のキルは、もしかすると生きているかもしれないが……。
「王女様、分かりました」
何も言っていないのに、レダはそう言うと天幕を出て行ってしまう。
そしてまた一人になった私は、湯気を立てるシカ肉のシチューを見ても、食欲はわかない。
枕にぽすっと頭を預け、ベッドで大の字になる。
セインの自害を知ったら、もう魔族は終わりだ。
今、どこかで戦闘を続けている魔族がいても、降参するだろう。
捕虜となった魔族は、どんな扱いを受けるのだろう?
そうか。
なぜか生き残ってしまったラスボスの私がすること。
それは捕虜になった魔族の開放や待遇改善、罪の軽減ではないのか?
「ミャー」「!?」