即死亡は嫌だ。
「じゃあ、これ、明日までにやっておいて」
「あそこの会社、いまだ企画書は紙で寄越せって言うのよ。印刷しておいて」
「あー、企画書? ごめん。忙しくて見ることができていなんだ」
大学を卒業し、今のIT会社に入社して五年。
いまだアシスタントという立場で、先輩社員の雑用を任されている。
雑用……とは思わないようにしていた。
それでも時々、「これから飲み会だから、やっておいて」とか「こういうの得意だよね? お願い」と明らかに先輩自身がすべき業務を振られることもあったが、それは「あ、はい……」と受けていた。
その一方で、自主的に企画書を作成し、先輩に見てもらおうとするが、時間がないと後回しにされ……。
それでも先輩たちの要求に応えれば、いつかは一人前になれる。
そう信じていたけど……。
「アシスタントの小夜見さん、あれ、使い勝手いいよな。笑顔で頼めば、ほいほいなんでもやってくれる。エッチなこと頼んでも、喜んでやってくれそう」
「やだー、それ、セクハラですよ~。それに絶対、彼氏いない歴=年齢っぽいから、責任とれって迫られると思いまーす!」
「うわぁ、怖っ! 面倒」
先輩社員の自分への評価が最低なものだと分かった時。
もうこんな会社、辞めてやるとビルを飛び出していた。
スマホを握り締め、早歩きで歩道を進んでいると。
通知音が聞こえた。
いつもはちゃんと音はオフにしているのに。
スマホの画面を見ると、そこに出ていた通知は……。
乙女ゲーム『君に捧げる恋~愛と平和をゲット!~』のイベント開始の通知だ。
当時の私がハマっていたスマホゲーム。
思わず歩きスマホをしてしまったまさにその瞬間。
急ブレーキをかける音と、ドンという衝撃と激痛、そして脳裏をよぎる「あ、死ぬ」という言葉。
私、交通事故で死んだんだ……!
そう思うと同時に、唐突に目が開いた。
夢を……見ていたの……?
目が覚めた私は、ベッドに横になっている。
見上げると布の天井が見えた。
天幕の中にいる……?
起き上がり、そこで思い出す。
自分が何者であるかを。
私の名はオデット・ルネ・デスローズ。
暗黒の国アビサリーヌの女魔王……って、え、それって、乙女ゲーム『君に捧げる恋~愛と平和をゲット!~』のラスボスでは!?
『君に捧げる恋~愛と平和をゲット!~』は、金髪碧眼のビスクドールみたいなヒロイン、フィオナに扮し、魔王討伐パーティーのメンバーとの恋を楽しむ。王道の勇者は勿論、美貌のエルフの騎士。さらには女騎士もいて、なんと百合展開もあり。そして魔法使いを攻略すると、彼はイケオジからおじいちゃんまで、その姿を自在に変えてくれる。一人で二粒美味しい攻略対象と人気だった。
そんなヒロインと攻略対象がゴールインする前の最後の試練として立ち塞がるのが、女魔王オデット・ルネ・デスローズ! 男魔王として登場していたが、最後の最後で女魔王であることが判明する。プレイヤーはみんな、初回プレイでこのサプライズ設定に度肝を抜かれるのだ。
え、なんでそのラスボスであるオデットなんかに転生しているの、私!?
乙女ゲームへの転生は、悪役令嬢が主流? 次いでモブ、稀にヒロイン。ラスボス転生は……激レアだと思う。
というか私……女魔王であることはバレず、でも魔王の娘、王女オデットとしてエルエニア王国に連れて行かれることになった。女騎士レダから逃亡を企てたけど、魔術を使えないから、全く歯が立たなくて……。そうだ、そこで馬車に押し込まれた時。レウェリンという魔法使いが現れ、拘束魔法をかけられたんだ!
そこで手を見るが、普通に動かすことができた。
拘束魔法がかけられていない……!
どうして拘束魔法がかけられていないのか、その理由は不明。
もしかすると突然具合が悪くなり倒れたので、逃亡の危険はゼロと思われたのかもしれない。
そこで気が付く。
あ、あれ……?
あ、そうしたら魔力を抑制しているペンダントを外せば、逃げることができる!
だが首に手を振れると、そこには触り慣れたペンダントの鎖は感じられない。
そこにあるはずのペンダントはなく、代わりに指に触れたのは、レースのチョーカー?
指でなぞると繊細なレースだと分かる。
さらに硬い塊を感じ、宝石も飾られているのだと理解した。
確認すると、ドレスではなく、白い綿の寝間着姿。それなのにこんなチョーカーを首につけているなんて。変だと思ったが、ペンダントがないなら、魔力が解放され、魔術が使える。
身分を偽り、侍女として王宮から逃げ出し、右腕であるセインとの合流を考えていた。セインと合流した後は、残りの魔族がどれぐらいか掌握し、一度地下に潜るか、それとも再起をかけ決戦を挑むか。セインと話し合うつもりだった。
だが女魔王であるとバレていないが、魔王の娘、王女と思われている。敗戦国の王女の末路なんて悲惨なものしかない。処刑、奴隷、政略結婚、人質として幽閉……。とにかく利用されるだけ利用され、不要になったら処分だ。
ならばもはやここでぐずぐずしている場合ではない。
女性の魔族でありながら、私は魔術を使えるのだ。ならば逃げるのみ!
そう思ったが、一旦クールダウンすることにした。
つい、王女オデットとして行動しようとしてしまったが。
私は前世の記憶を持ち、ゲームプレイヤーとして、この世界の知識がある。
その知識は役立つ……いや、役立たない!
だって女魔王はラスボスとして、ヒロインの攻略対象から倒される。
それをもってしてゲームクリアだったはず。
ラスボスが生きている展開なんて、ゲームでは存在しない。
これでは前世の記憶なんて、意味がなかった。
例えばもし、もっと前に、覚醒していれば。
まさに黄金のドラゴンの像を見たその瞬間に「これはトロイの木馬だわ!」と分かれば、魔王城の中にあれを運ばなかったのに。
前世の記憶を取り戻すがの、とにかく遅すぎる!
そう頭にきたものの。
転生してしまい、私が王女オデットであることに変わりはない。
そうなると悲惨な末路を回避するため、ここはやはり魔術を使うべきだろう。
女魔王であるオデットが使える魔術。ゲームでの記憶を思い出す。
その魔術では、炎と闇を操り、魔物を召喚し、毒を練成できた。しかもそのレベルは最大級。この世界を炎ですべて焼き付くし、闇一色に染め上げることもできる。最上級の魔物を召喚し、人間をこの世からすべて消し去ることもできると思う。練成した毒は、つまようじの先ほどの量でも、口にすれば死亡確定。
というか、これだけ強いなら、とっと魔術をオデットが使えばよかったのではないの?
と思うがそうは問屋が卸さない。これだけハイスペックだが、勇者にしろ、エルフにしろ、魔法使いにしろ、ドワーフにしろ。束になって女魔王に迫る時、彼らは無敵であり、一撃必殺となり、回避不能などのバフがてんこ盛りになるのだ。つまりはどうしたって女魔王が魔術を使う時は、その先に敗北しか待っていない……。
まあ、仕方ないよね。
それが乙女ゲームだから。
バトルゲームではなく、ヒロインとのゴールインが目的なのだから。女魔王は絶対に敗北してもらわないといけない。どんなにハイスペックな魔術を使えようと、ゲームの神様はヒロインとその攻略対象に微笑む。
そこで考えてしまう。
今、ちょっとでも魔術を使ったら、どうなるかを。
ここは天幕で、今、私は一人。だが、間違いなく、周囲には魔王討伐パーティのメンバーがいる。
魔術を使った瞬間に、パーティのメンバーが現れ、無敵・一撃必殺・回避不可能攻撃を始めたら……。
即死だ。
お終いだ。
転生してもう何十年も生きているが、前世記憶の覚醒は、ついさっき。
いきなり異世界転生を自覚し、即死亡は嫌だ。
生きたい……!
そこで考える。
攻撃するような魔術はダメ。使えば察知され、撃退される。
でも召喚は?
雑魚クラスの魔物を召喚するぐらいなら、許されるのでは?
そうだ、それぐらいなら、大丈夫……と思いたい。
……。
不安は拭えない。
分かった。いきなり召喚は止めよう。
召喚に必要な魔法陣だけ、出現させるなら……。
そこでベッドから起き上がり、天幕の入口から外の様子を確認する。
既に夜になっており、あちこちに天幕が見え、焚火の炎や煙が見えていた。
煮炊きをしている香りが漂い、夕食時なのだと理解する。
気絶した私を乗せた馬車は、八時間程進んだ計算か。
となると、既に魔王城は遥か遠く、ここは暗黒の国アビサリーヌと、人間が住むエルエニア王国の国境近くだろう。そこは鬱蒼とした森が広がるエリアだった。
動き回る兵は沢山いるが、皆、のんびりしている。
それはそうだろう。
魔王は自害していた。つまり魔王討伐は完了だ。
沢山の宝物を奪い、魔族の女性も手に入れた。
この後、夕食では酒が振る舞われ、大宴会だ。
そうか。
酒が入った状態なら、動きがみんな、鈍くなるはず。
今はこのまま体力を温存し、宴会が始まったら、魔法陣を出してみよう。
もし魔物の召喚が可能なら……。
ワイバーンを召喚し、セインのいる南部の都市レニアへ向かおう。
「!」
女騎士のレダが、トレイを手に、こちらへ歩いてくるのが見える。
多分、私の夕食を用意してくれたのだと思う。
慌ててベッドに戻り、寝たふりをすることにした。