無敗の彼が己に負けたなんて
セインの遺体が王都に運び込まれる。
そう聞いても現実感が伴わない。
セインに関する記憶は沢山あるが、その思い出の中に、彼の敗北につながるようなものは……何一つない。誰と剣の手合わせをしても、必ず勝ってしまう。狩猟大会でも、どんな獲物も倒していた。
負け知らず。
無敗。無敵。最強……。
セインの不敗神話は、魔族であれば誰もが知るもの。それはシリルが言う通り、人間でもそうなのだと思う。
その彼がもうこの世にいない。
毒を飲んで自害した。
敵なしと言われたセインが、自分に負けた?
どうしても信じられなかった。
「……大丈夫か? ミルトンに頼み、癒しの力を使ってもらおうか?」
シリルの空を映したかのような瞳。
それを見るだけで心が落ち着く。
黄金を思わせるシリルの髪。
魔族は黄金を見るとどうしたって気持ちが昂る。
黄金の髪で興奮するのに、その瞳で鎮静化する――不思議な事態が、魔族の私の体で起きていた。
「ご指摘の通り、セインは暗黒の国アビサリーヌの騎士団の長。当然、知っている。会ったこともあれば、会話だってしたことがあり……。だからだろうか。あのセインが毒で自ら命を……これがどうしても信じられない。無敗のセインが己に負けたなんて……」
「つまり彼の死を、まだご自身の中で、受け入れることができていないのだな」
「そうなのだと思う。……セインのことを知っているのに、涙が出ない」
私の言葉を聞いたシリルは、とても心配した顔になっている。
しばし考え込み、そして私に尋ねた。
「セインにも会うか?」
「え?」
「報告によると、毒により自害した彼の体は傷一つなく、まるで眠っているかのようで。それでいて彼に触れようとすると……。彼の飲んだ毒が余程なのだろう。セインの体からは、毒が発せされているのか。触れた者は命を落とす」
なんて恐ろしい毒なのか。飲んだ者の命を奪うだけではなく、その後も猛威を奮うとは。しかも毒の影響なのか、その体は腐敗することもなく、本当に生きている、まだ寝ているようにしか見えないというのだ。
「本来であれば、現地にて丁重に弔い、墓地に埋葬する。だが現地にいるエルフによると、その体を燃やせば、煙と共に毒が広がり、多くが命を落とすというのだ。では土葬したらいいのかというと、土が毒に汚染され、雨などを通じ、土地全体が毒に侵されるとのこと。仕方ないので王都へ運び、大神殿に安置し、そこで浄化を試みることになった」
「なるほど。そのような猛毒をセインは飲んでいたのか。だが申し訳ない。そこまでの猛毒、私も……聞いたことがない」
私の言葉を聞いたシリルは、ふわっと髪を揺らすような微笑を浮かべた。
秀麗だった。
「オデット王女。あなたに毒の正体を突き止めてもらうために、セインの遺体と会うことをすすめたわけではない。触れることはできないが、その姿を見れば……。いえ、見てはまだ生きている、眠っているように思えてしまうだろう。ですが声を掛け、無反応であれば……。彼の死を実感できるかもしれない。そうすることが必要なのかどうか、それはオデット王女、あなた次第だが」
シリルの気遣いに改めて思う。
これは私が彼の婚約者だから配慮してくれたのだろうか?
それは……違うだろう。
自身の意志ではなく、国の安定のために、私と結婚することを決めただろうから。よってこの提案は、彼の善性に基づくものだろう。
そしてシリルに問われた私は、しばし考える。
セインの姿を見て、声をかけ、反応がないことを目の当たりにしたら……実感できるのだろうか。彼の死を。それはやってみないと分からない。ただこれだけは言える。
セインは、女魔王だった私の右腕だった。私を助け、支え、共に生きてくれた。その彼の遺体がこの王都にやってくるのに、会わないという選択肢なんてない。私が彼の死を受け入れることができようができまいが、これまでの彼の忠誠に応える必要がある。花の一輪でも手向けずにはいられない。
よってシリルの問いへの答えは――。
「王都にセインの体が到着したら会わせて欲しい」
そう答えたところで、昼食の時間が終了となった。
シリルは午後も会議があるので、切り上げることになったのだ。
「また時間を見つけ、会いに伺う」
そう丁寧にシリルは言うと、私の手をとり、実に優雅にお辞儀をすると、庭園から去っていく。
その後ろ姿を見送った後、レオンを連れ、部屋へ戻ることを考えたが。
セインの毒の件が気になった。
そこまで強力な毒を、セインはどうやって練成したのか。
もしくはなんらかの毒を、魔術で強化して飲んだのだろうか?
気になる。
そこで侍女に相談し、王城内にある図書館へ案内してもらうことにした。
そこは勿論、動物は立ち入りできない。
レオンは可哀そうだが、お留守番だ。
こうして図書館に連れて行ってもらうと……。
図書館のイメージは「静か」。
だが今、目の前では大勢の人が忙しそうに動き回っている。
職員は一律黒のスーツ姿だ。
「今日は図書館で何かあるのか?」
「いえ、図書館は通常、人の数も少なく、落ち着いているはずなのですが……」
侍女の言葉に、職員のそばにあるカートを見て、私はハッとする。
「これは……」
カートの中にどっさり入っている本。
見たことがあると思ったら、それは魔術に関する本だ。
他にも魔族、魔獣などに関連する本もある。
「なるほど。魔王城にも図書館があった。そこから魔術・魔族・魔獣などについて書かれた本を持って来たということか」
私の指摘に侍女は、困った顔をするしかない。
魔王の娘という立場からすると、魔王城を荒らされたわけで、由々しき事態だ。
「!」
見ると禁書と呼ばれる類の本まで、無造作にカートの中へ入れられている。
魔術を使えるのは魔族だけ。
しかも基本的に魔力を持つ男性魔族しか使えない。私を除き。ただし今の私は、首につけたチョーカーにより、魔術を使えない状態だが。
故に禁断の魔術について書かれた禁書がここにあっても、問題は――ないと思ったが。
少し離れた場所に、見慣れたシルバーグレーの髪が見える。いつも好んで着ている黒緑色のローブからも、それが誰であるかすぐに分かった。
「叔父上!」
私の声に、キルがゆっくりこちらを振り向く。
シリルがキルに会えるよう手配してくれると言っていたが、思いがけず再会できた。
キルはルビー色の瞳に私の姿を捉えると、笑顔になった。
「オデット! 元気そうで良かったよ。そして婚約、おめでとう」
キルが笑顔になる。
魔力を使い、若さをキープしているキル。
その姿は、叔父というより、兄にしか見えない。
そのキルの笑顔は、近くにいる職員の女性の顔を赤くさせている。
そんなキルの元へ、私はゆっくり歩み寄った。
「ありがとうございます。叔父上も、ご無事で何よりだ」
なぜ図書館に?と尋ねようとしたが、彼が手に持つ本を見て理解する。
それは魔獣に関する禁書だ。
禁書は閲覧に制限がかけられ、手続きも面倒だった。
でもここにある魔王城から持ち込まれた書物は、現状手続きなど不要そうだ。なんなら魔術でちょろまかすこともできる……かと思い、チラリとキルの首元を見る。
王都に屋敷を与えられ、爵位を得ても、魔力は抑えられているようだ。
つまりキルの首にも、黒革製のチョーカーが見えた。
魔術は使えないが、キルは自由を与えられている。
普段、なかなかお目にかかることがない禁書も見放題だと、図書館へ足を運んだようだ。
「叔父上。必要な本は手に入ったか?」
「はは。バレたか。……まあ、禁書の中には、本当に危険なものがある。ここは人間の王様の直轄する場所で、悪者はそう簡単に足を踏み入ることはできない……ということは理解できているが。何が起こるか分からないからな。人間の手に負えなさそうな禁書は、私が預かることにしたのさ」
善意のみで、悪意はなし?
キルは、見た目はハンサムな男。
しかも柔和な笑みを浮かべ、優しそうに見える。だが、それでも魔族だ。
何か打算的な考えもあるかもしれないが……。
それが何であるかは、懐に飛び込んでみないと分からないだろう。
「叔父上、少し話す時間はあるだろうか?」