もう後戻りはできない
「ありがとう。私の疑問もこれで解消された。……シリルには悪いことをしてしまった」
「! 分かっているじゃない! 悪いことをしたと思うなら、今からでも遅くないでしょう。『プロポーズは申し訳ないが、お断りする』って言いなさいよ!」
「それはできない」
即答した。
すると一瞬、ぽかんとした令嬢が、声を絞り出す。
「な、どうしてよ! シリル様に迷惑をかけているって、分かるのでしょう!」
「それは承知だ。だが、既にあれだけ大勢の前で、プロポーズを受けた。今さらなかったことになどできない。それこそ、平和の象徴のはずが、不穏の象徴になってしまう。本当は無理矢理、プロポーズを受け入れたのでは……そんな風に魔族の残党が考えれば、魔王の娘である私を担ぎ、再起をかけた戦争を始めるかもしれない」
「そんなことを言って、あのシリル様に愛のない結婚をさせるの!?」
令嬢の泣きそうな青い瞳を見て、理解する。
彼女はシリルのことが……好きなのだろう。
「失礼だが令嬢。あなたはまだ名乗られていない。あなたは私を知っているようだが、私はあなたを知らない。お名前を聞いても?」
名を名乗るのは、初対面に対する相手への最低限のマナー。令嬢はハッとして、唇を一度噛みしめ、悔しそうに名乗る。
「私はヴィヴィアンヌ・エミー・デヴォン。デヴォン伯爵家の長女よ。シリル様とは幼なじみ!」
ヴィヴィアンヌ・エミー・デヴォン。
シリルの幼なじみ。
あ、悪役令嬢!
ヒロインではなく、なぜラスボスの私に悪役令嬢が絡んでくる……?
違うな。
ラスボスの私に絡んでいるわけではない。
ヴィヴィアンヌはシリルが好きだから、彼との結婚が決まった私に文句を言っているのか。
エルフのミルトンをヒロインが攻略対象に選んだ時も、悪役令嬢であるヴィヴィアンヌはその恋路を邪魔するが、それはちょっと特殊。「異種族との結婚なんて、幸せになれない。価値観が違うわ」という、ヒロイン想いの理由で、二人が結ばれるのを阻止しようとする。
つまり乙女ゲーム『君に捧げる恋~愛と平和をゲット!~』の悪役令嬢は、そもそもとしてちょっと変わっていた。
変わっているといえば、私が知る悪役令嬢ヴィヴィアンヌとは、外見も違う。本来の姿はストロベリーブロンド、ピンク色の瞳のはずだ。
もしかすると、シリルとお揃いの姿になりたかったのか……?
あ、ああ、そうか。
ミルトン攻略ルートでは、ヒロイン想いのヴィヴィアンヌだから、フィオナの容姿を真似したのか。好きな相手とペアコーデする感覚。多分髪はかつら、瞳は魔法使いを頼った。
しかしヒロインとミルトンのハッピーエンディングの後で、こんな風に絡んでくるとは。
正直、攻略完了になった後、選ばれなかった攻略対象と悪役令嬢については、ゲーム内では触れられていない。いや、違うな。通常なら悪役令嬢は、断罪されているはず。ミルトン攻略ルートでは、ヒロイン想いが度が過ぎ、犯罪に手を染めてしまうからだ。
やはりラスボスの私が生き残っているくらいだから、この世界は実にイレギュラー。どうして断罪されているはずの悪役令嬢がここにいるのかは……分からない。何より、ミルトン攻略ルートで悪役令嬢がシリルを好きだという設定はなかった。
もしやヒロインとミルトンとの婚約はウエルカム、悪役令嬢自身はシリルに想いを寄せていた……なんてゲームではありえない状態だったりするのだろうか? ……これが正解なのかもしれない。
だがヴィヴィアンヌに説明した通りで、今さらこの結婚話は覆せない。ならばこう言うしかないだろう。
「個人的な気持ちとして、シリルに政略結婚も、愛のない結婚もさせたくない。だが決断したのはシリルだ。その件に関して文句があるなら、シリル本人に伝えればいい」
「な……、逃げるの?」
「逃げではない。私としてはこの結婚話、もう動き始めたので、どうにもできないと思っている。何よりこの国で、私の立場は弱い。風前の灯火であることは、ヴィヴィアンヌ伯爵令嬢、あなたが一番よく分かっているはずだ」
私の言葉にヴィヴィアンヌは、恨めしそうな顔でこちらを睨みつけている。
「この話を撤回して欲しいと考えるなら、私ではなく、国王陛下かシリル自身と話すべきだと思う。だが国王陛下と話すことは、敷居が高い。そうなるとシリルと話すしかないのでは?」
これにはヴィヴィアンヌは何も言えない。
理論に綻びはないからだ。
そこでヴィヴィアンヌは「ふんっ」と鼻をならし、踵を返す。
侍女二人を連れ、結局ヴィヴィアンヌは立ち去った。
ヴィヴィアンヌと別れ、部屋に戻ってから、レオンを受け取りに行った。
レオンはどう見てもただの子猫。
だが拾ったということで、一応魔獣ではないか、その確認をする必要があった。さらに病気をしていないか診察し、ノミも除去してくれるというのだ。
前世で実家の庭に頻繁にやってきていた野良猫が、いつの間にか我が家の猫になっていたことがある。
それは冬の寒い日で、雪もちらつき、我慢できなかったのだろう。その野良猫が居間に勝手に入り込んだのだ。そこから家の中にいるのがデフォルトになり、用事があると外へ出るようになった。気がつけば我が家の飼い猫だ。
そうしてその猫を飼い始め、初めてノミを肉眼で見た。
猫の首のあたりで、ピョーン、ピョーンと飛んでいたのだ。
ということでレオンはまだ子猫だが、ノミは……いるだろう。ノミのことなんてすっかり忘れていたが、とってもらえるなら、それに越したことはない。
こうして預けていたレオンを受け取りに行くと。
「魔獣ではなく、ただの子猫でした。ノミも除去し、入浴も行い、ブラッシングも済んでいます。餌も既にあげていますので、このままお連れ頂いて問題ありません」
王宮には獣部という部門があり、そこで女性の職員からレオンを受け取った。
「ミヤァ」と久々に再会したレオンは私に甘えてくれる。長い毛はふわふわになっており、尻尾もふさふさ。部屋に連れ帰り、レオンと共に寛いでいると……。
「シリル様からご連絡です。庭園に昼食を用意させるので、一緒にいかがですか、とのことです」
部屋に来たシリルの従者の言葉に、ノーの選択肢なんてあるのだろうか?と思う。もう婚約しているのだから、特段の事由がないと、断れないだろう。よって「分かりました」と伝えてもらうことにした。
ヴィヴィアンヌに声をかけられる前。
なぜ私と結婚を?と考え、本当に私が好きなのか、シリル本人に確かめたいと思っていた。だがヴィヴィアンヌと話すことで、盛り上がった気分はクールダウン。さらになぜ結婚話が出たのかも、私自身、よく理解してしまった。それにどの道、もう後戻りはできないのだから、「あーだ、こーだ」と追及する必要はないだろう。
私についてくれている侍女が従者を見送り、その後はニュースペーパーを用意してもらい、目を通した。
暗黒の国アビサリーヌは崩壊したが、各地で魔族は動いており、特に北部では強く抵抗しているという。「魔王とセインを死に追いやった人間に報復を」――各地で激しい抵抗が続いていた。特に怒りが高まっているようで、残虐行為も際立っているという。これは頭の痛い話だ。
シリル達は、北部へ派遣される可能性が高いだろう。
そこでふと思い出す。
この王都へ連れてこられた魔族は私だけではないはずだ。「捕虜」という扱いで、他にも魔族が連行されていると思う。だがこの王都へ向かう道中、彼らと私は完全に切り離されていた。つまり接触はない。
ただ、それは仕方ないことでもあった。
シリル自身の魔王討伐パーティーは、エルフのミルトン、魔法使いのレウェリン、女騎士のレダ、そしてドワーフのストーンズと五人しかいない。だがシリルが率いたエルエニア王国の兵は、五万近かった。ドワーフのストーンズと二万の兵は魔王城に残り、戦後処理に当たっているという。
よって残りの三万近い兵と共に、この王都へ戻ったのだ。連行された魔族と私が顔を合わすことがなかったのは……仕方ないだろう。恐らく先頭を進むシリル達と最後尾では、野営しているエリアの地名が違っている可能性だってあった。
だが叔父のキルが、私は魔王の娘であると、シリル達に伝えたのだ。情報を引き出された後、害された可能性は……ゼロではない。気になるが、さすがに侍女では分からないだろう。
元女魔王のオデットにとって、残された唯一の親族は、このキルだけ。
キルがどうなったのか、シリルに尋ねてみよう。
これでシリルと昼食をとる意味もできた。