15
夜の市場で迷子になって、危うく売られてしまうところだったのが知られてしまって。ダーリャは女王様にとても怒られた。
「愛を探していたのですって、ダーリャ?」
「はい。……あのお姉様が海を捨ててしまうくらいだから、とても素敵なものなんじゃないかと思ったんです」
「困った子ね……」
珊瑚でできた玉座のある女王様のお城。海の真ん中、人間たちには絶対に見つかることがない静かで綺麗な青い洞窟。でも、女王様とふたりきりでお話するなんて初めてだったからダーリャはどうにも落ち着かなかった。
そんなダーリャを女王様は手招きして、そっと抱き寄せて髪を撫でる。
「恋なら幾らでもすれば良いの。恋も愛に似ていて美しくて楽しいから。着飾って歌って微笑んで一時の夢を見て夢を見させて――そして、夜が明けたら海に戻ってくるのよ」
「でも、愛と恋は違うのですよね……?」
恋が楽しいということは、お姉様たちからも聞いている。ダーリャのような子供ではなくて、お姉様たちが夜の市場に行くのは恋をするためでもあるというから。あのお姉様、しばらく見ないなあって思っていたら、いつの間にか帰ってきて、お姉様たちの間で何だか楽しそうに話しているのを、ダーリャも何度も見たことがある。そうしてしばらくすると新しい妹が増えて。いつも変わらない海の――人魚の世界の、たまに起きる変化だった。
「ええ。愛は恋よりも怖いのよ。まるで毒のようでさえある。一度愛を知ってしまうと、もう他のことが考えられなくなってしまうの。海のことも、仲間のことも。……あの子も、それで行ってしまった」
「そう、なんですか……」
月牙が言っていたのと違う気がするけれど、でも、女王様の言うことだからダーリャは口答えなんかしなかった。それに、よく考えれば同じことなのかも。月牙はずっと彼女のことだけを考えているようだったから。
「私はあなたたち皆が大好きなの。だからいなくなったりしたらイヤよ。夜の市場に行っても、もう愛なんか探さないでね?」
「分かりました、女王様」
ダーリャも女王様が大好きだ。お姉様たちも、海も、海の生き物たちも。別れてしまうなんてイヤ――だから、女王様の腕の中で小さく、でもしっかりとうなずいた。少なくとも、その時は。
ダーリャがふわふわと海の中を漂っていると、鮫のカルカロが近づいてきた。
「よう、売られちまうところだったんだって?」
「――そうよ。近づかないでよ。血なまぐさいから」
鮫なんかにまで知られていたのが悔しくて、それにカルカロの牙の間から赤い血が漂ってくるのが汚らしくて、ダーリャはつんと顔を背けた。きっとまたアザラシでも食べてきたところなんだろう。それでお腹がいっぱいになって気が大きくなって、子供の人魚をからかおうとでも言うんじゃないかしら。
「まあ、そう言うなって」
でも。鮫はダーリャがよけた方にすいと回り込んで、またにやにや笑ってる。きっと、ダーリャのことをバカな子だと思ってるんだろう。鮫たちは、愛はもちろん、恋だって知らない。食べることしか頭にない連中なんだから。
「叱られたって聞いたからさァ。良いものを探してやったんだよォ。機嫌を直せよォ」
「あんたが黙れば直るわよ」
また別の方に泳いでいこうとしたのに、今日に限ってカルカロはしつこかった。
「人魚はきらきらしたのが好きだろうがよォ。ちょっと見てくれよォ」
「きらきら、ね……」
ざらざらした鼻先でつつかれて顔をしかめながら、でも、ダーリャはほんの少しだけ興味を惹かれた。何か、流れ着いた宝石でもあったのかしら。鮫には食べられないけれど、人魚なら、と思ってくれることだってあるのかも。
「じゃあ、連れてってよ。つまらないものだったら承知しないから!」
「おう、絶対気に入るぞォ!」
カルカロが得意げにダーリャを案内したのは、崖の下で波の動きが複雑なところだった。確かに色々なものが流れ着いては岩の間に挟まっていたりするところだけど、本当にダーリャが気に入るようなものがあるのかしら。
「ねえ、どこなの?」
鋭い岩にぶつからないように尾ひれを細かく動かしながら、ダーリャはカルカロに尋ねた。
「それだ! 人魚の手なら取れるだろ?」
鮫の鼻先が指したのは、岩に線のように走った隙間だった。真黒なところから、確かに輝きが漏れているような気もする。――これは、宝石なんかの輝きじゃないわ。何かもっとまぶしいもの、それ自体が光を放つものじゃないかしら。この、金のような銀のような不思議な光は、どこかで見たような気もする。そう、これは女王様の鍵の色。真珠を採る時に何度も見たから間違いがない。でも、女王様が鍵をこんなところに流してしまうはずはない。
じゃあ、これは何なのかしら。
どきどきとわくわくが混ざった不思議な気持ちに駆り立てられて、ダーリャはそっと岩の隙間に手を伸ばした。すると指先に触れるのは、硬く細い棒のようなもの。指に触れる感触だけで、細かな細工が施されていると分かる。これは、やっぱり――
「夜の市場の鍵だわ!」
それを完全に引っ張り出した時、ダーリャは思わず叫んでいた。女王様の真珠貝の鍵以外のを見るのは初めてだったから。ずっと海に沈んでいたのでしょうに錆びてしまうこともなくて、全体が月のように輝いて、散りばめられた宝石は星のようにきらめいている。
「どうだ、やっぱり気に入ったろォ!」
カルカロが嬉しそうにぐるぐると泳いでいるのも、もう目に入っていなかった。これがどんなに大事なものか、鮫なんかに分かるはずがないもの。心臓がどきどきして、息が止まりそうなこの気持ち――誰にも分かるはずがない。
これは、ダーリャの鍵。ダーリャだけの鍵。この鍵を使えば、好きな時に夜の市場へ行けるはず。
行ってどうするのか、何を買うのか、ダーリャにも分からなかったけど。少なくとも、鉱石西瓜がまた食べたいというだけじゃないはず。月牙にまた会いたいのかもしれないし、月牙の彼女にも会ってみたいのかも。それとも――女王様にはああ言われたけど、やっぱり愛を探してみたいのかしら。
「――ありがと! とても、気に入ったわ!」
何だかはしゃいでいるカルカロにひと言投げて、ダーリャは目いっぱいの速さで泳ぎ出した。嬉しいような、何か悪いことをしているような、よく分からない気持ちで胸がいっぱいになって、泳がずにはいられなかった。
ただ、その間も輝く鍵をしっかりと抱きしめて。絶対に、誰にも見つからないようにしなきゃ、と自分に言い聞かせていた。
次の満月の夜には、自分で鍵を開けるのよ。
あのかちゃりという音が、ダーリャには待ち遠しくてたまらなかった。
今話で「水底の鍵」のエピソードは終わりです。
次回はまたパットとおばあ様のエピソードに戻る……予定です。
「この作品は○か月以上~」が出る前には投稿したいと思いますのでお待ちくださいますようお願いします。