第7話 先輩の先輩
「先輩。大丈夫ですか」
「来るな。大丈夫だ」
マウンドに駆け寄る政を制する福野。
6回裏の広島工科大学の攻撃。1番の木暮にセンター前へのヒットを許し、2番の島崎には送りバントを決められて1アウト2塁。相手も南長州大学の勝ちパターンには先行逃げ切りしかないことが分かっているようで、確実に1点を奪いに来ている。
『3番、指名打者、細野』
打順はここからクリーンアップ。いくら相手が格下の3部リーグとはいえ、十分に一発のある打線であることは間違いない。キャッチャーの小林がタイムを掛けてマウンドへと駆け寄っていく。
「まぁまぁ、せっかく三好も心配しとんじゃけ、あんましツンケンしんさんな」
「小林さん。擁護してくれているのは嬉しいですけど、もはや何弁ですか? それ」
山口と言う土地柄、広島弁・博多弁の影響は受けるのだが、それにしても小林のしゃべり口調が山口弁を主軸とした広島弁・博多弁のチャンポンとは思えない政。
「こっからクリーンアップ。しっかり抑えていくっちゃ」
「そ、そうだな」
肩を軽く2回転ほど回す福野。これだけ緊迫した試合展開だけに、投球数以上に体へと負担がかかっているようである。それを象徴するかのように、4回までで福野が許した出塁はヒットによる1つのみ。一方で5回以降の出塁は、2安打、死球1、敬遠1で4と、ここにきてかなりのペースで出塁を許しているのだ。
小林は、そろそろ引き際ではなかろうかと、ベンチへさりげなくアイコンタクト。監督の3回生河嶋はその意図を読み取り、他のピッチャーへ準備する様に指示を出す。
「とりあえず、この回は無失点を目指すっちゃ。三好、内野の要として、任せるからね」
「はい。で、今のは『任せるっちゃ』じゃないんですね」
「任せるっちゃ。の方が良かった?」
「いえ、別にそう言うわけでは」
小林先輩の方言の法則が分からない政。
「そういうわけだし、バックもしっかり守ってくれるから、腕をしっかり振ってな」
グローブでハイタッチして分かれるバッテリー。マウンド付近にいた政は、それを合図に元の守備位置へと戻っていく。小林も元の位置に戻ってしゃがみこみ、ピッチャーの肩を過剰に冷まさないよう、素早くサインを送る。
『(このバッターは指名打者。ここまでヒットはないとはいえ、打撃だけでレギュラー張れているレベルだし、気を付けておいた方がいいっちゃ)』
小林のサインに頷いた福野。セットポジションに入ると、そのまま数秒間の制止。小林が少し首をかしげたのを合図に振り返り、また、ショートの政も2塁カバーへと駆ける。
「セーフ」
さすがに1番を打っているだけに大きなリードへの牽制も、割と余裕のセーフ。牽制の本来の目的は、ランナーを殺す事より、スタートを遅らせる事。別に刺せない事は問題じゃない。
「ナイケン、ナイケン」
「うるさい」
「ひどっ」
なぜか先ほどから福野に弄られ続ける政は、ボールを投げ返す。
『(そろそろ、っちゃね)』
ミットを強く叩いてど真ん中へと構える小林。セットポジションに入った福野。わずか1秒程度。制止したと言えばした程度の制止から、モーション始動。クイックモーションからの1球は、インコース低めいっぱいへのストレート。
『(OK。要求とは違うけど結果オーライっちゃ)』
長いタイムからの投球で完全に焦れていたバッターは、打ち気にはやってホーム寄りに立っていた。その結果、インコースのストレートに対応できず見逃しワンストライク。とりあえずストライクを1つ取ったことで、非常に有利な立場に立った南長州大学守備陣。しかし相手はクリーンアップの先鋒。いくら格下の2部リーグ打線とは言え、そう淡々としたピッチングはできない。
「ボール」
インからの2球目は、ストレートを外に外してワンボール。さらに3球目はインコース高めへと要求するも、少し高めに浮いてツーボール。0―1のピッチャー有利カウントから一転、2―1のバッティングカウントへと変わる。
4番の前にランナーを2人も出すわけにはいかない。勝負を左右しかねない4球目。小林はアウトコースへと寄って構える。福野がセットポジションからモーション始動。放った投球はアウトコース低め。やや外寄りで、ストライクゾーンからボール2つ分ほど外れていた。
だが、
『(まずっ。上手く返されたっちゃ)』
バッターは強引にセンター返し。痛烈な打球がピッチャーの横をライナーで抜ける。その打球に、センター前を確信した小林であったが、
「はいよ。ツーアウトっ」
運がよく、ショート・政の真正面。政は一見簡単そうに、しかし実は俊敏な打球への反応で打球を処理。さらに2塁ランナーを殺そうとするも、政以上に素早い反応で帰塁していたランナーは殺せず。偽投する程度にとどまる。
「先輩、どんどん打たせちゃってください」
「うるさい」
「なんで僕には冷たいんですか?」
そしてやはり福野に弄られる政。
「あれですか? 慶にでも気があるんですか? それでいつも一緒にいる僕に嫉妬しているとか? ぶっちゃけ、あいつ、そこまでいいキャラしてないですよ。そりゃあ、言ってることは正しいですけど、たまにトゲあること言いますし。それとこの前なんか――」
「んなわけねぇだろ。お前、後で絶対にぶっこ――」
脅迫的発言をしようとしていた福野だが、その彼の言葉を遮る甲高い声。
「政ぃぃぃぃ。今日の夕食、日の丸弁当でいいぃぃぃ?」
「よっしゃ。しっかり守っていこうぜぇぇぇ」
自分の声の大きさと彼女の耳の良さを実感し、余計な事は言わないでおく。そして定位置に戻りつつ、守備陣へと気合いを入れて今までの流れをごまかす。夕食がすき焼きから日の丸弁当に降格する可能性を断ち切る目的もあるが、
『4番、サード、戸倉』
続くバッターは4番。2アウトを取ったとはいえ、ランナーは依然2塁にいる。気を抜いている余裕なんてない。
『(最悪、歩かせるっちゃ)』
あくまでも際どいところを突いていく。フォアボールになればその時はその時だ。
『(アウトコース低めのストレート)』
サインを送った小林は、指示を出した通りのコースを構える。気持ちややボール寄り。外れてしまうのは構わないが、内に入ってしまうのは大問題だからだ。
「ボール」
要求通りのコースは、ストライクゾーンよりボール1つ分外れる。次は逆のインコースと言う常識的発想の裏をかき、またも同じコースを要求。セットポジションから2塁ランナーへ、目だけの牽制をして第2球。
福野の投球は高めに浮いた。アウトコース高めへの非常に甘い投球。それをバッターの戸倉はフルスイング。打球はライト方向へ舞い上がる大フライ。
「これは、いっちゃった?」
ベンチから身を乗り出し打球を目で追う慶。ライトを守る十河も完全に追うのをやめて打球を見送る。そのライト線へと舞い上がった大きな大きなフライは、
「ファール、ファール」
あわや逆転ツーランホームランという一撃は、ライトポールの2メートル右に飛び込むファールボール。逆転、それすなわち事実上の勝利を示す広島工科大学は、打球が舞い上がった瞬間に盛り上がりを見せていたが、ファールと知って失速。反対に逆転が事実上の負けを示すことになる南長州大学は、救われた思いが強い。
「やばいやばいやばい」
福野は疲れからか、制球が安定しなくなっている。小林は仕方なくベンチの先輩にアイコンタクトで確認を取ると、頷くのを了解として続くサインを送る。
「ボール、ツー」
大きなファールで仕切り直しての3球目は、アウトコースへと大きく外すボール。小林はしゃがんだままとは言え、早い段階から大きく外に移動したことからして、歩かせると見て間違いはない。
「ボール、スリー」
本日2つめの敬遠に、3塁側スタンドに座っている50、60歳くらいのおじさんが大声を上げて騒ぎだす。しかし観衆がどれだけ潔い勝負を望もうが、当事者たちが望んでいるのはただ『勝利』の2文字だけ。その程度で敬遠をやめる気など、南長州大学バッテリーにはない。
「ボール、フォア」
4番の戸倉は敬遠で1塁へ。
『(ツーアウト1、2塁。2塁ランナーは俊足の1番で、バッターは5番)』
小林は俯き気味の視線。ちょうどその先にあったホームベースを見つめながら、5番バッターの攻め方を考える。1点も取られてはいけないという条件は、攻め方が大きく限定される。
『(う~ん、どうするっちゃね……)』
外野に抜かれるヒットを許せば、2塁ランナーは快足を飛ばし、高い確率でホームへと生還する。長打のある5番バッター相手に、その対策として前進守備を敷くのは愚の骨頂。
『(ここで狙うのは三振っちゃ)』
考えるのが面倒になった小林は、打たせて取ることを放棄して三振狙いに切り替える。
『(立ち位置はホームベース寄り。じゃけぇ、デッドボールが怖いけど、ここはインコース攻め)』
同じような思考で前のイニング、6番の舞浜へ頭部デッドボールを当てた。だが、虎穴に入らずんば虎児を得ず。この場を抑えるには多少の冒険も必要だ。
インコース低めに構えた小林へ、福野の第1球。
「ストライーク」
膝元の要求に対し、やや高め。膨れ上がった土手っ腹に当たりそうにはなったが、ギリギリで当たらずワンストライク。仮に当たったとしても、ストライクゾーンのためデッドボールにはならないはずだ。もっとも審判も機械のように厳密ではないため、必ずしもデッドボールにならないとは限らない。リスクのある1球であった。
『(これは大きいっちゃ。完全に引いてるっちゃ。これなら)』
前のイニングなど無かったかの如し。デッドボールを恐れない強気の攻めに、ホームベースに近づいて立っていたバッターも、立ち位置をやや変える。ならばとアウトコースへと寄ってミットを構える小林。インの次はアウト。教科書通りの攻めに、頷いた福野の第2球。
『(まずっ)』
小林はマスクを外して前へと出る。
その攻めは間違っていはいなかった。しかし中途半端なスイングながら、真芯に当たった挙句に、巨体を生かした力で持っていかれた。
痛烈なライナー性の打球にファースト・東が飛びつくも届かず。さらにセカンド・鈴原もグローブを必死に伸ばして捕球にかかるも、打球はグローブの50センチ先を抜けた。
『(や、やられた……)』
小林は一応、ホームベースを跨ぐように立つが、完全絶望。3塁ランナーコーチは手を回しており、俊足の2塁ランナーも3塁を蹴ろうと大きく膨らみ気味の走路を取る。マウンド上の福野、自分のわずか先の打球を見送った東・鈴原も同点を確信。
だが、まだ絶望するには早い。
「十河、バックホームだっ」
政がホームを指さすと、自身の前を転がる打球に突撃していた十河が、左手でボールをすくい上げる。
『(送球線上に邪魔は無し。2塁ランナーのホーム突入も……間に合うかっ? いや、そんなの気にすることじゃない)』
「絶対にっ」
グローブから右手にボールが渡る。その手を大きく後ろに引いたあと、右足、そして左足で地面を踏みしめる。さらに左腕を思いっきり後ろに引き、その反作用で右腕が力を得る。
「ホームでっ」
反作用。助走の力、それに本人の腰、肩、肘の力を総動員させ、オーバースローからボールを射出する。
「殺すっ」
渾身の一投。送球は地を這うような低球道。しかしなかなか地面へと落ちない。異常なまでの伸びを得る。
「バックだ、バック。突っ込むなっ」
九分九厘帰ることができると思っていた3塁コーチは、同じくホーム生還が可能と確信していた2塁ランナーへ、3塁に戻るように指示を出す。あわてて地面へとスパイクの歯を突き刺して急ブレーキ。バランスを崩して転倒も、すぐさま起き上がって3塁へと戻る。
「っしゃ。ナイス1年。やるっちゃね」
最終的にマウンド横でワンバウンドした十河のレーザービームをホームベース上で捕球した小林は、逃げるように3塁へ戻るランナーを殺そうと、サード・田神へと送球。ほとんど3塁ベース寸前はもがくような4足歩行で戻ってきたランナーへ、送球を受けた田神はタッチ。
「セ、セーフ」
間一髪、ではないが、なかなかに危ないタイミングで九死に一生を得るランナー。そして可能性を繋いだ広島工科大学。
2アウト満塁。2塁ランナーの足を考えると難しいかもしれないが、状況的には一打逆転の大チャンス。守る南長州大学にとっては、ワンエラー、四死球すらも許されない苦しい状況である。
『6番、レフト、舞浜』
ここで前の打席は頭部デッドボールの舞浜。バッター不利の左対左ではあるが、広島工科大学はそのままボックスに舞浜を送る。
『(立ち位置は……離れてるっちゃ。やっぱり、前の打席が頭にあるみたい)』
ならば外に逃げる変化球が有効に使える。小林は早速とばかりに外へのカーブをサインに出す。考えるのが面倒でなおかつ、万が一の時に責任を小林に押し付けたい福野は、一瞬の迷いもなく頷いてワインドアップモーション。状況が状況だけに、盗塁の心配がないためだ。
「ボール」
「スイング」
「ノースイング」
初球、外に逃げるカーブに、舞浜はハーフスイング。主審のボール判定に対し、3塁審判を指さしてスイング判定を要求する小林だったが、3塁審判は両手を横に広げノースイングの判定。
『(もう1球。今度はもうちょっと内っちゃ)』
できれば空振りを誘いたかった1球でストライクを取れなかったため、今度は少し無理をする配球。ど真ん中からアウトコース低めに落ちる変化球で、先ほどの投球に比べると明らかに打ちやすいコースだ。
ランナーが眼中にない福野。ワインドアップからの2球目。真ん中高めに浮いたそのボールは、アウトコースへと逃げていく。しかし疲れで回転が甘くなっているのか、ボールの逃げ方も甘い。完全な棒球に舞浜のバットが襲い掛かった。
『(おし、打ち取ったっちゃ)』
「ショートっ」
あわや痛打と思われたコースも、バッターが打ち損じてくれてマウンド周辺の凡フライ。指示を受けた政が手を上げて打球へと向かっていくのを見て、バッターを含めた4人のランナーは悔しそうに次の塁へ。
「オーライ、オーライ」
なんとかこのピンチを内野フライに打ち取ってこのイニングは終了。
かと思われた直後だった。
「ちょっ、福野さん、邪魔っ」
「うわっ」
マウンド上でボーっとしていた福野と、内野フライの処理に来た政が交錯。福野にのしかかるような形で政は転倒。セカンドの鈴原が急いでカバーリングに行くが、今更間に合うわけもない。打球は内野フェアグラウンドへと落ちた。
「っしゃあ、同点」
3塁ランナー・木暮、悠々とホームへ生還。さらに長い滞空時間であったため、3塁を蹴ってホーム付近まで来ていた2塁ランナー・戸倉もホームへと滑り込んだ。一気に試合をひっくり返すホームイン。
広島工科大学はこれによって勝利を確信。ついに援護点を得たことで、ファールグラウンドでキャッチボールをしていた高橋も、大きなガッツポーズを見せる。
「な、何やってんだ、福野」
田神は、マウンドでバウンドして3塁線を転々としていたボールを拾おうとしたが、
「よせっ、さわるな、田神っ」
小林の制止でその動きを止める。
ピッチャー・福野、ショート・政は、接触による転倒で打球に触れてはいない。そして、セカンドの鈴原もカバーは間に合わず、サードの田神は小林の制止を受けた。
つまりこの打球は、未だに誰もさわっていない。
「切れろ、切れろ」
念じるように口にしながら打球を見つめる小林。すると内野フェアグラウンドにてバウンドしていた打球は、3塁線を越えてファールグラウンドへ。それをすぐさまキャッチして判定を確定させる。
「ファール、ファール」
主審が手を上げてコール。
野球規則によると、最終的に一度も外野に行くことなく内野のファールゾーンに制止した打球は、フェアゾーンにてプレイヤー・審判・ベースなどに当たっていた場合を除いてファールとなる。よって誰も触れていない打球が3塁線を越えたのだから、これは紛れもないファールになるのだ。
「危なかったっちゃ」
当然、2人のランナーの生還は認められない。依然、南長州大学1点のリードは変わらずだ。
さらにストライクカウントも1つ増えて1―1。ヒヤリとするワンプレーも、記録上はただのファールである。
『(ここは福野をしばきたいとこじゃけど、あんましマウンド行っとったら審判に怒られるけぇ、ここは我慢っちゃ)』
「ファール、ファール。切り替えていくっちゃ」
福野の怠慢プレーに腹を立たせながらも抑え込み、内野手に喝を入れてしゃがみこむ。マウンドでは押し倒した政と押し倒された福野が少し揉めているが、どうも馬が合わないのは前々からであり、日常でもある。見慣れている小林にとってはそれほど気にする事でもない。
「ワンボール、ワンストライク。プレイ」
ひと悶着あったプレーの後。審判はカウントを確認してプレイ再開宣告。
場を切り替えようと苦心する小林は、間髪入れずにサインを送る。
キレの悪くなった変化球を諦めて、ストレートで押し切る方向性に切り替える。さらに、どうせコントロールが乱れているならと、構えたコースはど真ん中。ここぞの場面でまさかのギャンブルリードだ。
それしかないと実感した福野も首を横には振らない。
おそらくはこの回が自分のラストイニング。
そう悟った福野は、最後の最後で残ったエネルギーを込めた、力のない精一杯の投球。
このピンチを切り抜けるべく放ったコースはインコース高め。前の打席の光景が頭によぎった舞浜。腰を引かせながらバットに当てる。打球はフェアグラウンド。速いとも遅いとも言えないハーフスピードで二遊間ショート寄りへ。
もちろんそこを守るのは1年生名手の政。
「よし。アウト1つ」
ボールを捕球した政は、そのままの勢いで2塁ベースを踏む。そして2塁へと向かってくる1塁ランナーを回避し、わざわざ1回転して1塁へと送球。その送球はワンバウンドになるも、ファーストの東はすくい上げて、捕球していると1塁審判にアピール。自然な流れのプレーに、1塁審判も何の疑問もなくアウトコール。ダブルプレーでピンチを切り抜けたような様子に、南長州大学のスタンドは沸き立つが、
「あれ? ツーアウトじゃないの?」
ベンチの慶は首をかしげる。
彼女の言う通り、状況はツーアウト満塁。政が捕球後に2塁ベースを踏んだ時点でスリーアウト成立。それ以降の流れは完全に無意味である。
「ナイスプレー。いい動きだったっちゃ」
「やるじゃん1年坊主」
「華麗なダブルプレーだったぜ」
先輩や同期にとりあえず盛り立てられており、南長州大学ナインの雰囲気も良好。
『(う~ん、わざわざ言わない方がいいかなぁ。これは)』
せっかくチームがいい空気になっているのなら、そこは指摘すべきではない。むしろ政は空気を良くすることを見越して、あのようなプレーをしたとも考えられる。ならばここは彼の行動を助けるべきであろう。
「政、ナイスプレー」
「どうも、どうも」
政と軽くハイタッチ。お互いに笑顔でいると、外野から何やら小難しい顔をしている十河が帰ってくる。
「なぁ、慶ちゃん」
「どうしたの?」
「今って、ツーアウトだったよな?」
怪しからん事を言い出す十河。そんな彼に、
「あぁん?」
牽制&威圧する気満載の声で聞き返す。ところがそんな声にも臆さない十河は、
「もしかして、福野先輩のミスで悪くなってた空気を正すためにわざわざやったとか?」
非常に空気のよめない奴である。百歩譲ってそれに気付いたとしても、口に出す当たりもはや重犯罪者。さしずめ犯罪名は『空気不読罪』と言ったところであろう。
小林を始めとして、十河・慶以外にもツーアウトであると言う事に気付いていた者もやはり多数いる様子。その証拠に「あぁ、言っちゃった」「まったく十河は……」のような呆れ顔をしている人が10人以上はいる。一方でこの空気の元凶の原因たる政は、
「え? 今ツーアウトだったの?」
「「「知らんかったんかい」」」
本気でワンアウトだと思っていたようである。
「あのさぁ、政。ちょっと考えてみようよ。もしワンアウト満塁だったら、内野フライでランナーは走らないし、そもそも当たりからしてインフィールドフライが宣言されるからね」
「なるほど。慶、頭いいな」
「プレーに集中していたって言えば納得もできるけど、政がちょっと頭残念なだけじゃない?」
「頭が良ければ南長州に来てないと思う」
「まぁね」
もっともな返答により納得した慶。そして空気をぶち壊したクラッシャー・十河は、その空気から逃げるように、この回の先頭バッターとして打席に入る準備。さらに政のおかげで忘れ去られていたにも関わらず、その十河のせいで思い出されたミスにより、6回無失点の好投を見せた福野は小林によって説教中である。
「福野。あの時、『ショート』って言ったじゃろうが。なんでマウンドでボーっとしとるん?」
「あ、あれは俺を避けなかった三好が――」
「ピッチャーフライ上がったらマウンドから避けぇ。他の野手の邪魔になるじゃろ? そんなん常識っちゃ」
「でもさ……」
「なんや、先輩に口答えするんか?」
「ちょっ、コバ。こんな時に先輩面なんて卑怯だって」
仲が悪いようには見えないものの、少なくとも仲がいいようには見えない2人のやりとり。それを聞きながら政が気付いて慶に問う。
「小林先輩って、先輩?」
「先輩だよ。政が1年で、小林先輩は2年。何言ってるの?」
「いや、そういうことじゃなく」
どうも政の言いたいことが慶に伝わらない。
「小林先輩って、福野先輩の先輩?」
「たしか、1浪してここに来たんじゃなかったっけ?」
「高橋と同じか」
「ある意味ね」
厳密には、他の公立大学に一発合格してそちらに行っていたが、1年で学部が合わないと判断。学校ごと変えたのが小林である。そのため現在、大学2回生ながら、歳で言えば大学3回生相当。大学1回生ながら大学2回生相当の高橋とは、大学生としての立場的には似ていると言える。
「だからコバ」
「誰がコバ? 先輩にはちゃんと『さん』か『先輩』を付けるっちゃ」
「おぉ、コバ。この回、打順回るかもしれんぞ。いつまでも防具付けとかんと、早く外しとけよぉ」
「おぅ、すまんっちゃ」
「待て待て待て。今、鈴原がバリバリ『コバ』って呼んだぞ。タメ語だったぞ」
「うるさい」
いつのまにやら、フライ処理を邪魔する凡ミスに対する説教から、福野限定の『小林先輩』対応についての議論へと話が展開。
「なんか、余裕やねぇ。たった1点差なのにこないことで口論できるって」
「政? なんで関西弁っぽいの?」
大学では留年、浪人、転学科などなどが珍しくないため、
年上の同級生は珍しくないです
ただ、基本的には「年上」は気にならないことが多いです
てか、年上の本人が「年上」として扱われることを嫌います
浮いちゃいますからね




