第1話 新人戦
日本の野球の歴史の始まりとも言われる大学野球。その大学野球も、夏の代名詞・甲子園を有する高校野球や、スター選手だらけのプロ野球に押されて知名度が低くなってきていた。しかし最近、ある事件が起きたことで大学野球の知名度が非常に上がってきていたのである。
「ふ~ん。『高橋耕平。虎の子1点を守り抜き完封勝利』かぁ。練習試合とはいえ、やっぱすげぇなぁ」
「そりゃあ、元プロの新人王候補だったわけだしそうもなるだろうよ」
悪友の驚嘆に冷静な分析を入れるのは、山口県の私立大学・南長州大学経済学部の1回生で野球部ショートの三好政。メガネを上げるフリをするが、メガネなどかけてはないない。
「元プロかぁ。なんであんな凄い舞台にいたのに辞めちゃったんだろうな。それも1年で」
読んでいた新聞を机の上に放り投げた体格の大きな男子学生。十河一は、頭の後ろで手を組み、何やら数式の書かれたホワイトボードをみつめる。
「知らないなぁ。テレビや新聞だと、本人の希望でとしか報道なかったし」
事の発端は1年半前。元甲子園大会優勝投手で、ルーキーイヤー即1軍、10勝は手堅く、また新人王も間違いなしと噂された超高校生級投手・高橋耕平。メジャーからもスカウトがあったほどの実力で、高卒でのプロ入りを果たした。ところが半年前、ちょうどシーズンが終了する頃、突然の引退宣言。
たしかに噂に反しシーズン後半は2軍。成績は2勝12敗、新人王には程遠いといったところだが、それでもまだ19歳の若い選手。見切りをつけるには早いはず。怪我かとも思われたがつい1か月前、大学入学を表明し、さらにはいつのまにやら学生野球資格を回復。ついでにアマチュアの選手となるために、プロ・アマの規約通り自由契約公示選手となり、野球部入りし大活躍。今となってはなぜプロを辞めたのか不明な『高卒ルーキー謎の引退事件』となっている。
「不祥事ってのは聞いてないよな」
「あったとすれば相当だな。逮捕されてもなお現役続けている人いるし、そもそも高橋って、その手の話は出てないだろ? 逮捕とか、裁判とか」
と、なんだか物騒な話に転じてきたところで、急に政の目の前が暗くなる。目のあたりが何かによって抑えられ、その何かが暖かく柔らかいところからして、その何かは誰かの手であると予想できる。
「だ~れだ」
間違いなく手である。政はため息を漏らし、
「あれだろ。メアリーだろ」
「Hi!! I'm Mary. I like music!! って、なんでやね~ん」
上手な英語&下手な関西弁での返答を見せた彼女の本名は、三好慶。名前はほとんど初見で正しく読んでもらったことはなく、『みよしけい』と言う名前の男子に思われることも多々ある厄介なもの。なお、正しい読みは『みよしちか』であるが、先の理由で『けい』と呼ばれることもないではない。
そんな彼女は肩上で揃えた茶髪を揺らしながら、政の前へと出てくる。
「慶。どうした? 国コミって今日はずっと別の教室じゃなかったっけ?」
国際コミュニケーション学部、通称・国コミに所属の慶。本来なら次は他の教室で授業のはずであるのだが、
「休講ってメールが来てね。私はこれで今日の講義は終了なんだけど、政は?」
「おぅおぅ、慶ちゃん。どうしたの? 何かあった?」
十河が調子に乗って会話に首を突っ込んでくる。
彼の言う『はとこ』と言うのは、苗字からも分かる通り政と慶のこと。詳しく言えば、政の父方の祖父の弟の孫が慶になる。政の親と慶の親とは従兄弟同士であるため面識はあるが、はとこになる政・慶が知り合ったのは、お互いに同じ大学への進学が決まった去年12月末と、意外にも知り合ってからは短い。
「あ、十河ちゃん。おっす」
気付いてはいたのだが、あいさつが遅れた事をごまかすため、今気付いた素振り。
「おっす」
「政に用事があって。先帰っちゃっていいかな。って事なんだけど」
「別にいいけど? 帰って余裕があるなら洗濯物とか家事任せていいかな? 僕も残り1コマだから、1時間半後くらいになるけど帰って手伝うから」
「OK」
政は指で丸を使って了解を示す。そこで十河がふと疑問に思う。
「家事任せてって、どういうこと?」
「あれ? 言ってなかったっけ? 僕は県外の出身なんだけど……」
「知ってる。福岡だろ?」
そのくらいは大学に入った直後。混雑していた食堂で偶然に相席になり、ついでに友人となった時に聞いた話である。
「うん。で、やっぱ福岡から山口まで通うのはキツイから、山口にある慶の実家から通ってるってわけ」
「ふ~ん。そういうことだったのか。はっはっは」
疑問が解け、アメリカのコメディ映画並にあからさまな大笑い。からの吊り上った目。
「んなわけあるかぁ。それってあれか。いい年した男女が同じ屋根の下2人きりって事か」
「いや、変な考えしすぎだから。私と政だけじゃなくて、お父さんもいるから。仕事に出てる事が多いから2人だけってのも多いけど。それとお母さんは10年くらい前にこれ」
慶は両手を合わせて目を閉じてやや下を向く。
「別に一緒に風呂入ってることもなければ、一緒に寝てることもないぞ。まぁ、それ以外は一緒のことがおおいけど」
「は、裸とか見た事はあるか?」
「何回かある、よね? 風呂入ろうと思って服を脱いでた時に、歯を磨きに来たりとか」
「数回、数十回か? 以前はドキッとしたけど、最近はもう慣れた。この前は脱衣所に寝間着を持ってくるのを忘れたって、下着姿で家中を走り回ってたし」
「こ、こいつ、うらやましい発言をしやがって」
今となっては家族くらいの感覚。いくら会ってからが短いと言え、4ヶ月も一緒にいればなれてはくる。
そんな政を嫉妬全開で睨みつける十河。その視線に気づき、政は思いつきで提案。
「うらやましいって、なんならたまに遊びに来るか?」
「マジで? いいの?」
「さ、さすがに政以外に見られるのは恥ずかしいかも……」
顔を赤らめながら目を逸らす慶に、十河はどうも羨ましそうな目付き。
当然好みは人それぞれであろうが、特殊な方々を除いて男子に人気のありそうな女子である三好慶。そんな彼女と兄弟姉妹ならまだしも、恋愛可能な『はとこ』と言う立場で一緒の家にて生活しているのは大問題。ここが高校と言う横の繋がりが密な集団であったなら、間違いなく政は「幸せ者」と、クラス中の恵まれない男子達を敵に回していた事だろう。
「政っていいよな。人生の成功者だよな」
「大学生の時点で人生の成功者って言える人はほとんどいないって。せいぜい、広島工科の高橋くらいだって」
放り投げていた新聞を指さながら、先の話題を再び引っ張り出した。
「たしかになぁ。年棒も契約金も新人上限額いっぱいだったらしいもんな。もったいないなぁ。契約金1億で、年棒が1500万って。俺ならプロ辞めねぇぞ」
「高橋には高橋の考え方があるんだろうから、そうは簡単に言えないけど。因みにだが『年棒』じゃなくて『年俸』な」
「それに、ほとんど税金だよね」
年収の変動が激しい職業には『平均課税制度』という特殊な制度も存在するが、高橋の収入に対する税金は、単純計算で1億1500万円の40%が所得税、10%が住民税のため、半分に当たる6千万円弱。さらにそこへ球団によってはグッズ売り上げのボーナス、イベント出演料、CM出演料なども収入へ加えるわけだが、入団1年目でそれを考える必要はないだろう。
となると、1億円以上の収入があることにはなっているが、正味6千万円ほどの収入である。
「プロ野球選手は冠婚葬祭に関わる支出とか、付き合いとか割合が大きいって聞くし、いつ首を切られるか分からないし。40くらいまで働ければ上々って考えると、あまり高くないのかもね」
「それも青春時代を投げ捨てた高校球児の一部がそれだからなぁ。経費対効果で言えば釣り合わねぇよな。プロ野球って言う名の宝くじじゃねぇか」
慶と政で2人揃って小難しい話をするが、十河はやはり首をかしげる。
「その宝くじを当てておきながら、高橋はそれを捨てたんだよな。何を考えてるのかな?」
「怪我でもない。引退宣言の時期は契約更改よりも遥かに早い。ま、僕には分からんな」
結論。本人および球団関係者以外、彼の引退に関する詳細を知る者はいない。
中国地区大学野球リーグ2部リーグ所属の南長州大学が、3部リーグ所属の広島工科大学と対決する機会はリーグ戦では存在しない。しかし1・2年生対象の新人戦というものが6月――来月開催されることになっており、その第1試合の対戦カードは幸か不幸か南長州大学VS広島工科大学となっている。
「しっかし、あんな凄いピッチャーがいて1部リーグじゃないってのもおかしな話だよな」
時間も昼食時を過ぎており、人のあまりいない食堂。十河が新人戦の組み合わせ一覧表を見てつぶやくと、横にいた政が暇つぶしに『サルにも良く分かる解説』を始める。
「大学によっては1人のピッチャーを連投させないからなぁ。あいつが元プロでローテーション確立した世界にいたから、監督も無理させないって意味もあるのかも。てか、まだ高橋が入学して1年目。昇格を賭けたリーグ戦はまだじゃないか」
高橋込みの実力がはっきりするのは次の新人戦。そして秋の2部昇格を賭けたリーグ戦。いずれにしてもまだのことだ。
「ついでに年上に『あいつ』ってのもなんだか、おかしな話な気がする」
「いいんだよ。他大学とはいえ、同級生だから」
大学とは得てして年上・年下の同級生がいるもの。それは高校よりも留年・転学部・転学科などが多く、同じ学年を複数回することがあるため。または一旦社会に出たのちの入学、または浪人などによってそもそも入学時点で18歳でないと言う事が珍しくないためだ。高橋は社会に出ていると言う事で後者である。
「年上の同級生かぁ。留年とか嫌だなぁ。こう、ストレートにズバッと卒業したいけどなぁ」
「高橋は留年ではないけどな」
十河のため息まじりの一言に、頬肘をついたままで回答。するとここまで口を開いていなかった慶が反応する。
「そのためには必修科目は最低限落とさないようにしないと。単位上限があるし」
左手でペンを回す慶は、十河が分からないと主張する問題の解き方を考える。その問題が出された講義に関しては、十河と慶で一緒に履修しているのである。
「単位上限って言ったらCAP制か」
「なぜに言い直した?」「なんで言い直したの?」
「かっこいいじゃん」
慶と十河、2人の質問に、間違ってはいないが究極にアホな回答。
「てか、あれって何がヤバいの?」
いまいちCAP制・単位上限の問題点が分かっていない十河。慶はため息1つ。
「あのね、例えば卒業研究着手条件までに残り50単位が必要だとするじゃん。で、単位上限が40だったら、10単位は理屈上その年では絶対に取れないから留年確定。ってこと」
「ヤバいじゃん」
「だから、あまりに単位を落とし過ぎたり、余裕をぶっこいてちょっとしか履修登録しなかったりしたら死ぬ」
前期の講義は得意教科ばかりのため余裕のある政はかなり余裕そうな顔。だが、こうした油断が後々に効いてくる可能性があるのが大学と言うもの。また、授業に関しても必修科目や卒業条件などがあるとはいえ、カリキュラムに関してはかなり自由性が高い。ゆえに自分でしっかり考えて履修――授業選択・登録する必要がある。大学生のとっての最初の難関はそこであろう。
「マジかぁ。やべぇ。留年するかも」
「まだ1年の前期中の前期だから。まだ大丈夫。ファイト」
落ち込む十河に励ます慶の一方で、安全地帯から他人事のように微笑みながら眺める政。
「てかさぁ、そんなの高橋って大丈夫なのか? あいつって、小中高と野球しかやってこなかった野球バカじゃないの? どうせ大学だってスポーツ推薦だろ?」
「たしか、センター利用か一般入試じゃなかった?」
学力による入試突破を意味する慶の一言に、頭を抱えて項垂れる。さらに政がタブレットを取り出し追撃。
「ネット情報によると、広島工科の工学部国際スポーツ科学科にセンター利用で合格だって」
「国際スポーツ科学?」
同じ『国際』であるがゆえ、興味が無いわけではない慶が首をかしげる。
「日本だけではなく、世界で通用するスポーツ科学のエリートを作り上げる学科らしい。詳しくは分からん」
「ふ~ん」
「それで真面目に授業に出ている様子、広島工科の野球好きがネットにアップしてるぞ。因みに英語の授業らしい。コメを見る限りだと、めっちゃ発音いいとか」
「へぇ~」
適当な相槌を打つ彼女の一方で、さらに頭を抱えるのはやはり十河。
「慶ちゃん。助けて」
「共通教育ならともかく、専門は無理かなぁ」
助けてあげたいのはやまやまだけど。と、丁重に断る。
工学部に入れば工学ばかり、医学部なら医学ばかり習っていると思われる大学だが、特に1年生の間はそのようなことはない。主に大学の講義は、他学部と共通の『共通教育』と、学部独自の『専門教育』に分けられる。俗に言う『一般教養』は前者に含まれ、工学部の工学、医学部の医学は後者になる。よって、共通教育に関して他学部学生に質問することは可能だが、専門教育に関しては教授か、同学部の学生に聞く必要があるのだ。いくら慶が優れた成績を出していたとしても、十河の学部の教育に関しては門外漢だ。
「頑張ったら慶ちゃんがデートしてくれるならやる気出るかも」
「と、鼻の下を伸ばしてデレデレの十河は言いました。その提案に対し慶は、こう答えます」
十河の提案に続き、なぜか小学校1年生教科書ばりの文語口調で政が続いた。
「そうだなぁ。前期、単位1つも落とさなかったらいいよ」
「マジで?」
あくまでも冗談交じり。期待せずにした希望に意外な反応があり、一気にテンションが上がる。
「ただし、18禁的な事は期待しないでよ? 一緒に出掛けるくらいならOKってこと」
「それでもOK」
そのやる気の上がり方は、オールスターが終わって首位と10ゲーム差のチームが、最終的にリーグ優勝を決めてしまうくらいの怒涛の勢い。鯉の滝登りどころか、天まで昇っていくほどだ。
「なんだ、十河。慶が好きなのか?」
何気なく問いかける政。すると十河は彼の首に腕を回して自分の方へと引っ張ると、耳元へと口を近づける。
「政。お前は慶ちゃんを可愛いと思わないのか?」
「どこが?」
「全部」
そっと彼女の方へと目を向けて容姿を再確認する。
「可愛い。けど」
「けど?」
「お前ほどその気にはならないな」
「政はその気にならずとも、毎日一緒にいるからな。この羨ましい奴め。慶ちゃんは俺がもらう。お前なんざに渡さん」
「ご自由に。僕のモノでもないし」
会話の内容は慶に当然、聞こえているであろうが、彼女は遠くを見たり、電子辞書で調べものをしたりで、聞いていないフリを装おっている。そして2人が元の方向に向き直ったのをさりげなく確認してから、調べ終わったような態度で顔を上げた。
「そう言えばぁ」
慶が胸前で両手を揃えて思い出した表情を浮かべる。
「政、そろそろ経済学の専門講義じゃない?」
問いかけられ、左手首の腕時計で時間を確認。
「本当だ。少し早いけど、早めに行っててもいいかな」
「そうだ、政。遅れると大変だし、早めにいっておくのをお勧めする」
優しく助言する十河の目は、早く行けとのけ者にするような感じ。
『(こいつ、慶と2人になりたいだけだろ)』
あっさり真意を見破り心の中でツッコミつつ、次の講義が近いのも確かなので、荷物をまとめてカバンへと入れる。
「ほら。早めに行った方がいいぞ。急いだ方がいいぞ」
「はいはい。お二方、ごゆっくり」
「おぅおぅ、ゆっくりするから早く行け」
「それじゃあ、慶。4、5限の2コマだから3時間後くらいに」
「はいはい。5限目は私もあるから、終わったら待っててね」
「あいよ」
政も十河の必死さに、空気を読んでその場を立ち去る。帰り際、転校生を駅で見送るがごとく大きく手を振る慶に対し、軽く手を上げて返事をするだけで講義に向かった。慶と共に残された十河は、自称・彼女候補とどんな話をしようかと想像を膨らませるが、一方の彼女はまったくもって話をする気はなし。一般教養である数学の教科書を広げ、宿題として出されていた問題と格闘する。
「う~ん、ここだけでも政に聞いとけばよかったかなぁ」
政なら経済学部だけに数学は人並み以上にできるため、この程度の問題は余裕であろう。一方の慶は、数学ができずに文系に行った性質のため、あいにくさっぱりである。
「医療工学部。理系の十河一の出番だぜ。さぁ、見せてみな」
「そ、十河ちゃん。お願い。教えて」
「どれどれ」
かっこつけて教科書を覗き込む。自信満々であったが、その顔が徐々に引きつっていく。
『(ヤバい。分からん)』
あいにくこの十河は、数学・物理は苦手だが生物が得意と言うだけで医療系に来た人間。あいにく、数学はさっぱり。その生物が得意と言うのも、高校時代は野球部強豪校の生徒であったため、まともに授業を受けて、まともに勉強していたとはお世辞にも言えない。あくまでも、散々な他教科に比べれば、生物が得意と言う程度。100点満点の20点は10点よりも高いという相対論であって、絶対論的には『残念』だ。
「そ、十河ちゃん?」
「……分からん」
「えぇぇぇ、困るよ? これ、提出が今日の5限目」
「マジで?」
よくよく考えれば、数学の講義は2人とも履修している。つまり彼も今日、数学の宿題があるわけで、
「やってない」
提出まで1時間半。まったく手を付けていない状況。
「政は。政はどこ行った。あいつ、経済学部だし数学できるだろ」
「十河ちゃん。政はさっき次の講義に行ったばっかり
」
「はぁぁぁ? 何やってんだ、あの馬鹿。まだ講義には早いぞ。まだ10分前じゃないか」
「あの、十河ちゃん。さっき十河ちゃんが、早く行けって急かしてたような。最初に指摘したのは私だけど」
「政ぃぃぃ。カムバーーック」
大声ではしゃいで周辺の学生や職員の声を引き付ける。しかし既に政は授業に向かっている所であり、戻ってくるわけがない。
結局5限目の講義開始30分前、経済学部3回生の野球部先輩が現れて助けてもらう事が出来たが、せっかく慶と2人きりに慣れた貴重な時間。満喫などできるわけもなく、最終的に宿題に右往左往して終わりを告げた。
広島県にある工学部・理学部を所有する広島工科大学。その喫茶コーナーの空きスペースで勉強していた男に、メガネで背の低い男が話しかける。
「よっ。高橋」
「なんだよ。お前か」
名前を呼ばれて振り返った男は、スポーツマンにしては長い髪。身長180センチ以上、一般人には見えない筋肉の付き方。力を入れずとも筋肉が目立つようなすさまじさであり、体重は推定90キロ以上といったところ。
彼こそが有名な元プロの大学球児・高橋耕平である。
学年的先輩にタメ語なのは傍から見れば違和感もあるが、年齢的には同じなので、これといった問題もない。
「なんだとはなんだ。今度の新人戦。組み合わせは知ってっか?」
「いや、別に」
興味なさそうに勉強に集中する。
『(たかだかアマチュアの新人戦。プロ2軍の方が遥かに上手いだろうし、別にどこでもいいだろうよ)』
強かろうが弱かろうが、所詮はアマチュアだと心のうちでは高をくくっている。しかし同期の先輩は、そんな心の中など当然知るはずもなく、早く情報を手に入れたことを自慢そうに話し出す。
「1回戦目の相手は、南長州大学だそうだ。2部リーグの」
「ふ~ん」
『(2部か。練習にもならなさそうだなぁ)』
2部と聞いて、アマチュア中のアマチュアだと想像。高卒でプロ入りしており、大学進学など縁のない人生を送っていたのだから、そうした印象を持つのも仕方のないことである。
「で、強いの? そこ」
一応は話に乗っておこうかと、適当に問いかける。すると先輩は少し悩んだフリをして、
「なんでもあの近辺で野球の上手い人は、広島や岡山、福岡みたいな都会の大学に行ってしまうらしいんだ」
「ということは、2流と」
「そうでもないらしい。結果、一流はいないが、1流半がゴロゴロいるような、中堅校みたいなところだそうだな」
「中堅校、か」
アマチュアレベルで言えば超一流の中の超一流になるであろう高橋にとっては、1流半も2流も同じ雑魚である。
「俺たちは3部リーグ。あいては2部リーグ。勝てたらいいな」
負けるわけないだろ? と思いながらもあえて言わず、電子辞書を取り出す。
「宿題中。さっさとどっか行け」
「へいへい。邪魔して悪かったな。ちなみにだ。問いの4、間違ってる」
去り際にそう助言を受けた高橋は、指摘された場所の答えを消して考え直す。
『(南長州大学か。ま、どこでもいい。プロも打ち崩すのに苦戦した俺が、そう負けるのはあり得ない)』




