教師の祈り
教師の祈り
主よ 感謝します。
あなたがここにいて下さることを。
どうか あなたの導きがありますように。
わたしは努力します。
生徒の為に、わたしのできる事を、力の限り行います。
けれどもし
わたしのする事が、その子の為にならないのなら
全てを無にして下さい。
わたしの努力の全てを。
その子にとって何が最も必要であり、何が大切な事なのか
わかっているのはわたしではなく、あなただからです。
どうか導いて下さい。
わたしが生徒の為に 良い行いができるよう
どうか祝福して下さい。
わたしの元に来る生徒一人一人の魂を。
力の限り行う、わたしの努力が
あなたの意思に沿うものでありますよう
違っている場合でもどうか
その結果がその子にとって良いものと変わりますよう
わたしがいつも 自身の満足の為ではなく
生徒の為に行動しますよう
わたしを導いて下さい。
わたしはあなたに従います。
あなたは全ての思惑を越えて善きかた
全ての良い事はあなたから来るからです。
2006.5.26
***
小学校四年で算数がわからなくなり、その後は、友達のノートを丸写ししてやりすごし、何も考えないようにして中学三年まで過ごしてきた女の子が、夏休みにわたしの所に数学を習いに来ました。ごまかすくせがついていて、とにかく何もしない、考えない。あとは人のノートを写して終わり。
注意深く観察し、ごまかした時は叱り付け、どこからわからなくなったのかを探し、ひとつひとつ、やり直してゆきました。
ただ、「わたしがしてやっているんだ!」となってしまうと、彼女の成長をはばみます。また、わたし自身も、「どうして理解できないんだ!」と肉体的にも、精神的にも、疲れ果ててしまいます。
だから、授業をはじめる前に、祈りました。終わってからも、祈りました。
彼女にとって、もっとも良いことが何か、知っているのはわたしではない。彼女を成長させるのも、わたしが行うことではない。
わたしにできるのは、ほんの少し、手助けをすることだけ。それも、彼女自身が成長したいと望まない限り、なんら手出しをすることはできない。
では、最善はどこにある?
彼女にとっての最善は。
作物を育てるとき、種に水をそそぎ、雑草を抜いて世話をするのは人間です。それは大変な手間です。
けれども、種の、成長したいという願いを聞き、その力を与えてくれるのは、人ではなく、神です。
神とは、最善たるもの。
そこからやってくる力が、ただ、彼女を成長させる。
彼女の笑顔を思い描き、この祈りをし、教え、教え終わった後には、善きちからがここに来てくださったと、感謝の祈りをする。それを続けていると、彼女の表情が変わってきました。
ずっと無表情だったのが、やわらかい表情をするようになったのです。
取り繕ったような笑顔ではなく、自然な笑顔をするようになりました。中学を卒業し、わたしのところもやめましたが、そのころには、時間がかかっても、自分なりに考え、自分の行動に責任を持つ、ということが、きちんとできるようになっていました。
わたしがしたことは、ごくわずかです。
悪いことをしたら、怒る。良いことができたら、ほめる。
彼女の笑顔を思い描いて、祈る。
やってくる善きちからに、ただ、感謝する。これだけです。
ここに上げた祈りは、当時のわたしが授業前と授業後に祈っていた言葉を、まとめたものです。
くたびれた人が、これを見ると、ちょっと元気になるらしいので、最後に上げておきます。
この文章を読んだ人が、
あなたが、
その足を支えられ、しっかりと立ち、
祝福され、この世に良い事を作り出し、
喜びと、平和を。世界にもたらす者となり続けますように。
あなた自身が、豊かにされますよう。
あなた自身が、平和でありますように。
2014年01月11日 書き下ろし




