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17 歳  作者: 灯凪田テイル
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雨上がりの猫


 鉢植えのベンジャミンの葉に、スプレーで水をかけながら桜井結衣が明るい笑顔で振り向いた。

「院長、あ、先生、おはようございます」

 岸田院長の2週間後の〈栄転〉は、すでにスタッフ全員の知るところだ。クリニック内の雰囲気が、以前と比べてはっきりわかるほど明るい。

 凌の机がある休憩室を兼ねた6畳ほどの部屋に入ると早速、松下茜が淹れたてのコーヒーを持ってきた。

「近頃、サービスがいいね」

 そう言う凌に、茜も曇のない笑顔を返す。

「あ、そうだ、先生。朝一番で、水上さんから電話がありましたよ」

「え?そう」

 飲もうとしたコーヒーのカップを中途半端な空中で留めながら、凌は茜を見上げた。

「昨日の夜から、熱が下がらないそうです。今日はお休みをいただきたいって」

「風邪でも引いたのかな?」

「で、しょうね」

 茜は発熱の原因を正したりしなかったらしい。まあ、大概の場合、風邪に相違はないだろうから。

 今日は、午後になっても杏胡の顔を見ることはできない。そう思うと、よく晴れた初夏の一日の始まりが、徐ろに無意味に感じられた。

 梅雨の季節を目前にした、ひとときの初々しい夏が凌は好きだ。雨上がりの公園で、ちょうど一年前、杏胡を拾ったのもこの季節ならではの悪戯だったに違いない。そうでなければ、捨て猫のように心細げな女子高生に関わることなど、凌の人生設計にはなかったことなのだ。

 いや、もともと人生設計などありはしなかった。愛人である母によってもたらされた、おそらく他人の目から見れば恵まれた境遇に、ずっと居心地の悪さを感じながら生きてきた。借り物のような所在無さが、杏胡という魂と共鳴し合った理由なのだと思う。


 快晴が続いたせいで、恵みの雨となった木曜日。その日、クリニックは定休日だった。

 おそらく夜中から降り続いた雨が、昼前にあがった。凌は、ハーフサイズのバゲットの真ん中に切れ目を入れ、そこにバターを塗りつけるとオーブントースターに放り込んだ。冷蔵庫からパンチェッタとちりめんレタス、クリームチーズを取り出す。バゲットが焼きあがるのを待ちながら、ニンニクの皮を剥き、包丁で真ん中から斜めに切る。焼き上がったバゲットに、このニンニクの断面を擦りつけるのだ。

 粗熱をとったバゲットを2つに切り、それぞれちりめんレタスを挟む。そして一方にはパンチェッタ、もう一方にはクリームチーズを挟んで出来上がりだ。

 飲み物は公園の自販機で、冷えたやつを買おう。そう決めると、凌は紙袋に無造作に入れたバゲットサンドを持って、自転車にまたがった。

 路面はまだ濡れているが、構やしない。公園につくのが早いか、初夏の陽射しが路を乾かすのが早いか競争だ。子供じみたそんな思いつきすら、凌の気持ちを浮き立たせた。

 公園のベンチは、すっかり乾いていた。自転車を傍らに置き、ベンチに座ると、途中で買った500mlのスポーツドリンクのキャップを開けた。軽く汗ばんだ躰の細胞に、少し塩気のある液体が染み渡っていく。

「ふぅ~」

 と思わず声を上げて(これじゃ、まるでオヤジだな)と独り照れた凌は周りを伺った。

 その視線の先に、髪の長い女の子が後ろ向きでしゃがみこんでいた。白いシャツにグリーンのチェックのスカートは、おそらく制服だろう。公園を棲処とする猫たちと遊ぶその後ろ姿に、凌はなにか違和感を覚えた。違和感の理由はすぐにわかった。その女の子は、紺色のハイソックスは履いていたが、靴を履いていなかったのである。


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