第一章 修復師ラナン 第一部 壊れたものに宿る記憶
ラナンは、物を直すことが好きだった。正確には、壊れてしまったものを見るのが嫌いだった。
それは、まだ幼い頃の記憶から始まっている。ラナンがまだ少年だった頃。
町外れに住む祖父が、大切にしていた古い木箱があった。
長い年月を共に過ごした箱。角は擦れ、蓋の金具は錆び、もう誰が見ても新しいものに買い替えたほうがいいと思うようなものだった。
ある日、ラナンは祖父に尋ねた。
「じいさん。その箱、もう使えないんじゃないか?」
祖父は笑った。
「そう見えるか?」
「壊れているよ?」
「そうだな。」
祖父は箱を撫でながら言った。
「でもな、ラナン。この傷を見るたびに思い出すんだ。」
「思い出す?」
「若い頃、この箱を買うために何日も働いたことをな。」
祖父は一つの傷を指でなぞった。
「ここには、旅先で落とした跡がある。」
「ここは、ばあさんが怒って投げた跡だ。」
「そして、この染みは……初めて孫のお前を抱いた時についたものだ。」
ラナンは黙って箱を見る。ただ古いだけだと思っていたもの。そこには、誰かの時間が刻まれていた。
「新しいものを買えばいいじゃないか。」
少年のラナンが言う。しかし祖父は首を振った。
「新しいものは作れる。」
「だが、過ごした時間は作れない。」
その言葉が、幼いラナンの心に残った。それからラナンは、壊れたものを拾うようになった。
壊れた玩具。欠けた食器。動かなくなった時計。最初はただの興味だった。
どうすれば元に戻るのか。どうすればまた使えるようになるのか。それらを考えることが楽しかった。
だが、成長するにつれて気付いた。人は、壊れたものを簡単に捨ててしまう。
新しいものを買えばいい。古いものには価値がない。そう言う人も多い。けれどラナンには理解できなかった。
物に価値がないのではない。そこに込められた時間を、誰かが忘れてしまうことが寂しかった。
青年になったラナンは、修復職人の元へ弟子入りした。師匠は厳しい人だった。
「修復っていうのは、綺麗にすることじゃない。」
初日にそう言われた。
ラナンは首を傾げた。
「壊れた場所を消すんじゃない。」
師匠は古い時計を手に取った。
「傷も、欠けた部分も、その物が歩いてきた証だ。」
「直すっていうのは、過去を消すことじゃない。もう一度、その物が生きられる場所を作ることだ。」
ラナンはその言葉を忘れなかった。
数年後。
ラナンは一人前の修復師になった。そして師匠から独立を勧められる。
「お前なら、自分の工房を持てる。」
ラナンは少し迷った。
「俺に……客が来るでしょうか。」
師匠は呆れたように笑った。
「腕がある人間が、何を心配する。」
「だが、お前の場合はそこじゃないな。」
「人と話すのが苦手だからか?」
ラナンは黙る。図星だった。
「いいか、ラナン。」
師匠は言った。
「修復するのは物だけじゃない。」
「その物を大切にしてきた人間の想いも修復するんだ。」
「だから、お前は向いている。」
そして一か月後。町の片隅に小さな工房ができた。
大きな看板はない。派手な宣伝もしない。
ただ、小さな木の看板に名前だけを書いた。
『ラナン修復工房』
彼が選んだ道は、壊れたものを直し続ける道だった。
第一章第一部を読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は、一人の修復師が小さな工房を開くところから始まります。
直すのは、壊れた物だけではありません。
そこに残された想いや、過ごしてきた時間もまた、彼が繋いでいくものです。
ゆっくりと進む物語ですが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。
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次回もよろしくお願いいたします。




