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第十一日「窓に置くもの」

 錦戸咲良が出かけたあと、西野雄太は食卓に残ったパン屑を集めた。


 昨日より少し早く起きたせいで、朝の片づけも早く終わった。窓から入る光はまだ床の端にあり、向かいの家では戸が閉まっている。通りを横切った女が、腕に抱えた籠を持ち直した。


 窓のそばには、畳んだ古い布が置いてあった。


 西野はそれを持ち上げ、窓台の埃を払った。長い耳の生き物は今日も見えない。来れば使えるように、布は同じ場所へ戻しておいた。


 食器を洗っている途中で、戸口に人影が差した。


「おはようございます」


 見知らぬ男が、籠を二つ下げて立っていた。片方には細長い葉の束が詰まり、もう片方には土の入った鉢が並んでいる。


「台所に置く草はどうです」


 西野は濡れた手を拭いた。


「食べられるんですか?」


「葉を摘んで使います。煮てもいいし、焼いた肉に載せてもいい」


 男は葉の束を一本抜き、西野に渡した。


 指の間で軽く揉むと、青い匂いがした。朝食のあとでも、何か温かいものを食べたくなる匂いだった。


「鉢の方は、これが生えている?」


「同じものです。切った方は早めに使ってください。育てるなら、こちらを」


 西野は籠の中を覗いた。小さな鉢から何本も葉が伸びている。一本だけ、縁に沿って曲がっていた。


「どれくらい大きくなります?」


「この鉢なら、そう大きくはなりません。葉が増えたら外側から取ればいい」


 男は急かさず、籠を敷居の外へ置いた。


 西野は台所を振り返った。錦戸が食事に使う草のことを、まだあまり知らない。昨日の鍋には何も足さなかったが、その前には乾いた葉を指で崩して入れていた。


「昼に、使う人に聞いてみます」


「それなら午後にでも。坂の途中に店がありますから」


 男は店の場所を教え、葉の一本はそのまま置いていった。


 西野が代金を尋ねると、見本だからいいと言った。籠を持ち上げ、隣の家の戸を叩く。そこでも同じ挨拶をしていた。


 西野は葉を小皿に載せた。


 片づけを終えてからも、ときどき手の匂いを嗅いだ。水で洗ったあとには薄くなっていたが、指を鼻へ近づけるとまだ分かった。


 昼前、昨日より少し遅く家を出た。


 仕事場へ向かう道は覚えていた。二つ目の角まで来ると、肉を煮る匂いが流れてくる。丸い窓の店には、もう三人ほど客が並んでいた。


 先に買ってしまおうかと思ったが、西野は通り過ぎた。


 仕事場の門では、昨日の男が椅子に座っていた。こちらを見ると、片手を上げた。


「今日も昼かい」


「はい」


「もうじき出てくるよ」


 庭の大きな板は、昨日と同じ台に載っていた。その上に布が敷かれ、細かな道具が並んでいる。錦戸は作業場の中にいた。向かいに座る女と、一つの箱を覗いている。


 西野は門の外で待った。


 昨日は庭の仕事ばかり見ていたが、今日は通りにも目が向いた。荷車を押す二人が、狭いところで前後に分かれる。片方が車輪を持ち上げ、石畳の窪みを越えた。


 鐘が鳴り始めた時、錦戸が箱に蓋をした。


 立ち上がる前にこちらを見つけたらしく、遠くから小さく頷く。西野も手を上げた。


 彼女は道具を棚へ戻し、手を洗ってから出てきた。


「今日はちょうどですね」


「昨日、早く来すぎたので」


「早くてもいいんですよ」


 錦戸は門を出ると、すぐ彼の隣へ並んだ。


「同じお店でいいですか?」


「今日は豆の方を食べてみたいです」


「では、私も」


 店の列は少し長くなっていた。


 二人で最後尾に並ぶ。前の男は、小さな子供を肩に載せていた。子供が店の窓を指差し、父親の髪を引っ張る。父親は首を傾けながら、何が欲しいのか聞いていた。


 錦戸はそれを見て笑っていたが、順番が来ると窓へ一歩近づいた。


「豆のものを二つお願いします」


 女がパンを切る間に、西野は端に置かれた壺を見た。


「今日は、こっちに少しだけ」


 匙につけた練り物を、パンの端へ薄く塗る。錦戸は何も言わず、そのあとで自分の分を取った。


 広場の木陰は乾いていた。


 昨日とは違う長椅子に座り、先に水を買ってから包みを開いた。パンの中には潰した豆と、刻んだ葉が入っている。


 一口食べて、西野は朝の匂いを思い出した。


「これ、今朝うちに売りに来ました」


「パンですか?」


「この草です。鉢に植えたものもあって」


 錦戸は具を見てから頷いた。


「ああ。これなら、時々使います」


「家にあるのは乾かしたものですよね」


「はい。生の葉もおいしいですよ」


 西野はもう一口食べた。豆は柔らかく、パンの端から押し出されそうになる。包みを下から持ち上げると、今度はうまく口へ運べた。


「鉢が一つあったら、使います?」


「使います。でも、どうして?」


「窓のところに置けそうだったので」


 錦戸は西野の方を見た。


「買おうと思っているんですか」


「朝は、使うか分からなかったので。坂の途中に店があるそうです」


「帰りに寄れる場所ですね」


「僕は午後に行けますよ」


 彼女は少し考え、パンを持ったまま頷いた。


「では、葉がたくさん出ているものを。先が黄色くなっているのは避けてください」


「大きい方がいい?」


「窓に置けるくらいなら」


 西野は家の窓台を思い浮かべた。広い場所ではないが、小さな鉢一つなら収まる。


「そんなに大きいのは売ってませんでした」


「それなら、お任せします」


 錦戸は包みから出た豆を指で押し戻し、続けて食べた。


 今日は辛さがあとから追いかけてこなかった。薄く塗ったところを食べると、舌に少し熱さが残るだけだった。


「これくらいですね」


 西野が言うと、錦戸は彼のパンを見た。


「もう分かりました?」


「昨日の量は、覚えておきます。多すぎる方として」


 錦戸は笑い、水の器へ手を伸ばした。


 木陰には涼しい風が通っていた。足元の小さな葉が一枚動き、椅子の下へ入った。西野が靴の先で押し出すと、次の風で通りの方へ飛んでいった。


 食べ終えた錦戸が、仕事着の袖についた粉を払った。


「午後も箱の中ですか」


「はい。数が合わないものがあって」


「見つかりました?」


「似た道具が別の箱に入っていました。今度は、そちらが多すぎるんです」


「両方開けておけばいいのに」


「場所がなくなるんですよ」


 彼女は広場の端へ目を向け、それから包みを畳んだ。


 二人で器を返し、仕事場へ戻った。門の前では、女が空の荷車を横へ寄せていた。錦戸はその脇を抜けてから振り返る。


「鉢、重かったら帰りに私が持ちますから」


「一つくらい持てますよ」


「はい。では、家で」


 西野は頷いた。


 錦戸が門の奥へ入るのを見届け、坂の方へ歩き出した。


 草を売る店は、教わった場所にあった。


 戸口の横に板を渡し、その上に鉢が並んでいる。朝の男は奥で土を篩っていた。西野を見ると、手についた土を払いながら出てきた。


「使うそうです」


「それはよかった。鉢ですか?」


「はい。窓に置きます」


 男は鉢を二つ、板の手前へ寄せた。


 どちらも葉は緑だった。片方は背が高く、もう片方は短い葉が多い。西野は低い方を選んだ。


「これなら、窓を開ける時に邪魔にならなそうです」


「日が当たるところへ置いてください。水は土を見て、乾いていたら」


 男は土の表面を指で触り、見せた。西野も同じように触った。指先に、冷たい土が少しついた。


「今日は水をやっています。受け皿はありますか」


「小皿なら」


「鉢より広ければ、それでいい」


 代金を払うと、男は古い紙で鉢を包んでくれた。


 持ち上げると、見た目より重かった。それでも両手で持つほどではない。西野は底へ片手を添え、坂を上った。


 途中、店先から出てきた男を避けた時に、葉が頬へ触れた。


 朝より濃い匂いがした。


 家に帰り、小皿を一枚出して鉢を載せる。窓台の中央へ置いてから、戸を開けてみた。葉には当たらなかったが、外を覗く時には鉢が胸の前に来る。


 少し端へ寄せた。


 それで具合がよくなった。


 西野は包んであった紙を畳み、土のついた手を洗った。部屋へ戻ると、窓辺だけが朝と違っていた。葉の影が白い壁に細く伸びている。


 午後は、上着の埃を払ってから、買い物へ出た。


 パンと、夕食に使えそうな野菜を少し買った。店で袋を受け取る時、昨日もらった卵の籠を持ってくればよかったと思った。帰ってから戸口の近くへ置き直した。


 夕方、錦戸が帰ってきた。


「ただいま帰りました」


「おかえりなさい」


 彼女は道具袋を下ろし、窓の方を見た。


「あ、買えたんですね」


 手を洗ってから鉢へ近づき、葉を一本、下から持ち上げる。朝の男と同じように、指の間で軽く揉んだ。


「いい匂い」


「昼のパンと同じでした」


「今夜、少し使いましょうか」


 錦戸は戸口の袋を覗いた。中にある野菜を一つ取り出し、食卓へ置く。


「これと一緒に焼けます」


「葉は、どれくらい取ればいいです?」


「二人なら、三、四本くらい」


 西野は鉢を自分の方へ回した。葉は思っていたより多かったが、いざ取るとなると一本ずつが目についた。


「外側から、でしたよね」


「はい」


 錦戸は道具袋から小さな刃物を出し、洗って渡した。


 西野は長い葉を四本切った。切り口から、わずかに汁が出る。皿へ載せると、窓辺にあった時よりもずっと少なく見えた。


「これだけで足ります?」


「匂いを足すだけですから」


 錦戸は野菜を洗い、西野は葉を細かく切った。


 鍋に油を引き、切った野菜を入れる。しばらくすると、錦戸が火を弱めた。西野の皿から葉を受け取り、鍋の上へ散らした。


 青い匂いが、熱で変わった。


 西野は鍋を覗き込んだ。錦戸が木の匙で底から返すと、焼けた野菜の間に細かな葉が混ざった。


「朝から、同じ匂いを嗅いでます」


「もう飽きました?」


「食べるところまでは、まだです」


 錦戸は小さな一切れを皿へ取った。


 西野が口へ入れると、野菜の甘みのあとに草の香りが残った。生の葉を指で揉んだ時ほど強くはない。


「こっちの方がいいですね」


「では、残りも」


 彼女は二人の皿へ料理を分けた。


 食卓へ座ると、鉢は錦戸の肩越しに見えた。外はまだ明るく、葉の先だけが風に揺れている。


 錦戸は一口食べ、それから窓を振り返った。


「あそこにあると、忘れずに使えますね」


「通るたびに見えますから」


「水も忘れませんか?」


「今日は、もうやってあるそうです」


「明日からですね」


 西野はパンをちぎり、皿に残った油をつけた。


「明日の朝は、僕が見ます」


 錦戸は頷いて、また食べ始めた。


 食後、西野が皿を洗っている間に、彼女は窓辺の古い布を持ち上げた。鉢の横へ置こうとして、少し場所を変える。窓の下にある椅子へ広げ、端を座面に収めた。


「来たら、こちらですね」


 西野は水から手を上げ、窓の外を見た。


 向かいの屋根には何もいなかった。


「草を食べなければいいんですけど」


「それは、来てから分かりますね」


 錦戸は葉の先へ指を添えた。西野が切ったところを見つけると、その手を離して振り返った。


「また伸びたら、取れますよ」


 西野は最後の皿をすすぎ、立てて置いた。


 窓を閉める前に、鉢を少しだけ内側へ寄せる。錦戸が隣で布の皺を伸ばしていた。


 十一日目、二人の台所に、摘んで使う草が一鉢加わった。

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