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第二日 町を歩く

 西野雄太が目を覚ました時、錦戸咲良はもう起きていた。


 台所から音がする。


 寝台から起き上がって行くと、錦戸は昨日買ったパンを切っていた。


「早いですね」


「仕事ですから」


「何時からなんですか?」


「そんなに早くないですよ」


 西野は椅子に座った。


 窓から入ってくる光はまだ弱かった。外ではもう荷車の音がしている。


「眠れました?」


 錦戸が聞く。


「眠れましたよ」


「よかったです」


「錦戸さんは?」


「私もです」


 二人でパンを食べた。


 昨日買った果物の残りも切った。西野は名前を思い出そうとしたが、やはり出てこなかった。


「これ何でしたっけ」


 錦戸が名前を言った。


「ああ」


「覚えてなかったでしょう」


「今覚えました」


「昨日も聞きましたよ」


「じゃあ二回目ですから、今度は大丈夫です」


 錦戸は何も言わず果物を食べた。


 食事が終わると、彼女は昨日しまったばかりの服を出した。


 王都にいた時より少し地味な服装だった。上から魔法使いの法衣を羽織る。


 西野はそれを見ながら水を飲んだ。


「角は?」


「今日はないです」


「魔法使いなのに?」


「角がない魔法使いなんていくらでもいますよ」


「そうなんですね」


「西野さんの中で魔法使いどうなってるんですか」


「錦戸さんです」


 錦戸は一瞬だけこちらを見て、それから袋の口を閉じた。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 扉のところで錦戸が振り返った。


「鍵、掛けてくださいね」


「分かってますよ」


「あと、遠くまで行かないでくださいね」


「まあ俺は帰ってこられますから」


「昨日来たばっかりでしょう」


「道は覚えました」


「本当ですか?」


「多分」


「多分じゃないですか」


 錦戸は少し笑って出ていった。


 扉が閉まる。


 西野は一人になった。


 静かだった。


 昨日は荷物を運んだり掃除をしたりしていたので気にならなかったが、何もすることがない。


 西野はしばらく卓の前に座っていた。


 棚には錦戸の本が並んでいる。


 一冊取ってみた。


 文字は読めるところと読めないところがある。題名だけは分かった。魔法についての本だった。


 開く。


 二頁ほど読んだ。


 閉じた。


「出るか」


 誰に言うでもなく呟いた。


 鍵を掛けて道へ出た。


 昨日より人が多かった。


 朝のブレドツリュウゲは、昨日到着した時より忙しそうに見えた。


 大きな荷車が何台も道を通る。荷物を担いだ人が行き交っている。店の前では商品を並べている者がいた。


 西野は昨日通った道を逆に歩いた。


 青い壁。


 低い屋根。


 石造りの水場。


 覚えている。


「大丈夫だな」


 少し安心した。


 そのまま昨日馬車を降りた場所まで行った。


 そこから先へ進む。


 道は緩やかに下っていた。


 潮の匂いが強くなる。


 海を見に行こうかと思った。


 別に今日でなくてもいいと言ったばかりだったが、時間はある。


 西野は下っていった。


 途中で人だかりがあった。


 何かと思って見ると、大きな木箱を四人が運ぼうとしている。


 重そうだった。


 一人が何かを言うと、横に立っていた男が木箱に手を触れた。


 箱の周囲に薄い膜のようなものが生じた。


 四人が持ち上げる。


 先ほどまでより明らかに軽くなっているらしく、そのまま荷車まで運んでいった。


 西野は立ち止まって見ていた。


 魔法だった。


 それだけだった。


 誰も驚かない。


 男も木箱を見送ると、次の荷物へ向かった。


 西野も歩き出した。


 しばらくすると、道の向こうに海が見えた。


「ああ」


 思ったより普通の海だった。


 青灰色の水面が広がっている。


 船が何隻か見える。


 大きなものもあれば、西野でも乗れそうな小さなものもある。


 港には人が多かった。


 魚を運ぶ者、縄を引く者、荷物を積む者。


 西野は邪魔にならないところまで行って海を見た。


 永遠の海とは違う。


 錦戸から聞いた話では、この辺りの海は内海に連なっているらしい。


 何百年も何千年も前から、この辺りには町があったのかもしれない。


 西野は考えた。


 すぐに考えるのをやめた。


 腹が減った。


 近くの店で何か買おうとした。


 昨日は錦戸が払っていたので、自分がどのくらい金を持っているのか確認する。


 硬貨が何枚かあった。


 多いのか少ないのか、よく分からない。


 店先で焼いた魚を売っているところがあった。


「これ一つください」


 金額を言われた。


 西野は硬貨を出した。


 店の男が一枚だけ取って、残りを返した。


「そんな安いんですか」


「もっと払いたいなら貰うぞ」


「じゃあいいです」


 魚を受け取った。


 細長い魚だった。


 骨が多い。


 食べながら海を見た。


 味は悪くなかった。


 ただ塩が強かった。


 食べ終わる頃には水が欲しくなった。


 西野は手を前に出しかけた。


 水くらいなら作れる。


 しかし昨日の埃のことを思い出した。


 手を下ろした。


 店で水を買った。


 それから町を歩いた。


 目的はなかった。


 服を売っている店に入った。


 値段だけ見て出た。


 本を売っている店にも入った。


 読めそうなものを一冊手に取ったが、買わなかった。


 広場では子供が数人走っていた。


 一人が転んで泣いた。


 近くにいた女が起こした。


 西野は通り過ぎた。


 昼をかなり過ぎてから家へ戻ろうと思った。


 道を逆に歩く。


 最初は順調だった。


 途中で一本、曲がる場所を間違えた。


「違うな」


 戻った。


 次は合っていた。


 青い壁が見えた。


 低い屋根。


 水場。


「帰れたじゃないですか」


 誰もいないのに言った。


 家へ入る。


 錦戸はまだ帰っていなかった。


 西野は椅子に座った。


 することがなくなった。


 今度は朝に開いた本をもう一度読む。


 少しだけ内容が入ってきた。


 結界について書いてある。


 知らない術式が出てくる。


 そこは飛ばした。


 三十分ほど読んで、寝転がった。


 そのまま少し眠った。


 扉の音で目が覚めた。


「ただいま」


 錦戸だった。


「おかえりなさい」


 西野は起き上がった。


「寝てたんですか?」


「少し」


「どこか行きました?」


「海まで」


「行ったんですね」


「行きました」


 錦戸は袋を卓の上に置いた。


「迷いませんでした?」


「一回だけ」


「迷ったんじゃないですか」


「一回間違えただけです」


「それを迷ったって言うんじゃないですか?」


「帰ってきたので大丈夫です」


 錦戸は椅子に座った。


 少し疲れているように見えた。


「仕事どうでした?」


「今日は説明ばっかりでした」


「何するんですか?」


「色々です。結界を見たり、魔法具を調べたり。何か問題があったら呼ばれるみたいです」


「忙しそうですね」


「まだ分かりません」


 西野は卓の上の袋を見る。


「何か買ってきました?」


「食べ物です」


「よかった」


「西野さんは食べたんですか?」


「魚を食べました」


「それだけですか?」


「昼は」


「朝からそれだけでしょう」


「果物も食べましたよ」


「朝一緒に食べたやつじゃないですか」


 錦戸は袋から食べ物を取り出した。


 パンと、肉と、何かの葉。


「食べましょう」


「まだ早くないですか」


「私はお腹空いてます」


「じゃあ食べます」


 二人で夕食にした。


 錦戸は仕事の話を少しした。


 西野は港で見た魔法について話した。


「箱を軽くしてました」


「ありますね、そういうの」


「錦戸さんもできます?」


「できますよ」


「俺もできますか?」


「多分できます」


「じゃあ何か軽くしてみますか」


「食べ終わってからにしてください」


 食事が終わった。


 西野は椅子を軽くしようとした。


 錦戸が横で見ていた。


「持ち上げてみてください」


 西野が言う。


 錦戸が椅子を持つ。


「どうですか?」


「軽いです」


「成功ですね」


「でも」


 錦戸が椅子を床に置いた。


 椅子は少し浮いた。


 二人はそれを見た。


「浮いてますね」


「浮いてます」


「港のは浮いてなかったです」


「じゃあ失敗ですね」


「軽くはなってますよ」


「そういう問題じゃないです」


 西野が魔法を解いた。


 椅子が床に落ちて小さな音を立てた。


「まあ今日はこれくらいで」


「もうやめるんですか?」


「初日ですから」


「何の初日ですか」


「ブレドツリュウゲで魔法を使う初日です」


「昨日使いましたよ」


「ああ」


 埃が部屋中に舞ったことを思い出した。


「じゃあ二日目ですね」


 錦戸が笑った。


 外はもう暗かった。


 昨日と同じように車輪の音が聞こえる。


 西野は寝る前に、明日は別の方角へ行こうと思った。


 錦戸は本を読んでいた。


「明日も仕事ですか?」


「そうですよ」


「じゃあ俺、明日は反対側に行ってみます」


「どっちの反対ですか?」


「海じゃない方です」


「迷ったら人に聞いてくださいね」


「分かってますよ」


 西野は寝台に横になった。


 二日目には海を見た。


 それだけ覚えておけば十分だと思った。

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