20 手遅れ悪役令嬢、パンを届けてもらう
さて、綺麗に焼けた残りの2個だが、せっかくなのでアンリ殿下に食べてもらうことはできないだろうか。
アンリ殿下は毎日ブレブレに買いに来てくれていた。パンが嫌いということはないと思う。
私にはパンを作るくらいしかできないし、忙しいなら尚更しっかり食事をしてほしい。毎日のご飯は大事!
それをオルガに相談してみると、ペーパーとリボンで綺麗に包んでくれたので、それを持ってパトリシアに聞きに行くことにした。どうにか渡せる機会がないだろうか。
すると、パトリシアはちょうど王城にアンリ殿下の食事や着替えを届けに行く支度をしているのだった。なんといいタイミングだ! 本当は私も付いて行きたいが、さすがにそれは即却下だろう。
なのでこのパンだけでも便乗させてもらえないか頼んでみた。
「パンを焼いたので、こちらもアンリ殿下に届けてもらうことはできませんか?」
「私もいただきましたが、見た目、味共に厨房の料理人が作ったものと遜色ない出来です。これでしたらアンリ様が召し上がっても問題ないかと思われます!」
そうオルガも加勢してくれる。とても心強い。
「まあ……それはそれは。アンリ様も喜ばれると思いますわ。お忙しいと少々食が細くなる方ですが、クリスティーネ様が作ったパンでしたら残さず食べていただけるでしょう」
正直、駄目元でお願いしたのだが、心よく受けてもらえてホッとする。
なんでか微笑ましいものを見る目だったけれど。
「ですがオルガ……貴方、いつパンを食べたのかしら……? わたくしが帰ってきたらゆっくり話を聞かせてくださいね?」
「ひえっ……」
しかしオルガは怒られることが決定してしまったようだ。
青い顔をして両手で口元を押さえブルブルと震えている。パトリシアは私にはいつも優しいのだけれど、オルガにはそんなに厳しいのかしら。
元冒険者で腕が立つというオルガがあんなにも怯えて震えているのは少し可笑しかったが、後で私が味見をするよう命令したからだってパトリシアにフォローしておこうと決めたのだった。
一緒にパンを食べてからオルガとは随分と仲良くなれた。二人きりの時には色々と話をしてくれるほどだ。
侍女としても優秀だし、軽い雑談なんかでも気軽に話せる人がいるのは気が楽になる。冒険者時代の話はそれだけで一冊の物語を読んだみたいに楽しく興味深いのだった。
趣味が恋愛小説だと話したら、彼女もほんの少しだけど持っていると言うので借りることになった。また、買い物に街に出た時についでに購入してきてくれると言う。
これで手持ち無沙汰の毎日がなんとかなりそうだった。
流石にパトリシアに恋愛小説を頼むのは恥ずかしかったので本当に良かった……。
とは言えアンリ殿下には色々と聞きたいこともあったので、早くちゃんと会って話したいと思う。早く時間が取れるといいのだけど……。
それに助けてもらったお礼もちゃんと言わなければ。下町から離れるのは寂しいことだったけれど、アンリ殿下がこうして自分の別邸に住まわせてくれて安全を保障してくれているのだから。
それに何より、忙しすぎて体を壊さないかが心配でならない。
ただし会えた時に、ちゃんと平静をよそえるか、が問題なんだけど……。今でも部屋でひとりの時には、たまに床を転がって奇声を発したくなるのだから……。
本に書いてあった、恋が辛いって、こう言うことなのかしら。
……違う気もする。
その日の夕食もひとりだったが、パトリシアがアンリ殿下にパンを渡した際に、私宛の手紙を預かったのだという。
パトリシアは上機嫌で、私も現金なことに一瞬で気分が上がるのを感じた。
「お忙しいご様子で、走り書きで申し訳ございませんが、アンリ様も大変喜んでおりまして……」
そう言って渡された紙には『パンをありがとう。とてもうれしい』と書かれていた。急いだであろう少々乱雑な文字に紙もそこらにあった切れ端のようで、まさに走り書きといった手紙だったが、むしろそれほどに忙しいのに直筆を書いてくれたということが本当にうれしくて、胸がほんわりと暖かくなったのだ。
「それで、もしよろしければなのですが、またパンを焼いた際にはアンリ様にお届けしたく存じます。クリスティーネ様のパンがあると、食欲が出るようでしたので」
「ええ、勿論! 明日も焼きたいです!」
パンを焼いていいなら毎日でもやりたい。それをアンリ殿下に届けてもらえるなら尚更だ。
更に、箱を用意してもらって、その走り書きの手紙を仕舞っておいた。
推しからの手紙が入った宝箱だ……!
なんとテンションが上がるのであろうか。
私はしばらくの間、箱を見ているだけで幸せな気分になれるのだった。
次の日もアンリ殿下は早朝に出たそうで不在だった。慣れてきつつも若干がっかりとしていた朝食の席で、給仕をしてくれていたパトリシアは言う。
「ですが、今日こそ夕食時には戻って来るそうですので、ご一緒できると思いますよ」
「ほ、本当ですか!」
「ええ、よかったですね」
「はい!」
力一杯同意した。
一瞬で上機嫌になり、午前中にパンを焼いてパトリシアに届けてもらう。午後はオルガから借りた本をパラパラと捲って時間を過ごしたのだった。
あまりにもソワソワとしすぎて、大好きな恋愛小説の中身が全く入って来なかったくらいだ。
そして夕食前、またあのエンパイアラインのドレスを着せてもらう。
そしてドレッサーで化粧を施され、髪の毛を整える。
しかし鏡の中の私は、なんだかニヤニヤと締まりのない顔をしている。一層引き締めて夕食の席に向かった。




