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19 手遅れ悪役令嬢、待望のパンを捏ねる

 なんとか一日は本を読んで暇を潰した。

 しかし、その日の夕食の時間にもアンリ殿下は帰ってこないのだった。


 さすがに心配になるほどの忙しさだが、王城にも当然アンリ殿下の自室があるので、どうしても帰ることの出来ない夜はそちらで休んでいるらしい。




 次の日の朝である。

 パン屋は朝が早かったので早起きには自信があるのだが、客という身分で侍女も来ないような早朝から屋敷内をうろつく、なんてことは許されるはずもない。

 早く起きて侍女が来るのをソワソワと待ち、来て早々にアンリ殿下のことを尋ねたのだったが……、昨日はやはり遅くなったからと王城に泊まったらしい。


 ひとりで食事を摂ることにも慣れて来た。けれどもやはり誰かと食べる方が楽しいし、そういう生活が恋しい。すごく空しくなってくるのだ。





「クリスティーネ様、本日はいかがなさいますか?」


 私はパトリシアの言葉に悩む。

 昨日選んだ本は読み終わってしまったし、他の難しい本を読んでも即飽きる自信がある。

 やりたいことはある。しかし聞き入れてもらえるだろうか……。

 迷ったけれど、私は意を決して頼むことにした。とりあえず聞いてみるだけでもチャレンジだ。


「あの、パトリシアにお願いがあります」

「わたくしで叶えられることでしたら」

「どうしても、パンを作りたいのです! 厨房を貸していただけませんか!?」


 パトリシアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「パン……ですか?」

「パンです!」


 私は力の限り頷いた。

 パトリシアは腕を組み悩んでいる。やはり難しいだろうか。


「……そういえばクリスティーネ様は、パン屋にいらっしゃったそうですね」

「そうなのです! そのこともあり、パン作りは数少ない私の趣味でして……」


 私は自然と胸の前で手を握っていた。お願いポーズだ。


「……わかりました。そうですね、第2厨房の方でしたら。第1厨房は常に人の出入りがございますし、彼らの仕事の邪魔になりますからね。しかしながら第2厨房は少々設備も古く、現在使っておりませんので、一旦掃除をさせますから、お時間をいただきますね」

「ありがとうございます!」


 ああ、パンが作れる! と喜びで満ち溢れる。うれしすぎて、ランランと鼻歌を歌ってくるくる回りたいのを理性で押し留めるのだった。





 午前中に普段は私の前に出さないようにしている女中達を使って第2厨房の清掃をしてくれるらしい。私のわがままに手間を増やしてしまって申し訳ないが、パンが作れるのは本当に嬉しい。


 どんなパンを作るか考えて午前中を過ごした。

 昼食を摂り、食休みしてからパン作りを開始することにした。



 パトリシア含む3人の侍女のうち、1番年若いオルガという侍女が付き添いをしてくれることになった。


「オルガ、よろしくお願いしますね」

「お手伝いが必要なことがありましたら、なんでもお申し付けください」


 客間にこもっている時は極力ひとりにしてくれるのだが、第2厨房付近にも多少は人の出入りがあるかもしれないということで、オルガがその護衛でもあるとのことだが……。


 私はオルガをちらりと見る。

 オルガは私よりも少し年上くらいにしか見えない、キリリとした眉の闊達そうな黒髪の女性である。

 侍女としてはまだまだ経験が浅いようだが、キビキビ動いてとても気持ちの良い働き方をしてくれている。パトリシアの教え方もいいのだろう。

 しかしながら護衛として、というのはどうなのだろうか。あの時のような襲撃者が侵入してきたら私もだけれどオルガも危険なのではないだろうか……。

 そんな私の視線に気が付いたのか、オルガはにっこりと微笑んで教えてくれた。


「実は私、以前に冒険者をしていたことがあるのです。腕には少々自信がございますから、安心なさってくださいね」


 冒険者、という職業がこの世界にはある。冒険者ギルドに雇用され、何でもやる派遣業と言った人たちだ。護衛、害獣退治や魔獣・魔物討伐、更には戦争の頭数にと、そういう荒事の仕事も多いため、腕っ節に自信のある人が多いのだとか。

 ごく普通の侍女にしか見えないオルガが元冒険者で、しかも腕が立つなんて驚きだ。

 なお、もうひとりの侍女、アンヌも冒険者ではないものの護身術に長けているそうで、オルガとアンヌは私の護衛兼侍女なのだとか。アンヌは30代くらいの紺色の髪に泣き黒子の、大人しそうでたおやかな女性にしか見えないので、これまた驚きだ。


 ……アンリ殿下、なかなかすごい人脈を持ってますね。


 オルガには今度暇な時に、冒険者時代の話を聞かせてもらうのも楽しいかもしれない。

 とりあえず今はパンである。





 何を作ろうか悩んだのだが、まずはオーブンの癖を知るためにオーソドックスな丸パンを作ることにした。パン屋にあるようなパン焼き竃とはサイズからして違うが、家庭用オーブンならエレナとパンやお菓子を作ったことがあるので使い方には問題ない。

 第2厨房は第1厨房よりも狭く、元々は使用人の賄いを作るために用意されていた厨房らしい。だがアンリ殿下はおひとりなので第1厨房で作る量も多くなく、また使用人を多くは置きたがらないので、第1厨房だけで全てを賄えるから今は使っていないそうだ。

 こうしてオーブンなんかもしっかり用意されているのに、あまり使った形跡もなく綺麗で勿体ない。


 私は材料を計量して混ぜていく。材料も酵母も第1厨房から分けてもらったものだ。

 普段王族が口にするものなので、どれも質がいい。

 そして待望のパン捏ねタイムだ。ねっちりねっちり捏ねるのは楽しい。実に心が安らかになる。

 無心で捏ねている内に表面がつるんとしてきたら、私の唯一の特技、火の加護を使った一次発酵だ。

 そして綺麗に成型していく。

 つるんとした生地を丸くして、天板に並べると更に発酵。


 よし、あとは焼くだけだ。

 火の加護のお陰で制作時間は半分以下になる。発酵やベンチタイムに時間が取られないので、製作中は集中できるのがいい。


「……早いものですね。見ているだけで終わってしまいました」


 オルガが感心したように発酵で膨らんだパン生地を見ている。


「これが唯一の特技なんですよ」

「素晴らしいことです。お手伝いも何もできませんでしたし、せめて片付けはさせてください」


 焼いている間に使った調理道具を片付けようと思ったのだが、オルガにそう言われてしまったので片付けはお任せすることにした。


 オーブンのほど近くに椅子を置いてもらって、焼けるパンの香りを堪能した。

 前世のテレビか何かの情報だが、パンの焼ける香りはストレスを減らすと聞いたことがある。確かにそんな効果がありそうだ。心がひどく落ち着いて、頭がクリアになった……気がする。

 目指せ、焼きたてパンで国民総幸せ計画!なんてことを考えて、焼きあがるまでずっとニヤニヤしていた私なのだった。



 さて、焼き上がりを見てみると若干の焼きムラがあるものの、とても美味しそうにふっくらこんがりと焼けていた。

 6個焼いた内、特に綺麗に焼けた2個は脇に避けておく。

 残りの4個はその場で熱いうちに食べてしまうことにした。

 運び入れてもらった小さいテーブルの上にパンを置き、オルガに紅茶を淹れてもらう。


「4個も召し上がれますか? 夕食が入らなくなるのでは?」

「そうなんですよね。せっかく焼いたから今のうちに食べると美味しいのだけど……」


 私はオルガの顔をじっと見る。


「私には多いようなので、一緒に食べてくれませんか? 焼きたては何もつけなくても美味しいですよ」

「いえ……その、お気持ちは嬉しいのですが、私は侍女ですし、クリスティーネ様と一緒のテーブルに着くわけには……」

「パトリシアもいないですし、ほんの少しだけです。それともお願いより命じた方がよかったりしますか?」

「……命令でしたら仕方ありません。ですがパトリシア様にはご内密にお願いします。あの方は怒ると怖いのです」


 オルガはそう言って片目をつぶるとチラリと舌をのぞかせた。そのお茶目な仕草にクスッと笑う。


「勿論、内緒で」


 一緒のテーブルに着かせることに成功した私は、二人でパンを食べながら冒険者時代の話を強請(ねだ)るのだった。



 久しぶりの焼きたてのパンは最高の味でした。誰かと一緒に食べた、というのも大きいのかもしれない。非常に満足だった。



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