18 手遅れ悪役令嬢、暇つぶしに本を読む
アンリ殿下に会えないまま夜は更け、せめて朝食は一緒に取れるだろうかと期待して早く起き、ソワソワしながら待っていたのだが、あいにく既に家を出た後だった。
「アンリ殿下は昨晩は深夜にお戻りになったのですか?」
「ええ……こちらの屋敷には寝に帰ってらしただけでございますね。王城に御用がおありとかで、朝の鐘が鳴るより先にご出立なさいました。ですので、大変申し訳ございませんが、クリスティーネ様には本日もおひとりでお過ごしください。外出は難しゅうございますが、室内でできる娯楽などでしたらご用意いたします」
がっかりしたが忙しいものはしょうがない。
娯楽にはあまり興味がない方だったので、屋敷内にある図書室に案内してもらうことにした。
しかしこちらも肩透かしであった。
別邸なので然程蔵書が多いわけではなく、更に歴史書や勉学に関連するものばかりだった。
……アンリ殿下って勤勉なんだなぁ……。本当にアンリ殿下については知らないことだらけで、それは少し寂しさを感じるけど、逆に言えばこれからたくさん知っていけるということだ。……多分。
そんな謎のポジティブさで図書室の本を見て回るのだった。
好きな恋愛小説の類があるとは思っていなかったが、もう少しくらいは読みやすい物語の本があるかと思っていたので本のラインナップには少々がっかりした。
結局、歴史書の中で比較的図説が多い本と物語調の本を選んだ。これくらいなら読める……はず。
「あら、こちらは?」
他にもないか本棚をよく見ていると下段の隅に他の本と全く毛色の違う本があるのを見つけた。
可愛らしい装丁の絵本である。表紙には擬人化したような服を着た愛くるしい動物達が描かれている。
「ああ、こちらはアンリ殿下が幼い時に……」
「よ、読んでいらしたんですか!?」
こんなに可愛い本を!?
「いえ……、ご用意したのですが、幼い頃から非常に利発でございまして、あまりこういった本には興味を示されず、一度義理で開いたことがあるかどうか、という程度でございます」
「そ、そうですか……」
興奮して食いついてしまった自分が恥ずかしい。
だって可愛い絵本を読む美少年時代のアンリ殿下だなんて、すごい破壊力だと思わない?すごく思う。見てみたい!
私はその絵本も読むことにして、自室として使っている客間に3冊を運んでもらった。
物語調の歴史書は、アンゲルブルシュトの古代史や軍記を読みやすく直した本だった。前世でいうところの現代語訳されている平家物語と言ったところだろうか。つまらないわけではないが、元々古代史に興味が薄いので、ふうん、で終わってしまった。
しかし、以前にアンリ殿下が言っていたシャミーラムが出てきたので、そこだけはしっかりと読んだ。
シャミーラムとは古代の王女だったが婿として迎えた王が亡くなり、新たに婿を迎えたが、最初の婿を殺したのが今の夫とその親族であると気がついて、夫とその親族諸共を毒殺をし、自らが女王として即位した、という伝説の女王の名だった。なんというどろどろ王家。今の王家にもこのどろどろさが受け継がれているのは間違いない。
その時に使ったと言われる毒を彼女の名を冠して呼ぶようになったのだという。
シャミーラムの毒は無味無臭なので、長い歴史の中、王家の家督争いでしばしば用いられ、王家の毒の隠語として使われているのだそうだ。
それ故にアンゲルブルシュトは『魔法と毒の国』と他国から呼ばれているらしい。
うん、わかった。自分の不勉強さが。
……王妃教育、あんまり役に立ってない。まあ毒とかは結婚してから聞くものだったのかもだけど。
毒というのは、加害者も被害者も力や魔法力の有無は関係なく使える。女性や子供でも大の男を殺すことが可能なものだ。そして生活に密着している食事や飲み物への混入が多い。無味無臭ならなおさらだ。
アンリ殿下は陛下の年の離れた王弟だったから、その微妙な立場はおそらく気の休まることがなかっただろう。
あの優しい、親しげな笑顔の裏にはきっと、こういうものが隠されていたのかもしれない。
私はふう、と息を吐いて気を取り直すと次の本を取り出した。
2冊目は図説の多い歴史書である。
ざっくりとした地図や表が記載されている。
この本にはアンゲルブルシュトだけでなく、近隣諸国の情報も載っているのだが、ある国を見つけて、おっ!と注目した。
なんと『恋情ラプソディア2』の舞台になった隣国、ベクレイアの情報が載っていたのだ。
わたしが無印の攻略が終わる前に2が発売してしまい、その頃隠しキャラを出すための長い道のりに行き詰まっていたので、思わず手を出してしまっていたのだ。
シリーズ扱いだが続き物ではなかったので、ネタバレを気にしなくてもいいというのが大きい。
2も中々楽しかったなぁ。アンゲルブルシュトが中世ヨーロッパ風ならベクレイアは中東っぽい雰囲気で、間違いでハレムに連れてこられてしまったヒロインが、そこで知ってはいけない秘密を知ってしまって……、というちょっとミステリ調のシナリオが面白かった。アンゲルブルシュトが魔法と毒の国ならベクレイムは呪術の国と呼ばれるのだろう。
魔法とよく似た呪術、呪いが広く浸透している国である。
隣国とはいえ、2の舞台は無印の100年後なので、攻略キャラは今現在、誰も産まれていないだろうし、今後も関わることもないとは思うけど。アンゲルブルシュトとベクレイアは私が生まれるよりも前に戦争をしていたことがあって、特に国同士の付き合いもないのだ。
それ以外はめぼしい情報もなければ面白い小ネタもなく、私はその本を早々に片付けた。
そして残る1冊が例の絵本だった。
タイトルは『こぐまのパン屋さん』
絵本の真ん中にはこぐまというには少々大きくて若干顔が怖い熊が、エプロンとコック帽をしてパンを持っている。
しかし少々怖い顔でもパン屋というだけで私の好感度が急上昇なのだ。こぐまの色もどことなくパン色だし!
その熊の周りには服を着たり買い物かごを持ったウサギやネズミや猫がいる。
内容はざっくりと言うとこんな話だ。
『こぐまがパン屋さんを始めたのだけど、他の動物は怖がって買いに来ない。目を怪我したウサギだけがパンの匂いに釣られてやってきて、毎日パンを買っていく。
毎日買いに来ているうちに、こぐまとウサギは友達になった。
ウサギの目が治って、顔の怖いこぐまにびっくりしつつも、こぐまはずっと優しかったし、パンも美味しかったので、もっといっぱいお客さんが来るように知恵を絞って協力することにした。
お客さんを怖がらせないようにと真っ暗な店内でパンを売ろうとしたり、窓から手だけ出して売買しようとするがどれも失敗してしまう。
二匹は諦めて一緒に普通のパン屋をやることにした。
するとウサギを食べないなんてきっと心の優しい熊にちがいない、と周りの動物達がパンを買っていくようになった。めでたしめでたし』
なんというか……とてもパンが捏ねたくなる話だと思う。
私の理想とも言える内容なのだ。
平民とか貴族とか関係なく、私の作ったパンを食べてもらいたい。
そんな大切な気持ちを思い出させてくれる本だった。
今すぐには無理だけど、いつか全てが解決したら、こんな風にパンを焼いて私の大切な人達や、沢山の人にパンを食べてもらえる日が来るといいな……なんてそう思うのだ。
アンリ殿下、この絵本は読んだのかな。義理で一度くらいは開いたかもってことは読んでいるかもしれない。読んでいてくれたらいいなと私は思うのだった。
しかし私はこの本を読んだせいで、パンを捏ねたくて仕方がなくなり、手近なソファの背もたれを揉んでみたり、布団を揉んでみたり、最終的に枕を揉むことで我慢するのだった。




