9 手遅れ悪役令嬢、雨に降られる
フェオドールを先に店から出して帰らせた。
私はしばらく時間をおいてからマルゴさんの店から出ると、心配そうな顔をしたマルゴさんが走り寄ってきた。待っていてくれたみたいだ。
「クリスちゃん大丈夫だった? ねえ、さっきのお兄さん、顔がすごいことになってたけど、何かされたの?」
「大丈夫ですよ! ちょっとしつこかったから、一発かましたってことで」
まあ、嘘ではない。しつこくセリヌン系してきたわけだし。
「え、ええ……」
「それよりもお店貸してもらって、ありがとうございました。それにコレットもびっくりさせちゃって……ごめんなさい」
「ううん、大丈夫だから、また遊びにきてね。コレットはクリスちゃんが大好きなの。クリスちゃんのこと、絵本に出てくるお姫様だと思ってるのよ」
「お、お姫様だなんて……」
あはは、と笑ってみせるが、ほんの1年前には王妃になる予定だった自分なので、なんとも言えない気分になるのだった。
フェオドールとの話で随分と時間をかけてしまったので、私は慌ててパン屋に戻った。昼前の忙しくなる時間にはなんとか間に合ったけど、迷惑をかけてしまった。
「遅くなっちゃって、すみませんでした!」
「ああ、こっちは構わないよ。マルゴから聞いてたからね。それより、クリスちゃんは大丈夫だったのかい? ……その、……昔の知り合いだったんだろ?」
おかみさんは、わずかに声を潜めて遠慮がちに聞いてくる。
「ええ……まあ……。話は付けたので、もう大丈夫です」
「また来たらブレイズに怒鳴りつけてもらおうかね」
ねえ、とおやじさんに話を向ける。こんな時でも黙々とパン生地を捏ねていたおやじさんは、それには肯定も否定もしなかった。怒ってるみたいに見えるけど、大体いつもこんな感じだ。
実際にしつこいクレーマーがいたらちゃんと追い払ってくれる、頼りがいのあるおやじさんでもあるのだ。
「おい、クリス、あの……なんだったか、めろ…メロスパンだとかいうやつ、作っていいぞ。あの上が甘ったるいやつだ」
「ああ、メロンパンですね。でも、いいんですか? こないだ作った時はまだまだだって……」
「構わねえよ。……パン生地捏ねてたらよ、ムカつくもんも吹っ飛ぶだろ」
「あ……っ! ありがとうございます、おやじさん!」
職人気質で自分にも他人にも厳しく、パンの出来にはとにかく厳しいおやじさんだけど、無心にパンを捏ねている時は嫌なことを考えないですむ、と言ってくれているのだ。そんなおやじさんの不器用な優しさに胸が温かくなる。
「よーし、それじゃあ、メロンパンでおやじさんの及第点が出るように頑張る!」
「その意気だよ」
おかみさんが笑いながら背中を叩いてくれる。うん、よし。気合いが入った。
「おめえは、パンの腕はまだまだだがよ、発想は悪かねえ。あとはとにかく回数だ。パンは経験だからな」
「はい!」
そしてまたいつも通りの生活に戻っていった。なお、メロンパンは及第には届かなかった。
次の日、いつだったかメロンパンが食べたいと言っていたアンリ殿下のために1個、取っておいたのだが、その日アンリ殿下は訪れなかった。
「また明日って言ったのに……別にいいけど。……気にしてるわけじゃないし……」
誰に聞かせるわけでもない言葉が、今にも降り出しそうな暗い雲に溶けていった。
「あっ! 降って来ちゃった」
ポツポツと降り出した雨は、あっという間にザーザー降りに変わる。
この世界では傘は高級品だ。特に下町では傘をさしている人はほとんどいない。ビニールなんかも存在しない世界なので、ビニール傘のような廉価版が存在しないのだ。そもそもこの地域では、こんなに本降りの雨が降ることは珍しい。前世でも異常気象ってよく言われていたけど、この雨もその類なのだろうか。
ここら辺の地域でよくある小雨くらいなら、外套をかぶって駆け足で済ます人が多いけれど、ここまで強い雨なら弱くなるまで待つのが普通だ。
そのせいもあって、商店街自体、通る人は稀だった。
「しょうがない。マルゴさんのところは午後に行こう」
強い雨足に、わざわざパンを買いに来る人も少ない。
レジ代わりの台に頬杖をついて暗い雲を見上げる。雨の中、暇で少しだけ憂鬱な午前を過ごした。
昼を過ぎると空が若干明るくなり、雨も徐々に弱くになってきた。 このくらいならストールでも巻いて走れば大丈夫だろう、という程度の振りになったところで、おかみさんが顔を曇らせているのに気がついた。
「おかみさん、どうかしたんですか?」
「いやね、さっき聞いたんだけど、マルゴの店が今日はやってないらしくてね……。それでちょっと気になってね。クリスちゃんは、これから行くのかい?」
「そのつもりです。メロンパン、せっかくだしコレットにも食べて欲しいなって。今から行って様子を見てきましょうか?」
「そうしてもらおうかね。ほら、コレットは前にも具合悪くしたことがあったろう? 今日も雨で少し冷えるから心配で」
おかみさんはやきもきしたように手もみをしている。優しいおかみさんは小さいコレットのことも気にかけているのだ。
「ほら、ついでにこれも持っていきな」
行く用意をしていると、パンをいくつも渡される。持ちきれないんじゃないかと心配になるほどだ。
「今日はどうせこの雨だ。お客も少ないし、時間は気にしなくていいよ。ああでも、もしコレットが具合悪いんならあたしを呼びなね」
おやじさんは今日はパンが少し余り気味だから、珍しく追加のパンをこねていない。足を組んで座っていた。
「おめえは若いのに全然遊びにも行きゃしねえ。たまにはゆっくりしてこい」
おやじさんがさっさと行けとばかりに顎をしゃくる。
「はい、行ってきます!」
私は昨日マルゴさんにもらった、あの黄色いストールをかぶって、パンが濡れないように胸元に抱きしめると、小走りでマルゴさんの店に急いだ。
「あら、本当に閉まってる」
マルゴさんの店の木戸は固く閉ざされているようだった。
仕方なく、路地を大回りして裏の住居スペースに回ることにした。
マルゴさんのお店と住居は一つの建物になっていて、室内の間にある扉で仕切られている。表の店から入って、その内側の扉からでも出入りはできるようになっているけど、住居スペース側にも勝手口のような出入り口があるのだ。
裏に回り、住居スペースの扉をコンコンと叩いた。
「マルゴさーん。こんにちはー! クリスですけど」
応答がないので、またノックする。
「いないのかな……」
留守なのか、と思ったところで扉が細く開かれ、マルゴさんの顔だけが覗く。室内は暗い。
「クリスちゃん……?」
細く開かれた扉から覗くマルゴさんは青い顔をして、ひどく憔悴していた。
「ど……どうしたんですか!?」
「ともかく入って……」
マルゴさんに腕を引かれて部屋に入った。
室内は薄暗い。
マルゴさんの部屋は左右を別の店に挟まれているので、窓といえば裏口側にある小さな窓しかないのだが、その窓にはカーテンが引かれている。
下町の照明器具といえば蝋燭だけど、こちらの火も灯されていないために暗いようだった。
暗さに目が慣れてきてマルゴさんをよくよく見ると、胸にコレットを抱きかかえている。
コレットはマルゴさんに抱かれたまま動かない。眠っているようだった。
「コレット……具合悪いんですか……? 私、おかみさん呼んで……」
「違うの……」
私の言葉は遮られる。
ひどくおどおどとした声だった。
「その……店の方に……泥棒が入ったの」
マルゴさんの視線は、住居スペースと店とを繋ぐ扉に向けられていた。
「え……っ!」
大声をあげそうになり、慌てて抑える。
「ちょっと……店の方が荒らされてて……。コレットはそれを見て不安定になってしまって……。さっきようやく寝付いたの」
よくよく見るとコレットの頰には涙の跡がある。
「ど……泥棒と鉢合わせたりとかは」
「いいえ、私達はこっちの部屋で寝てたんだけど、別に大きな物音もしなくて……。だからいつも通りに起きてコレットが店側の扉を開けたら……店が荒らされていて……」
「警察……いや……えっと、衛士は呼びました? まだなら私が呼んできますけど」
マルゴさんは力なく首を振った。
「衛士を呼んだって何もならないわ……。こんな下町の小さな店での、ただの盗みなんて何もしてくれやしない……。衛士なんて、目の前で人が殺されでもしなきゃ、ろくに動かないのよ」
「そんな……! それじゃあ泣き寝入りじゃないですか!」
「それに……店の売り上げやお金はこっちに置いてたから大丈夫だったの……でも……」
マルゴさんは俯いて自分のスカートをぎゅっと握る。手の甲に筋が浮くほどに強く。
「ごめんなさい……クリスちゃん……。預かってたドレス……盗まれてしまった……。ごめんなさい…ごめんなさい……」
絞り出すような声だった。
「あ……」
マルゴさんの頰に涙が伝う。
私は唇を噛んだ。
――私のせいじゃないか。
下町では値段をつけるのも難しい高価なドレスがあるなんて知られたら、当然危険に決まってる。そして、それを持ち込んだのは私だ。
マルゴさんはそのドレスを、ぱっと見ではわからないところに、しっかりと隠すようにしまっていた。
高価なものを持つ危険は私なんかよりずっとわかっていただろうし、当然誰かにドレスの話をしたこともないはずだ。
私だっておかみさんやおやじさんにすらドレスの話はしたことがない。
昨日、フェオドールとの話をどこからか聞かれていたか、それともフェオドールのような身なりのいい人間が出入りしたことで、目をつけられたか…。
もしくは……フェオドール自身が……。そんな可能性が頭をよぎったが、すぐさま自分の考えを否定した。昨日話した限りでは、フェオドールは悪い男ではなさそうだった。
店に泥棒に入られたのは私のせいだと、詰られても文句を言えない立場なのに、マルゴさんは私から預かったドレスが盗まれたことを悔やんで、こんなにも憔悴している。
「マルゴさん、私こそごめんなさい……。私があんなのを持ち込んだせいで……」
マルゴさんはもどかしげに首を横に振った。
「いいえ! あれは私が預かるって言い出したのよ……! なのに……」
私はマルゴさんの手を取る。ひどく冷たい手だった。泥棒に入られて、きっとマルゴさんも怖かっただろう。女ひとりで小さいコレットを抱えて、不安で、どうしたらいいかわからなくて、途方にくれていたのだろう。私がそんな彼女をこんなに手が冷たくなるほどに悩ませてしまった。
「ねえ、マルゴさん。私は今、素敵な服を着てるよ。暖かくて、動きやすくて、可愛い服なの。この服、どこで買った服? って聞かれたらこう答えるの『マルゴさんのところの服ですよ』って」
「え……?」
マルゴさんはキョトンと顔をあげた。
やっと、顔をあげてくれた。私は安心させるように微笑んだ。
「ドレス、今まで預かっててくれてありがとうございました。でも、もう私には必要ないんです。マルゴさんの服があるから」
冷え切ったマルゴさんの手を少しでも温めるために擦る。
「ね、おかみさん呼んでくるから待っててください。温かいスープか何か飲みましょう。それから現場保全しなくていいならお店、片付けなきゃ」
マルゴさんがようやく頷いてくれたので、私は急いでおかみさんを呼びに行った。
ドレスのことは伏せたが、事情を説明するやいなや、スープ鍋を持って小雨の中を駆け出した。
「あんた、店は任せたよ!」
おかみさんにそう言われたおやじさんは無言で頷いた。
私もおやじさんに頭を下げるとおかみさんの後を追って急いでマルゴさんの店に戻った。




