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20/21

おまけ : OL松田と課長のはなし

お別れから一年後の、ОL松田と元係長のはなし




 久しぶりの青空だ。

 風も吹かず日向のベンチは心地良い。

 やはり、春のお弁当は外で食べるのが気持ちいい。


 花粉症になってしまうとそうもいかなくなるんだろうなあ、と考えながら魔法瓶から熱いお茶を注ぐ。

 一口飲んでほっと息をついていると、目の前にタータンチェックの紙袋が差し出された。


「はい、ホワイトデー」


 見上げると、後ろから課長が手を伸ばしていた。


「あ、ありがとうございます」


 びっくりしつつも袋を受け取ると、


「隣、いい?」


 と座られた。


「あの、これ、中を見てもいいですか?」

「うん」

 

 紙袋が可愛いので縁が破れないよう慎重にテープを剥がした。

 がさがさと音を立てながら取り出すと、まず目に入ったのはくるくると巻かれた何色もの可愛いリボンだった。

 透明セロハンの包みの中に、大好きな羊のジョーンとジェーンのぬいぐるみが手と手を取り合い、赤いハートを抱いて座っていた。


「可愛い!」


 思わず頬が緩んでしまう。


 ジョーンとジェーンは私が好きなクレイアニメのキャラクターだ。

 アニメグッズなんて子供っぽいだろうかと思いつつも、少しずつマグカップやハンドタオルといった邪魔にならない程度の小さなグッズを集めていた。

 

 嬉しい。嬉しい。

 自分じゃぬいぐるみを買う勇気なんてなかったし、それに、課長は私がジョーンを好きだって覚えていてくれたんだ。


「ありがとうございます! 大事にします!」

「良かった」


 課長が笑って、缶コーヒーのプルタブを開けた。

 それから、二人でのんびり並んでお昼を食べた。




 黒葉さんが消えてから、もう一年が過ぎようとしている。

 私は相変わらず地味なОLを続けていて、それなりに平和に暮らしている。

  

 時々、こうして課長が私のベンチにお昼を食べにくることがある。ランチに誘われることもあったけど、女子社員からの風当たりが強くなることに気付かれてから、昼間は誘われなくなった。

 係長から課長に昇進してからは、今まで以上に終業時間に差がつくようになったし、デートらしきものに誘われても、用事があるからと断っていた。



 そんな日常も、明日で終わりだ。

 



 



「松田さん、今までどうもお疲れ様でしたーっ!」


 掛け声と共に一斉に拍手をされ、花束を渡された。

 朝礼の時の真面目な空気と違い、居酒屋の賑やかな空気の中、仕事が終わり皆もリラックスしている。


 お辞儀をして花束を受け取り、簡単なお礼の言葉を述べた。


 そう。


 今日で私は、会社を退職した。


 一年前、黒葉さんがいなくなった寂しさを埋めるため、私はカルチャースクールの習い事を掛け持ちで始めた。その中の一つのスクールの先生が木製輸入玩具店を経営されていて、スタッフの空きが出たから入らないかと誘われたのだ。私の受講態度や雰囲気を気に入ってくださり、きっとお店に合うからと熱心に勧めていただき、転職することとなった。

 

 

 2月14日の朝、バレンタインのチョコレートと共に出した退職届を、課長は驚いた顔で受け取った。

 一身上の都合で、と書面上は書いたものの、転職理由は口頭で答えた。

 チョコには、【今までお世話になりました】とメッセージを添えた。

 退職届を出す日をバレンタインにしたのは、こんな口実でないと、もうチョコなんて渡せないと思ったからだ。



 本当の原因は、私がもう限界だったから。


 課長の眼差しや優しさが、辛い。





 送迎会は一次会で帰宅した。

 

 がらんとした部屋の中、家電しか残っていないスチールラックに飾ったぬいぐるみを眺めながら、マグを抱えて紅茶を飲む。 

 ぬいぐるみをセロハンから取り出そうかと思ったけれど、可愛いラッピングが勿体無かったのでそのまま飾っている。私はとことん貧乏性だ。

 

「……ついに、一人かぁ」


 抱き合う二匹を眺めていたら、自然と呟きが漏れた。

 黒葉さんとの思い出の残るこのアパートを去るのは寂しい。


 でももう、前に進むって決めた。



 ――ピーンポーン。


 突然のチャイム音に、私は身体を強張らせた。

 こんな夜更けに誰だろう。

 押し売りか、勧誘だろうか。


 ピーンポーン。


 また、チャイムが鳴る。

 唯一この時間でも突然訪れてきそうなのは兄だ。けれど兄は今、奥さんと旅行中だ。『温泉サイコ―!』と昼間メールがきていた。


 硬直して動けないでいると、また、ピーンポーンと音がした。


 怖い。


 コン、コン。

 コン、コン。


 遠慮がちに何度も続くノック音に、私の恐怖は限界になった。バッグに手を入れ、携帯を取る。震える指でボタンをタップする。

 プルルル、プ……。


『はい』

「……あ」


 繋がってから、我に返った。


「……す、すみま、せ……あの……」

『どうしたの松田君。もしかして何かあった?』


 電話口の向こうから、課長の声がする。


「……な、んで、ない、です……」


 馬鹿だ。

 大馬鹿だ、私。

 よりによって、このタイミングで課長にかけてしまうなんて。

 

「『何でもないわけないだろう、そんな声出して』」


 課長が驚いたような声を上げる。

 気のせいか、ドア向こうからも同じ聞こえるような――。


「『大丈夫か松田君!? 今、何処にいるんだ!』」

 


 ――キィ。


「ああ、なんだ良かった、自宅にいたのか。インターホン押しても出ないから、帰り道で何か起きたかと……」


 ドアを開けた私を見て、課長はホッとした顔になった。


「あ、あのぅ……どうしてここに」

「え? あ、いや。迎えに、来たんだけど」

「……え?」

「あれ、もしかして、読んでないの?」


 私達は目を合わせ、互いに固まってしまった。


「……その、昨日のぬいぐるみに、メッセージを持たせていたんだが」


 気まずそうな課長の申告に、「うそっ!?」と声をあげてから、慌てて私は口を押さえた。オンボロアパートは音が周りに響きやすい。


「ちょっ、ちょっと待っててくださいっ」


 部屋からセロハンを被ったままのぬいぐるみを持って登場した私を見て、課長は額に手を当て上を向いた。


「……そうか……なまじ包装が透明だと、そういう可能性もあったか……」

「す、すみません……」

「いや、何も言わなかった僕が悪い。柄じゃないことなんてするもんじゃない」


 軽くため息をついた後、「――開けてみて」と課長が呟いた。

 気まずさと申し訳なさで縮こまりながら、リボンを解く。ぬいぐるみを取り出すと、抱かれていたハートは薄型のカードケースで、端がつまみやすいようにカードが飛び出している。

 よく見れば、すぐに分かる仕様だ。


 プレゼントされた事に浮かれていて、全く気付いていなかった……。


 再度もごもごとお詫びを言いながら、カードを引き出しメッセージを読んだ。


【送迎会後、一緒に行きたい場所があるので付き合ってください。

 帰りが一緒になれない場合は、自宅まで迎えにきます】


「一応、来る前に電話をして、留守電に繋がったんでメールをしておいたけど」


 課長の言葉で、携帯電話がサイレントモードのままだったことを思い出す。


「すみません、携帯見ていません……」

「そ、そうか」


 再び、気まずい沈黙が流れる。


「……うん。また出直すよ」


 課長が踵を返しかけたので、私は急いでスプリングコートの裾を掴んだ。


「だ、大丈夫です、今から行けます」

「しかし――」

「行きます、待っててください」


 私は部屋に戻るとざっくりしたニットカーディガンを羽織り、小さなお散歩用バッグに財布と携帯とハンカチ、リップクリームだけを入れた。


 今夜しか、もう時間はないから。






 タクシーが山道に入る。

 しばらく進むうちに道が悪くなり、ごとごとと車が揺れだす。

 車は道の途中で止められ、目的地までを私達は歩いた。


 どこに向かっているのか尋ねなくとも分かっていた。私には、とても馴染みのある場所だ。



 大きな鳥居を潜り抜け、御神木の前に立つ。

 そっと木の幹に触れてみた。あの別れの日からも、たびたび何度かここに来ては、名前を呼びかけてみている。


 今はここにはいないのだと、頭では分かっている。

 人間に転生し直し、何処かで新しい人生を歩んでいるのだとも。


 それでも、確かにここに黒葉さんは住んでいた。私を不思議な世界に導いてくれた。

 

 ――きっと、いつかまた会える。


 そう信じてはいても、黒葉さんのいなくなった日々は私の心にぽっかりと穴を空けていた。



「――君が退職すると知ってから、ここに来ようと決めていた」


 振り向くと、課長が私の傍まで歩いてきた。


「松田君」


 咳払いをすると、課長は真面目な顔で私の前に立ち、見下ろした。


「僕は、今でも君の事が好きなんだ。

 どうか、付き合ってほしい」


「――私じゃなくてもいいじゃないですか」


 なるべく平静を努めて答えを返す。


「課長はモテるんですから、もっと素敵な人とお付き合いされた方がいいです。

 私、見ての通りだし、別に性格美人でもないですし」


「僕は君しか見えていない」


「それは、幻想、です」


 わざとゆっくり答えると、課長の眉がわずかに上がった。


「彼がいなくなって一年だぞ。

 一年経っても見ているのに、君はそれを幻想と言うのか」


「はい、幻想です。課長は私に夢を見過ぎています。

 他の人を見た方がいいですよ。

 あ、水沢さんなんてどうですか? 彼女すっごく美人だし、課長の事――」


 わざと嫌な言葉を選んでいると、ぐいっ、と肩を掴まれ、私は木の幹に背中を押し付けられていた。


「――そうやって、僕から逃げるつもりか」


 ぎり。

 掴まれた肩に痛いほど力が入り、耳元に唇が寄せられた。思わず「あ」と小さく声をあげると、幾度も温もりを落とされた。

 鼓動が激しくなり身体が震える。

 そのまま唇が首筋に動いていくのを、半ばぼうっとしながら受け入れかけ――、やがて我に返った。


「やめてください……」


 弱弱しく押し返しながら訴えると、ハッとしたように動きが止まった。


「――すまない」


 ぎこちなく身体が離れ、楽になる。はあっ、と大きく息を吐いてから、呼吸の仕方も忘れていたのだと気付いた。


「君に……こんな事をするつもりでここへ来たんじゃないんだ。

 黒葉君がいた場所で、報告をしたかった。

 『松田さんを貰います。大切にします』って」


 課長は寂しそうな顔で私を見た。


「松田さん、僕の前からいなくなるつもりだよね」



 ――気付かれていた。



「辞表を貰った時からそんな気がしていた。

 さっき、部屋の中に引っ越し用の段ボールが見えて、確信した」


 何も言えず、私は俯いた。


「もしかして、僕の気持ちが迷惑だった?」


 弱弱しく首を横に振る。


 迷惑なわけない。

 嬉しくて、どきどきして、ちゃんと顔を見る事ができないくらい、好きな人だ。


「課長が好きなのは……本当の私じゃないんです」


 言い出すと、くすぶっていた思いがぽろぽろと零れた。


「私、黒葉さんと出会ってから、自分が特別な存在になった気がしました。毎日が楽しくて、刺激的で、わくわくして。

 きっと、そんないつもと違う私の様子を見て、課長は気になってくれたんだと思います。

 だから……もしも今の私と付き合ったら、きっと幻滅されるって分かっているんです。本当の私は、面白くも何ともないですから。

 嫌なんです。嫌われたくないんです。

 黒葉さんもいなくなったのに、課長にまで嫌われたら、私――」


「幻滅なんてしないよ」


 揺るぎない声に、言葉が止まる。


「嫌いになんて、絶対、ならない」


 堪えていた涙がじわりと盛り上がる。零れないよう必死に気を付けながら目をしばたたせていると、「それに」と課長が続けた。


「元々、彼が現れる前から君の事が気になっていた」


「……え」


「突然綺麗になって雰囲気も変わったから、彼氏ができたのかと焦った。

 まさか、相手が人間じゃなかったとは思わなかったけど」


「……」



 会社には、綺麗な女の子がたくさんいるのに。

 カッコイイし、優しくて、仕事もできる人なのに。



 本当に、どうして、よりによって私なんだろう。



「趣味、悪過ぎです」


 呟くと、一拍の間の後、ぶはっ、と課長が噴き出した。


「そうかもなあ……よーし、じゃあ、そういうことにしとこう。

 これでもう、君が僕を避ける理由は無くなったことだし」


「へっ?」


「えー、趣味が悪い僕ですが、一途さにはちょっと自信があります。

 松田絵里さん」


「は、はい」


「僕と、お付き合いしましょう」


 差し出された手と、その先にある顔を見比べる。

 落ち着いた温かな笑顔が、私をまっすぐに見ている。



 本当に、いいの?


 私で?



「おいで、松田さん」



 優しい呼びかけに、私は高く両腕を伸ばしていた。








「松田君、引っ越し先ってまだキャンセルできる?」


 帰りのタクシーの中で、課長が尋ねてきた。


「さあ、どうなんでしょう。連絡してみないと分かりませんが。

 どうしてですか?」


「よかったら、僕のマンションにおいで」


「あ、はい。でも今の時期、課長のマンションに部屋の空きはあるんでしょうか。 

 そもそも、家賃が私に払える金額かどうか……」


「あー、うん、そういう意味じゃ、ないんだな……」


 言葉を濁す課長の横顔に見惚れていると、


「――僕の家に一緒に住もう、ってこと」


 え?


 すっ、と手をすくって繋がれる。


 あの。

 今、付き合い始めた、ばかり、ですよ?

 

「そそそそんな、いきなりっ」


「これまで随分待っていたからね、少しでも一緒にいたい」


 繋がれた手に力が籠る。


「ただでさえ、明日から君のいない職場なのに」



 ぷしゅーっ、と頭から蒸気が上がりそうになる。 



 アワアワ言ってる私を見て、課長はまた可笑しそうに笑った。



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