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遊行者たち

 この釈迦牟尼世尊に対して、三千人の弟子を持つニグローダという遊行者は問答を挑んだのだが、「苦行と欲を離れる道はいかなることが完成といえるか」という自らに有利な問いに満足な返答をすることが出来なかった。

 ただ(かしら)を垂れるニグローダに世尊は云った。

「しかしながらニグローダよ、(おんみ)は『ゴータマは私を弟子にしたいがためにこのように云うのである。我々の生活を奪うために、また我々を善から離れしめ、不善に就かしめようとするために云うのである』と思ってはならぬ。(おんみ)の師をして(おんみ)の師たらしめよ。(おんみ)のところをして(おんみ)のところたらしめよ。(おんみ)の生活をして(おんみ)の生活たらしめよ。私は迷いの生死の種子となる不善の(みち)を捨てしめようがために(のり)を説くのである。そのように身を修めるならば、(おんみ)(けが)れた(みち)が去り、清らかな(みち)が増して、(まど)かな智慧を表すことが出来るであろう」



 このように云われても遊行者たちは(かたく)なな態度を改めようとしなかった。

 また同様に、サクルダーインという遊行者とその仲間も教えを聞いて喜んだが、信者とはならなかった。

 六師のうち、ニガンダ・ナータプッタの教義と世尊の教えは似た部分もあったので在家信者が供養する師を変えるといったことがたびたびあった。資産家のウパーリはニガンダの信者であったが、世尊の法話を聞いて感激し、ニガンダとその弟子たちへの供養をやめようとした。ところが世尊は「これまで通り食物を与えなさい」と云ったので、ウパーリはますます篤く帰依する心を起こした。世尊は人に教えを信ずるように迫ることはなかった。ところがこれを恨んだニガンダは、ディーヴァダッタが僧伽を騒がせた後、弟子たちの間がざわめいているときに自分の信者であったマガダのアバヤ王子をけしかけて世尊をやりこめようとした。だがこれは失敗し、王子は世尊に帰依することとなった。

 釈迦牟尼世尊は自らがそしられようとも他を恨み誹謗(ひぼう)することをしなかった。しかし、弟子たちに教えているとき、マッカリ・ゴーサーラについて触れたことがある。クシナーラのバリハラナの森に留まっていたときのことであった。

弟子(おしえご)等よ、ここに村か町の近くに住み、在家の招きをうける場合、見事な食べ物を供養されて喜び、『どうか幾度もかように招いてくれればよい』と思うのは、食べ物にとらわれてその(わざわい)から逃れる道を知らぬのである。これより欲、(いかり)(そこない)(おもい)が生まれてくる。かようなものに行われた布施(ほどこし)は、彼が放逸(なおざり)であるために大きな果報(むくい)がない。これに比べて、もし招きを受けて見事な食べ物を供養されても、その食べ物にとらわれないで(わざわい)をみれば、欲と(いかり)(そこない)(おもい)を離れる。かようなものに行われた布施は、彼が真摯(しんし)であるため大きな果報(むくい)がある。

 弟子(おしえご)等よ、互いに争い、舌の剣で刺し合っている地方の事を思うのは不愉快である。ましてその地へ行こうという気は起こらない。それらの人々は欲、(いかり)(そこない)の三つの(おもい)を狂わせているのである。これに比べて、互いに親しみ、乳と水とのように()けあっている地方を思うのは快い。ましてその土地にゆくのはなおさらである。それらの人々は欲、(いかり)(そこない)(おもい)を捨てたのである。

 弟子(おしえご)等よ、この世で(まれ)に見ることが出来るものに三人ある。その一人は仏であり、他の一人は仏の(みのり)を説き伝える人であり、いま一人は恩を知り、感謝を知る人である。

 弟子(おしえご)等よ、世にはまた三種(みいろ)の人がある。第一は性質(きごころ)()(やす)く知りやすい人で、心たかぶり、軽はずみで口やかましく、常に落ち着きのない人である。第二は性質(きごころ)の知りにくい人で、静かであってへりくだり、物事に注意深くて口数が少なく、身の欲を忍ぶ人である。第三は性質(きごころ)の知れない人で、煩悩(けがれ)を滅ぼし尽くした人である。

 弟子(おしえご)等よ、世にはまた三種(みいろ)の道を破る人々がある。(ごう)の道を破る人と生活の道を破る人正(かん)(がえ)の道を破る人とである。(ごう)の道を破る人とは、生き物を殺し盗みをなし、淫らごとを犯し、偽りを云い、悪口をならべ、和合(したしみ)を裂く言葉を吐き、無駄口を云うことである。生活の道を破る人とは、(よこしま)な仕方によって生活することである。(かん)(がえ)の道を破る人とは、『布施もいらぬ。供養もいらぬ。善悪の(ごう)果報(かほう)もない。この世もない。他の世もない。親に孝養することもいらぬ。さとりを開くという出家もない』などという(よこしま)(かんがえ)をいだく人のことである。

 弟子(おしえご)等よ、常に身と口と(こころ)の三業を清めることに心掛けねばならぬ。身業(しんごう)を清めるとは、生き物を殺さず、盗みを為さず邪淫(みだらごと)を犯さない事である。口業(くごう)を清めるとは、妄語(いつわり)を吐かず、悪口をいわず、和合を裂く(ことば)をつつしみ、無駄口をいわぬことである。意業(いごう)を清めるとは、(むさぼ)らず、(いか)らず、正しい意見(かんがえ)をもつことである。

 弟子(おしえご)等よ、集団(あつまり)に三つある。(かしら)のある集団と離ればなれの集団と調和(したしみ)のある集団である。(かしら)のある集団とは、その集団の上座が贅沢をつつしみ、学問を怠らず、(さと)()をとるために勤めはげむ。またこの上座に(したが)うものも、これに(なら)って勤め励む。これが(かしら)のある集団である。次に離ればなれの集団とは、その集団に争いができ互いに舌の剣で傷つけ合うことである。第三の調和のある集団とは、互いに睦み合い乳と水のように()けあっている集団である。この第三の集団にはいろいろな徳が生まれる。それは仏と同じ生活である。彼らは心に喜びを持ち、喜びによって(さいわい)を得、(さいわい)によって身体(からだ)がのびやかになる。たとえば、山の上に大雨が降れば、それが流れて水溜りとなり、小川となり、大河となって遂には大海を満たすようなものである。互いに相和することから、次第にこれらの徳を生んで、心に楽しみを覚え、精神(こころ)を乱さないで専心(ひとすじ)になれるのである。

 弟子(おしえご)等よ、もし国王に養われる馬に美しさと力と速さの三つがあれば、国王の自用の馬となるように、仏弟子もまた三つの善い性質を具えれば、世間の供養をうけてこの上ない福田となるのである。仏弟子の美しさは戒めを守り、善い行いを為し、身に欲をおさえ、小さな罪にも恐れをなし、修行にはげむことである。仏弟子の力とは、精進(はげみ)の力を得て悪をすて、善を行うのに熱心なことである。仏弟子の速さというのは、四聖諦の教えを如実(まこと)に知ることである。この三つの善い性質のあるものは、世間のこの上ない福田である。

 弟子(おしえご)等よ、たとえば王の戦士(つわもの)が矢を稲妻のように速く放ち、遠き彼方のものを射通すことが出来るならば、王の大切な(つき)(びと)となることが出来るように、仏弟子もこの三つの事ができれば、世間の供養をうける資格を具えて上なき福田となるのである。仏弟子が遠くに矢を放つというのは、何事につけても、我または我が物であるという執着(とらわれ)を離れて、(まこと)の正しい智慧をもつことである。また、稲妻のような速さを与えるとは、四聖諦の教えを()(こと)に知ることである。さらにまた、遠くのものを射通すということは、無明(むみょう)の闇を砕き破ることである。この三つを具える仏弟子は、世間のこの上ない福田である。

 弟子(おしえご)等よ、貪欲(むさぼり)の何物なるかを正しく知り、貪欲(むさぼり)をはなれるためには、(くう)無相(むそう)無願(むがん)の三法を修めねばならぬ。瞋恚(いかり)愚癡(おろかさ)、その他すべての煩悩(けがれ)の何物なるかを知り、それらを滅ぼすためにも、空、無相、無願の三法を修めねばならぬ。

 弟子(おしえご)等よ、織物のうちでも、髪の毛の織物は一番下等で、寒いときには冷たく、暑いときには熱く、嫌な臭いがあって醜く肌の触りも悪い。これと同じく、すべての出家の中でマッカリ・ゴーサーラが一番下等であって『(ごう)もなく報いもなく努力(はげみ)もいらない』という邪見を吐いている。されど弟子(おしえご)等よ、過去(いにしえ)の仏も未来(すえのよ)の仏も業を説き、報いを説き、努力を説きたもうた。現在(いまのよ)の仏である私もまた、そのように説いている。しかるに愚かなるマッカリは、三世(さんぜ)の仏に逆らって、『業もない、報いもない、努力も要らぬ』と云っている。ちょうど河口に張った網が多くの魚の不利(そこない)と、苦悩(くるしみ)と、滅亡(ほろび)となるように、マッカリは多くの人間の不利(そこない)と、苦悩(くるしみ)と、滅亡(ほろび)のために生まれたものである」と。



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