ピンドーラ(賓頭盧)
この聖者の位の中で、阿羅漢は仏陀と同義であった。覚を得た弟子は、六つの神通力、すなわち神足通[望む所へ行く力]、天眼通[運命を予知する力]、天耳通[鋭い聴力]、他心通[人の心を知る力]、宿命通[過去世の姿を知る力]、漏尽通[真実を悟る力]を得るという。世尊の弟子の中ではマウドガリヤーヤナ[目連]が大神通力の持ち主として特に名高かったが、ソーナ・コーリヴィサ[二十億耳]、マハーパンタカ[摩訶槃特]、ピンドーラ・バーラドヴァージャ[賓頭盧頗羅堕]もその力の強さを知られていた。
彼らのうちでコーサンビー出身のピンドーラはマウドガリヤーヤナと気が合うのか、連れ立って遊行することが多かった。そしてある日、二人はラージャグリハの街中において、棹が高く掲げられ、その先に立派な鉢が吊り下げられているのに行き会った。
その下には人だかりが出来ている。
ピンドーラは近くにいた物売りの男に理由を訊いた。
「スバッタ長者の子、ジョーチカどのが珍しい栴檀香木を手に入れたとのことで、それで鉢を作らせて木屑を自分のものとし、鉢は出家の方々に差し上げようと言い出したのです」
「しかし何故、あのようなところに?」
「あれは」
と、男が笑う。
「長者が試しを行っておるのですよ。いずれの出家でも、神通力をもって鉢を取った者に捧げようと。それで自信のある方々が集まってきているのです」
確かに見回せば、面白そうに騒いでいる在家の人々に混じって、裸のアージーヴィカ行者やニガンダ・ナータプッタの弟子たちがいた。
「わしらもまた、良い話の種が出来るというもので、楽しみにしておるのですが……誰も神通を示されませぬなあ」
男は、少しがっかりしたように云った。
ふむ、とピンドーラは棹の先に吊り下げられた鉢を見、その視線を横にいるマウドガリヤーヤナへ移した。
「大徳は尊い神通を具えておられるのであるから、この人々の前でそれを示し、鉢をお取りなされては」
「いや……」
マウドガリヤーヤナは辞退した。そして興味がない様子で、ちらりと鉢を見たあと、ピンドーラへ何気なく云った。
「ならば、あなたが為されてはどうであろう」
友の言葉に、ピンドーラはもう一度、鉢を見上げ、周囲で騒ぐだけの出家たちを見渡した。
阿羅漢果を得たとはいえ、このときつい昔の悪い癖が出た。己の力を誇りたいという心と、一度欲しいと思ったら一時も我慢できない物への執着。
そして次の瞬間、ピンドーラは空中高く飛び上がり、その鉢を取った。
人々が喝采を送る。
「見事なものだ。どこの聖者か」
「知っておるぞ、仏陀の高弟じゃ」
「ああ、さもあらん」
街の人々の賞讃の声を聞きながら、ピンドーラは自分の師と信ずる教えとそれを体得した自らを誇らしく思った。
(我が師の教えが他より勝れておると、街の人々にもこれで解ったであろう)
スバッタ長者もピンドーラを誉めそやし、マウドガリヤーヤナともども家へ招待した。そして彼の取った鉢に美味な食事を盛って、約束どおり供養をした。
その後も物見高い人々は去ろうとせず、長者の家を出た二人のあとについて竹林精舎まで押しかけた。そのため静かな竹林はにわかに騒がしくなり、不審に思った世尊がその理由をアーナンダに訊いた。
「あの大きな騒ぎは何事であるか」
このとき既にアーナンダは托鉢に出ていた他の弟子からラージャグリハの街で起こった出来事を聞いていたので、師へピンドーラが神通を顕したことを伝えた。
そこで世尊は弟子たちを集め、ピンドーラへ尋ねた。
「ピンドーラよ、これは真実であるか」
穏やかな声であった。しかし、ピンドーラはすぐに自分が大きな失敗をしたことに気づいた。
「世尊、……真実であります」
ピンドーラの前には香木の鉢が置いてある。跪いている背中を、つうと冷や汗が流れた。
(やりすぎた……)
彼は青ざめていた。
「ピンドーラよ、これは出家として相応しい行為ではない。汝は何故に卑しい木の鉢のために神通を示したのか。それは銭のために芸を見せる仕業である。信なきものに信あらしめ、信あるものをさらに進ましむる所以ではない」
そして、弟子たちへ云う。
「弟子等よ、在家の人々に神通を示してはならぬ。この木の鉢を砕いて香粉とし、目薬粉の中へ混じえるがよい。今より後、木の鉢を持ってはならぬ。これは僧伽の規則である」と。




