スーブティ(須菩提)、シャーリプトラ(舎利弗)、マウドガリヤーヤナ(目連)
その仏陀の弟子の中で、誰よりも供養を受ける心を体現したのは、スブーティ[須菩提]であると云われる。
彼はアナータピンディカ(給孤独)長者の甥であった。伯父が祇園精舎を献じたとき、釈迦牟尼世尊の教えを聴いて直ちに出家して弟子となった。福々しい容貌の伯父と異なり、切れ長の目と頬骨の出た精悍な顔つきをしたスブーティは、商人というより武人の印象を与える人物であった。けれども温厚で控えめな彼は、決して人と争うことはなかった。
スブーティには、次のような逸話がある。
覚を得て、供養を受けるに相応しい聖者、阿羅漢となった彼に、ビンビサーラ王は小屋を寄進した。ところが、王は屋根を葺かせることを失念してしまったのだった。 スブーティはそれでも文句もいわず屋根のない小屋に住んでいたが、その間、一滴の雨も降らなかった。
数ヶ月の間、日照りが続き、そのうちに人々は、
「それはスブーティ尊者の小屋に屋根がないため、天が雨を降らせないのではないか」
と、噂するようになった。
それを耳にした王が小屋に屋根を葺かせたところ、たちまち雨が降り始めた。
スブーティは詠う。
「わたしの庵はよく葺かれ、風も入らず、快適である。天の神よ、思うまま雨を降らせよ。わたしの心はよく安らぎ、解き脱れている。わたしは努め励んでいる。天の神よ、雨を降らせよ」
彼は屋根のない小屋に長く住みながら、王を恨むことがなかった。ただ、その供養を手厚く受けたのであった。
涅槃に至った人がその平安の境地に達して為すべきは、能力あり直く正しく、言葉優しく柔和で、思い上がることのない者であらねばならない、とされた。
仏の弟子たちは、足ることを知り、簡素な生活を送りながら、その境地を目指して激しい修行を為した。それは素質に恵まれて偉大な弟子と呼ばれ、師から後を託したいとまで云われたシャーリプトラとマウドガリヤーヤナの二人も例外ではない。
シャーリプトラ[サーリプッタ、舎利弗・舎利子]は智慧に秀でていると評判であったがそれに慢心せず、少女やチャンダーラよりも謙虚に振舞い、豪雨の中も物ともせず、結跏趺坐の姿勢で瞑想を続けた。そして親友のマウドガリヤーヤナ[モッガラーナ、目犍連・目連]もラージャグリハの山中で、幾多の落雷にも動じず、禅定をし続けたという。