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03-01:~或る村での出来事~

 人はあまりに唖然とすると、感覚も、恐怖も忘れてしまうらしい。

 ビッグボアの群れを見かけたと聞いた時から瘧のように震え続けていた体は、今や全ての機能を停止したかのように止まっていた。実際には身体は生命を維持するために動き続け、視線は彼を“唖然とさせたもの”を追って動いているのだが。


 彼は至って普通の農夫だ。

 武器と聞いて即座に思いつくものは幼馴染の猟師使っている弓、魔物が村の方へ来た時に撃退するための鍬くらいである。剣での切り合いや、槍、棒を使っての戦いがあることは知っている。それでも彼にとって戦闘は話の中で聞くもの、自分とは全く関わりのないことだった。


 贅沢を楽しむほどには豊かではないが、平和。

 それが彼の半生であり、人生になると思っていた。


 ――ビッグボアの群れが移動している。このままでは村にぶつかる。

 そう、幼馴染の猟師が引きつった顔でそう告げた昨晩までは。


 ビッグボアは魔物の等級としてはD級、脅威度が高い部類ではない。

 それでも彼にとっては恐れるべき相手だ。猪よりも大きいだけではなく、固い毛皮と高い生命力を持つ魔物である。一匹だけが村の周辺に姿を表したとしても、彼と仲間たちが撃退しようとすれば命がけの事。

 それが群れでやって来ると言う。


 騒然としたまま朝を迎え、男達は既に死んだような顔色で朝日を見た。

 村を捨てようという声も出たが、下手に動けば別の魔物の気を引くかもしれない。畑や家畜を捨てて生きていけるのか。夜通しそんなことが話し合われ、結局ほとんどの人間が村に残ったのだった。


 決死の覚悟を固め切れずにいた時、彼らが現れた。

 牧歌的と言えば聞こえは良いが、人が切り開いたわずかな土地以外は手付かずの村。その風景に全く似合わぬ、武装した五人の男女。うち一人は年端も行かぬ少女のようであり、男達は田舎町に不釣り合いなほど小綺麗に見えた。武器がなければ物見遊山の旅と言われたほうがしっくり来る。

 普段なら話しかけることなどない連中。


 しかし、今は非常時だ。

 ビッグボアが近付いていることを告げるべきだろうと近付いてみれば、ますます彼らは冒険者にも、傭兵崩れにも見えなかった。武装しているのに物々しさも粗暴さもないのだ。

 ビックボアのことを告げても妙にのんびり、いや、飄々としている。



 ――そして今。

 彼の目の前では、栗色の髪をした少女が黙々と矢を放っている。

 時間が巻き戻っていると錯覚するほど同じ動作で、何度も、何度も。放たれた矢が別のビッグボアを射抜いていくから、デジャブではなく実際に同じ動作を繰り返しているのだろう。


 さすがに少女はビッグボアを一矢で屠ることは出来ないらしい。

 しかし、矢によって動きが制限されたビッグボアの間を縫うように少女の仲間達が決定打を打ち込んでいる。射手の少女は勿論のこと、ビッグボアの中を縦横無尽に走る三人もすごかった。


 リーダーらしき男は黙々と剣でビッグボアを弱らせ、屠っている。長めの外套がビッグボアを嘲笑うかのように翻り、時にビッグボアの体の一部らしきものが切り飛ばされているように見えた。束の間目にした涼しげな顔のままビッグボアを殺している様を想像して、彼は密かに戦慄する。

 脳裏に浮かんだのは英雄伝の一幕ではなく、人を淡々と屠る魔王の絵面。


 金髪で細身の優男は素早い動きで少女の矢に射抜かれたビッグボアを切り裂き、暴れているものの向きを変える。己の舞台だというように華やかに動き回っているが、左右に持つ剣は短く細い。舞うような動きと手数の多さでビッグボアを翻弄しているが、仕留めるには至っていなかった。

 動きを鈍らせ、褐色肌の男の方へと誘導するのが役割であるらしい。


 褐色肌の男はしなやかな筋肉を十全に生かして、重そうな棒を振るう。

 少女の矢と優男の剣によって動きが鈍くなったビッグボアには頭に止めの一撃を、痛みに怒り暴れるビッグボアは棒で払うようにして更に弱らせている。力強く躍動する姿は野性味に溢れており、恵まれた体格と合わせて男ならこうなりたいと思う理想の一つを具現化したようにさえ感じられる。


 それぞれの動きを追い続けているうちに少しずつ冷静さが戻り、やっと彼は五人組の一人が足りないことに気付いた。金髪の優男と同じくらいの身長で、強そうには見えない赤毛の男が居たはずだ。


 赤毛の方は予想通りだったということか。

 どこか安堵した彼は、しかし、すぐに己の読みが誤りだと知ることになった。


「ほら、こっちですよ。良い子だ、こっちにおいで。……そこの人、危ないから避けてください!」


 ビッグボアの屠殺場と化した平原の一部、遠巻きに戦慄しながら眺める村人達。

 そんな光景からすれば異様とも言える、落ち着き払った声が聞こえた。声が聞こえたほうを見れば、赤毛の男がビッグボアを四匹引き連れながら走ってくる。

 彼が目を凝らせば、赤毛の男はススキのような草を振っている。その草に誘われて、ビックボアは一心不乱に赤毛の男を追っているらしい。


 少女がくるりと向きを変え、狙うでもなく赤毛を追うビッグボアへと矢を放った。勢いよく放たれた矢はビッグボアの片目を射抜く。耳をつんざくような悲鳴。頭の天辺から尻までを冷たい針で貫かれたような気分になったのはビッグボアの悲鳴か、少女の技量故か。


「誰か! 矢があれば貸してください!」


 気付けば少女の矢は数本を残すのみとなっていた。

 幼馴染が少女の元へ向かい、彼女の手の届く場所に矢筒ごと置く。他にも何人か魔物と戦うために用意していた矢を運んで行くのが見えた。矢筒に矢を入れながら拝んでいる人もいる。

 拝まれた少女は酸っぱいものを食べたような顔で矢筒を引き寄せた。


「すげぇな。これは……これは、何なんだ」


 幼馴染が、誰に言うともなく呟いていた。


「すごいこと、なんだよな?」


 ざっと数えただけだが三十体くらいはいたはずのビッグボアが、今や両手の指で数えられるほどに減っている。今もまた彼が見ている前で、リーダー格の男と褐色肌の男が一体ずつビッグボアを死骸へと変えた。

 もしかしたらビッグボアが強靭だというのは自分の思い込みであって、大きいだけで豚や猪と変わらないのではないか。彼がそんなことを思うほどに、五人は呆気なくビッグボアを屠っていく。


「馬鹿言うなよ、俺の叔父貴はビッグボアにやられて引退した。ラコンダのおっさんは殺されたんだぞ」


 返ってきたのは、激情を押し殺したかのような幼馴染の声。

 唇を噛みながらも目を輝かせている姿は、彼が子どもの頃を思い出させものだった。習い始めた弓が巧く使えない、誰々に喧嘩で負けた――そんな事がある度、この勝ち気な幼馴染は唇を噛んで瞳を燃やしていたのだ。


「……お前より上手いんだよな? あのちっちゃい子」


「今はな! 俺だってサボってるわけじゃないんだ、くそっ」


 癖ってやつは変わらないらしい。

 幼馴染を見ながら彼が笑い出した時には、人と魔物の戦いは終わっていた。


「ビッグボアの群れは殲滅したはずです。もしかしたら一匹くらいは逃げているかもしれませんが」


 いつの間にか彼らの近くに居たらしい、赤毛の男が飄々と言った。

 背後には岩のようにビッグボアの死骸が無数に散らばり、胸が悪くなるような臭いが漂っている。もっと近づけば、酸鼻を極める光景が広がっているのだろう。

 しかし、少女は一直線に死骸の中に立つ三人の元へと走った。赤毛も少女の後に続き、ビッグボアの死骸と村人達のちょうど中間地点で五人は集合する。

 何らかの言葉を交わしているらしく、立ち止まったまま動かない。


 その間に、村から様子を見ていた老人や女性達が出てきていた。

 ある者は夫や子の、ある者は友人の無事を喜ぶ。

 あれだけの数のビッグボアが来たというのに、犠牲者は誰も居なかったのだ。安堵のあまり泣いている女や子どももいた。

 踏み荒らされた畑は残念だが、奇跡的な被害の少なさである。


 村中が喜びに湧く中、村長と数人の男だけが青い顔をしていた。


「ビッグボアを貰えれば金はいらんと言っていたが……それで済むかのぅ。これほど多いとは儂らも思わなかった。金貨を何枚も要求されるのではないか」


「しかし村には余裕など……」


 ビッグボアの群れは普通なら十体未満、だが実際は予想の約三倍。直撃すれば間違いなく村は全滅していただろうし、生半可な冒険者なら返り討ちにあったかもしれない。謝礼を要求されても仕方が無い、逆らえば殺されるかもしれない。


 村長達は支払えるものについて暗い顔で相談しているが、どれだけ相談しても村に余裕ができる訳ではない。話し合いが平行線から責任の押し付け合いに変わりそう雲行きを見せたころ、パタパタと足音を立てたながら弓の少女が駆け足で戻ってきた。

 幼さの残る顔に困ったような表情を浮かべながら、少女は口を開いた。


「すみません、先程、報酬は不要と言ったのですが――」


 やはり、そうくるのか。

 彼は息を呑み、幼馴染はぶるりと震えた。


「解体を手伝って頂けませんか? 早くても夜まではかかると思うので、皆で夜ご飯に食べましょう! 食べられなかった分のお肉はお礼にお渡しします」


 逆じゃないのか――彼は口から飛び出しそうになった言葉を堪えようとして噎せ返った。涙目で周りを見渡せば、相談していた男達は一様に目と口を開いてポカンとしている。謝礼を要求されると思っていたのに、お礼にビッグボアの肉をくれるとは。


「あっ……やっぱり、ご迷惑ですか?」


 彼らを見て少女は表情を曇らせた。

 きっと彼女はまだ幼く、伝えるよう指示された事を誤解しているのだろう。村の男達はそう思い、少女の背後から歩いてきた男達へと不安そうな目を向けることに専念した。


「どうした?」


 口を開いたのはリーダー格の男。話すなら冷たい印象のあるこの男よりも、温厚で知的そうな赤毛の方が良かった。そう思ったが、確認しないわけにもいかない。代表して村長が恐る恐る口を開いた。


「こちらのお嬢さんが、その、解体を手伝って欲しい、夕食にと……」


 村長は報酬の要求はないのか、という肝心なことを言い出せず、言い訳じみた言葉を口の中で転がす。痺れを切らしたのか、言いたいことが分かったのか、男はゆっくりと話し始めた。特に大きな声という訳ではないのに、男の声はよく通った。


「俺達だけで解体すれば間に合わずに分解が始まってしまいます。手の空いている方に手伝って欲しい。賃金を払えない代わりに、肉は村の方々で食べるなり売るなりして貰って構わないし、必要なら毛皮もいくつかお渡しします」


 少女が話した内容とほぼ同じだった。

 男の言葉を聞いた村人達も歓喜の声を上げる。彼も気付かぬうちに喜びの声をあげていた。我に返って周囲を見渡せば村長や幼馴染は安堵のあまり膝をつき、今にも咽び泣きながら男達を拝み出しそうであった。


 五人の自称冒険者達は、村人達の態度が急変したことに困惑の表情を浮かべている。ビッグボアの解体についての提案は善意や施しの意図を込めたものではないのだろう。

 彼は思った。

 皆で夕食を食べるのなら村にある中で一等上等な酒を振る舞おう、と。

3章は毎週水曜日21:00更新予定ですm(_ _)m

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