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02-28:【余話】アルカクの裏側で

 目の前に座る、鋭い目をした男を見ながらカルヴィンは思う。

 この男の妻は彼がこんな表情をするのかを見たことがあるのだろうか、と。


 人々は彼を「フクロウのような」と評する。

 生き物としてのそれではなく、森の賢者として描かれる創作物寄りのイメージなのだろう。ふくふくとした笑顔を絶やすことがなく、どこか眠たそうにも見える姿が多くの人が目にしている彼のはずだ。


 しかし、今カルヴィンの前にいる男は空中から地上の獲物へ狙い定める猛禽類の鋭さを見せている。絶やさぬ笑みが消えると、ひどく剣呑な顔つきに見える。魔道具ではなく揺れるキャンドルの火に照らされている今は尚更のこと。

 鋭利な刃のような目がひたとカルヴィンの姿を捉えた。


「それで、小頭が来た理由はなんだ」


 言葉上は疑問形をとっているが、それだけだ。

 尋ねているわけではなく、報告せよと命じていることは火を見るより明らかである。


「先日ご報告した件。本日から予備調査を依頼した冒険者が出ています」


「ヘレナが押しているパーティだったな」


「はい。しかし、現時点でも最低限の対策は講じて頂きたいとお願いに参りました」


「それほどか?」


「自由区の南西側にある森でもイビルボアが確認されています。偶然“魔物狩り”の数名によって倒され事なきを得ましたが。あの森は基本的にE級まで、稀にD級のキラーベアが出る程度。過去C級の魔物が現れた記録はありません」


 南西の森は自由区の端とほぼ隣接している。

 そこにC級の魔物が現れたということが何を意味するのか、言うまでもなく分かっているのだろう。男は鋭い目を更に細めながら目線で続きを促した。


「戦いとは無縁の民を守る義務が我々にはあります。彼らが戻るよりも前にC級の魔物が街へ向かってきたとして、すぐに始末できるだけの用意は整えたい。今から出来る部分には着手したいのです」


 短い付き合いではないが男の威圧感には未だ慣れない。この男に、この目線を向けられる度に、自分の面の皮はまだ厚くなりきっていないと痛感させられる。

 きつく握っていた拳を開きながらカルヴィンは大きく息を吸った。


「……そこまで言う根拠は?」


「人々が畑を耕す、その目と鼻の先にC級の魔物が出たのです。自由区に暮らす人々、助けを求められないような離れた村の人々を考えれば、運が悪かったのだと楽観視出来ますまい。すべての命を救えないとしても、救えるよう努力すべきではありませんか」


 魔物によって滅ぼされた村はいくつもある。

 スタンピードのような大規模なものでなく、BもしくはC級の魔物一体でも不運な村は滅ぶ。魔物の出現を読むことは難しい。急報を受けて駆けつけても手遅れだったという場合もある。


 魔物よりも動きの予測が簡単な野盗さえも、この国は野放しだ。村一つ滅んだところで高貴な方々にとっては書類上の数字でしかない。だからこそ魔物が湧こうと野盗に襲われていようと――討伐軍を動かして救出するよりも村を潰したほうが安上がりだと判断するのだろうとカルヴィンは思う。


 魔物や野盗で領内に軽微な被害が出ても、責任を問われることは無い。

 敵対勢力の誰かから日頃の行いが悪いからと嫌味を言われるくらいであろう。言われた側もおざなりに決まりきった台詞を吐く、それだけで時が経てば有耶無耶になる。残るのは“不運な町が滅んだ”という事実のみ。


「私達の周囲には異常が起こっています。最低の事態を考えて出来るだけの事をすべきではありませんか? 楽観視して放置した挙げ句に“想定外だった”と、王都の連中のような対応をなさるおつもりですか?」


 明確な不安要素が存在している。だというのに何の手も打たないということが、カルヴィンは堪らなく嫌だった。身分を捨てたとは言いつつも統治者の息子としても、無論一人の人間としても。

 ――感情的になっている。

 苦い自覚を持ちながら冷静になれと自身を叱咤する。


「……今すぐに多くの人と金を、とは申しません。小隊を一つか二つ動けるようにして頂きたい。周辺の警戒を行い、緊急時にすぐに出られるように。冒険者は基本的に依頼を受けて働くものです。助けを求める人に行き合ったとして、彼らを守ってくれはしない。それは税を受け取っている領主や国の義務のはずです」


 義務、という言葉に男は皮肉げに唇の端を吊り上げて笑った。


「大頭がお前を寄越したのは、俺を説得してみろということかな」


「この件は私に一任されております。根拠と呼べるほどの情報は確かにありませんが、異常と認められるだけの情報が集まるよりも早く大惨事が起こる可能性もある案件です。各地を調べ尽くして報告書を書き上げられたとすれば、異常がなかった場合でしょう」


 笑みを消した男はトントンと人差し指でテーブルを何度も叩く。厳しい表情や鋭い目はごく一部の人間にしか見せることはないが、この思案する時の癖は広くお披露目されている。

 さほど緊張することなくカルヴィンは男の口が開くのを待つことが出来た。


 それにしても――と、何度か訪れたこの部屋をカルヴィンは見渡す。

 お世辞にも素晴らしいとは言えない。

 狭く、薄ら暗く、湿っぽい。


 自由区で最も治安が悪いとされる、陽の光を避けたい人間の足が自然と向く場所。

 アルカクの闇と揶揄される一帯、通称ネストの酒場に地下道への入口がある。迷路のような地下通路を正しく進めば、この部屋に辿り着くのだ。自由区と下区の境界付近とカルヴィンは見当を付けているが、やはり、アルカクの闇に準じる仄暗い雰囲気があるように感じられる。


 この仕事を選んだ自分にはお似合いなのかもしれない。

 そう、ひとり自嘲していると男が口を開いた。


「その“魔物狩り”という冒険者達は、随分と例外の魔物に遭遇しているな」


「彼らが対処困難な魔物を広めているとお疑いですか? ならば、その可能性は限りなく低いと申し上げましょう」


「理由は?」


「彼らとは関係ないところでも妙な魔物は発見されていますし、人為的な可能性を示唆したのも彼らのみ。悪意があればそんなことは報告してこないでしょう。それに……“魔物狩り”にはフレッドが入っています。ヘレナの後押しもある」


「随分と個人的な理由だな」


 嘲るような色を帯びた男の声に、背に嫌な汗が伝うのをカルヴィンは感じていた。

 長い付き合いであるのに男の腹の底は読めない。色違いの面の皮を何枚も重ねている。口だけで真っ黒な腹の中身を見せたようにも、見せている腹の中が偽物であるかのようにも思わせることが出来る。


 ――怪物と呼ぶに相応しい。


「確かに個人的な理由ですが、私はフレッドという男を信じています。もしも“魔物狩り”が元凶であるならば、自ら喉笛を搔き切ってご覧に入れましょう」


 自分は怪物と渡り合うのには実力不足だ。

 滑った口がまだ言葉を続けそうになるのを、カルヴィンは苦い思いと共に飲み下した。


「小頭の首一つで贖えるものなど、たかが知れている。まぁ、今回は良い。俺もその可能性は低いと考えている。だが、次は根拠を示せ。勘や情などで人は納得させられん」


「……肝に命じます」


「小隊四つを警戒に専念させよう。彼らが戻るまで、一ヶ月か」


「感謝します。報告は冒険者ギルドから随時入るように手配しておりますので、彼らが戻るよりも先に各ギルドから簡易報告が届きます」


「分かった。……しかし、冒険者ギルドを動かすとは随分と金を積んだらしいな」


「百で収めました。彼らが戻らぬことを考えれば、高い保険ではありません」


 リアはカルヴィンが冒険者ギルドに支払う額を五十万弱と予想した。

 しかし、実際に使われた費用はその倍以上。

 それでも冒険者ギルドに融通を利かせろと言うには安い額だ。


 冒険者ギルドには貴族の威光も、時には王の圧力さえも通じない。彼らは理不尽な物事を押し付けられた際に「この領土から全店撤去する」と脅すことが出来る立場なのだ。禁じ手であり過去使われたことは一度しか無いものの、冒険者ギルドが消えた国はすぐに潰れたそうである。

 自分たちの業務にも関係するからと、今回少額で情報の中継ぎを請け負ってくれたのは僥倖だった。


「フレッドを信用しているのではなかったかね?」


「信用しているのは人間性です。上位の魔物に遭遇し、生きて戻るかは保証しかねます」


 その答えか、カルヴィンの表情か。

 不意に男はふふっと笑いを漏らした。

 獲物を狙う猛禽類ではなく、多くの人が見知っている温厚そうな笑みを浮かべた顔だ。こちらのほうがカルヴィンも見慣れているが、男が雰囲気までも瞬時に切り替えた事には舌を巻くしか無い。

 急激に切り替えられれば、日向ぼっこしているフクロウの顔も恐ろしく見える。


「まぁ、彼らは戻るだろう。お前が信頼しているフレッドだけではなく、悪魔も付いている。A級でも出てこない限り全滅することは無いさ」


 先程までとは全く違う、飄々とした口調で語られた内容にカルヴィンは眉を寄せる。

 悪魔とは穏やかでない。しかも取り憑いているのではなく付いている、だ。

 意味が分からない。


「……悪魔、ですか?」


「人に取り憑いて悪さはしないだろうがな。この件に関しては、お前の判断次第で随時報告を回してくれ。俺も気にはなっているのだ。金は足りているか?」


「……予備費を回して頂いていますので。より大きな動きが必要になった暁には、お願いに参ります」


「わかった。収納袋の件も手を回しておこう」


「ありがとうございます。では、失礼いたします」


 深く礼をして踵を返そうとした、カルヴィンの名を男は呼んだ。

 呼び替えに答えて振り返れば、悪戯っぽい笑みを浮かべたライトペリドットのような瞳。ほんの少し前まで斬りつけそうな目をした、凶相という表現がピッタリだと感じていた相手と同一人物だと思えぬ顔があった。


「――たまには飯でも食いに来なさい。母さんも会いたがっているぞ」


 不意打ちにカルヴィンは絶句した。

 男と同じ色の目を見開いただけでなく、ぽかんと口まで半開きである。


「ははは、その顔、生まれた時から変わらんなぁ」


 褒めているようにも貶しているようにも受け取れる男の言葉に、はっとカルヴィンは我に返った。

 気まずそうな顔をしながら、狭く薄暗い部屋の天井を凝視する。


「……ここで言いますか」


「他に顔を合わせないのだから仕方ないだろう?」


 まさに昼間のフクロウ、笑っているのか眠たいのか分からぬ顔で飄々と宣う。


「用は済んだし、構わんだろう」


「いや、しかし……」


 自分の視界に入るのは男一人。だが、彼が一人っきりで動くはずが無いことくらいカルヴィンは分かっている。

 気配は読めないが、必ず、どこかに護衛が控えている。


「彼らは家族よりも我々を知っている。問題ない」


「……考えを読まないでくださいよ、父さん」


 苦々しい顔をしたカルヴィンに、父親であるクレメンテ辺境伯――クリスティアン・ベイティア・クレメンテはふくふくと笑った。


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