02-08:不穏な鈍銀1
噂通りに見晴らしの良い平原だった。
木々に覆われた斜辺が見える開けた山裾で、リアは目を細めて山を見ていた。
周囲には座り込んだザイードとレオナ、同じ様に山の方を見ているアルスとフレッドが居る。朝早くから“魔物狩り”全員で、ナイトベア――もしくはその変異種――が彷徨いているという山に向かったのだ。
「クソッ、空が重いな……」
ザイードが呟いたように、生憎の曇天。
鈍銀色のフィルターがかかったような世界では、銀色に見えるという魔物も探しにくい。
良すぎるくらいに見通しの良い草原も、鬱蒼と生い茂る木々の中で育ったリアにとっては頼りない。もしもナイトベアが斜面に生えた木々の隙間からこちらを窺っているのだとすれば、動きは筒抜けである。膝下くらいまでしか無い草の中では、匍匐前進でもしない限り姿を隠せないのだから。
相手が自分たちよりも格上であるという緊張感が、じわじわと“魔物狩り”の体力気力を削っている。
全力ではないにせよ【強化】を回しながら警戒態勢で進んできた。神経を擦り減らしながらの移動が続けば続くほど、遭遇時の状態は万全とは言い難くなる。
座り込んでいる二人は勿論、平然としているように見えるアルスとフレッドの内心も窺い知れない。
「君はキラースネークの方向を正確に把握しているように見えた。何か秘訣があるのか?」
相手の姿さえ見えないことに焦燥感を覚えているのだろうか。
アルスが振り返り、リアへ問う。
「秘訣ってほどでも無いんですけど、違和感があるような感じです。えーっと、説明しにくいんですけど……周囲に同調しながら、集中していくと感覚的に分かるというか」
「確かに、感覚的なものは説明しにくいか。今は何も?」
何を期待されているかは分かる。
だが、リアは周囲を探る際に魔力を放出しているのだ。
普通の人には分からない程度の微量なものだが、魔素や魔力に対しての感度が高ければ違和感を覚えるはずだ。そしてリアが魔素を放出していることに気付けば、魔術を使えるのではないかという疑念が向けられる。一般的な人間は体内魔力を放出することが出来ない、というのが定説なのだから。
だから、人前で何度も行いたいものではない。
しかし、キラースネークを探した時には気付かれることがなかった。魔力感度が極端に高い人など、そうは居ないはずだ。何よりも――ナイトベアが変異種で、このまま消耗していった先に遭遇するという最悪のシナリオを考えれば、出し惜しみするタイミングはないと思われた。
「頑張ってみるので、少し時間を下さい」
目を瞑る。
緊張感や切迫感を心体から抜いてゆくイメージで、リアは深呼吸を繰り返した。
視覚を遮断した状態で滲ませるように魔力を放出していく。何か特定のものにフォーカスするのではなく、水面のように全てをありのままに捉えるように。
人によっては雑念を払うとか、頭を空っぽにすると言うのかもしれない。
それも正解だろう。
だが、リアの方法ではない。
頼りなく、放っておけば自然に消えていく数多の不確かな思考や記憶。遠巻きにそれを眺めていれば徐々に周囲に感じられるものが混じってくる。考え事をしながら夕暮れ時の星を見上げているような感覚。視覚ではない部分で、それぞれの生命が光り、瞬きながら存在を主張していることを感じる。
五感とは異なる感覚で、リアは周囲を読み取る。
探しているのは最低でもC級の魔物。
強い異物感や澱みが感覚を刺激してくるのを待つ。
(明らかに強い、これだと思うんだけど……)
気になる部分だけを意識すれば、リアの感覚は五感を重視した人のものに戻る。
それでも一度認識した、他の微小な澱みとは一線を画す異物感が消え失せたわけではない。半眼であった目をかっと見開いて、強い魔物の気配が感じられた方角に目を凝らした。
駄目だ、何も見えない。
そこは木々が占める面積のほうが多い部分だった。
「何か居ましたか?」
フレッドの声。気づけば全員がリアのことを凝視していた。
そりゃそうだ、と思いながら苦笑する。じっと見られていたと思うと恥ずかしくもあるが、リアが放った魔力に気付いているような素振りはない。素直に興味津々だっただけだろうと胸を撫で下ろした。
「真正面よりも少し左、あのあたりが気になるんですけど、ここからだと見えないので何とも。それに……」
「それに?」
「フレッド先生って実はBランクの範疇を超えて、すっごく強かったりします?」
「いやぁ、どうでしょう? ランクと強さは同意義ではありませんし、何をもって強い弱いと言うかも分かりませんから。……それがどうかしました?」
「何となく、そこにいるものはフレッド先生よりも遥かに強い、Aランクって言うほど強くないような気がしたんです。……感的なものですし、距離もありますけれど、でも、絶対近寄っちゃダメだとか、震えるような恐怖感は無かったので」
「君の感じたものがナイトベアなら、俺達にとっては朗報だな」
薄く笑ってそう述べた、アルスの強さがリアには掴みきれていない。存在感の強さとしてはフレッドよりも弱いが、それだけで判断できない底知れ無さを感じる。その気になれば、もしくは何らかのきっかけがあれば、周囲を飲み込むほどに膨らみそうな不気味な静けさがあるのだ。
「……他に強そうな魔物の気配は無かったので、確率は高いかと。ですが、間違いないとは言えません」
「分かっている。とりあえず向かうべき方向が決まっただけでも、精神的には随分楽になる。ここから目視できそうな距離までは一気に動きたい。もう少し休むか?」
最も疲労の色が濃かったレオナもまた少しの休憩で十分にリフレッシュ出来たらしい。ザイードも呼吸が整っている。リアもまた、探索のために意識を切り替えていたことで良い具合に体の力が抜けていた。
皆が口々に大丈夫だ、行ける、と返事を返す。
「では出発しよう。戦闘にも備えておいてくれ」
体感としては、息が切れない程度に軽く駆けているくらい。それでも【強化】された体は素の状態での全力疾走と同等以上の速度を出し、遠かった平地と山との境界へと見る見るうちに近付いていく。
あっという間に凹凸のある塊のように見えていた木々も、ひとつひとつが独立したものとして判別できる距離まで来た。もう少し近付けば葉を数えられるだろう。
不意にアルスが右手を横に広げて合図を出しつつ減速した。
続く“魔物狩り”メンバーも減速し、アルスと並ぶような位置で立ち止まる。
立ち止まる時には既に、誰もが停止の理由を理解していた。
「熊だな」
「ナイトベアですかねぇ」
「グレーかシルバーかって言われると……」
「シルバーっぽいのかな? 白っぽく見えますよね」
声を潜めながらも、思い思いに口を開く。
木々の間からちらりと見える姿は熊。前足の付け根部分に甲羅のようなものが付いているのも見て取れる。討伐対象であるナイトベアに間違いないだろう。
しかし、曇天で薄暗い中では灰色か銀色かという区別は付けにくい。ピカピカの銀色というわけではない。リアの目には鉛に似た、鈍い銀色に見えた。グレーと言うには金属的な光沢がある気もする。
「前のメタルベアと同じか、少し面倒なくらいかな」
黙していたアルスがつらっと呟いた言葉を聞いて、リアはギョッとした。
相手の雰囲気から強さを推し量るのは、ある程度戦闘慣れした人間なら当然のことである。
しかし――。
「メタルベア、B級なんですけど……」
B級の魔物はCランクパーティが何組で組んでやっと倒せる程度。冒険者ギルドが想定しているランクに見合った程度であれば、いかに相手にとって不利な環境だったとしても“魔物狩り”のみで倒すことなど出来ないはずなのだ。少し面倒なんていう次元ではない。
「……とすればナイトベアとは別物か? 俺はそこまで恐怖を感じないが、皆はどうだ?」
恐怖どころか躊躇いさえも感じさせない口調。
アルスがリアの言いたかったことを理解していない事も、目の前の魔物を脅威と見做していない事も、よく分かる物言いである。しかも同じ考えを持ったメンバーはもう一人居た。
「おそらく僕達なら問題ないでしょうね」
「そうかなぁ。絶対負けるって絶望感はないけど……」
「センセェがイケるって言うなら大丈夫だろうが、そこそこ以上に手強いんじゃねえか」
軽すぎるフレッドの言葉に、ナイトベアに苦戦していた二人も消極的ながら同意している。
メンバーの言葉を聞きながら、アルスはナイトベアの姿をじっと見据えていた。鼻の下から顎を覆うように拳をあてているのは考える時の癖であるらしい。
フレッドがその肩を叩いた。
「決めるのはアナタですよ、アルス隊長」
「前に出てくれるか?」
「リアを一人にしても問題ないなら」
「……君はどうだ?」
どうだと聞かれても困る。
弓が得物で、長らくソロだったリアには何とも言えない。言えるとしても一人で遭遇したら戦わないという事くらいである。一矢目で致命傷を与えらそうにない相手は基本的に避けていたのだ。
だが、今チームとして戦うというなら答えは別。
メンバーの一人である自分に護衛が付くのはおかしいとリアは思う。
守られながら戦うなんて嫌だ。
「こっちにまっしぐら、なんてならないように止めてくれるんですよね? なら大丈夫です、狙いやすい場所を探したいですし」
アルスはふっと小さく笑いを漏らした。
横ではフレッドがニコニコと緊張感のない顔で佇んでいる。
「言うなぁ。分かった、フレッドもこっちに来てくれ。君は君の思う通りに動いてくれれば良い。俺達が止められないと感じたら離れて良い。ザイードとレオナは先行、無理だと思ったら退け。頭に血を上らせて突っ込むなよ。一気に距離を詰める、良いか――行くぞ」
弾かれたように“魔物狩り”の四人が加速してナイトベアの方へと走り始めた。
目の前には置き去りにされたフレッドの背負い袋が一つ。その大きな背負い袋に気を取られつつも、フレッドだって自分に荷物番を期待しているわけではないだろう、と懸念を振り切る。
(誰も盗まないはず、盗まれないでよね)
ちらりと背負い袋を見てから、リアも【強化】を回して駆け出した。




