原初より来たりて
人の魂とは、どこからやってくるのだろうか。
どのようにして生まれ、どのようにして肉体に宿るのだろうか。
誰もが前世や来世との因果に縛られているのだとしたら、その始まりとは何処なのだろうか。
前世、前世、そのまた前世。
流れを遡ってもその本質は決してみえず、真実を知ることは出来ない。
日が昇り、そして沈むまでの間に。
どれだけの人々が命を亡くし、そして新たに得るのだろう。
誰も彼も、死というものを恐れている。
それは、自分の辿るべき道の先を知ることが出来ないから。
行き先を失う事に、本能が恐怖しているから。
ならば、これまで歩いてきた道を知らない事を恐れないのは何故なのか。
自分が何処から此方へと訪れたのを、疑問に思わないのはどうしてだろう。
死後の景色を恐れて目を塞ぐのなら、誕生より以前に瞳を凝らさないのは。
そもそもそれ自体が存在していないか、あるいは単に忘れているだけなのか。
一つの答えがあるとして、それが全ての人間に当てはまるとは限らない。
しかし、それでも彼は知っている。
彼女だけは知っている。
彼は本能的に察し、事実を認識している。
彼女は自覚し、真実を知覚している。
自分達が何処から生まれ、どうやってこの世にやってきたのか。
どのような摂理に導かれ、この世界に生を受けたのか。
彼はそれを明らかにしている。
彼女はそれを確かなものと受け取っている。
だからこそ、彼は恐ろしくてたまらない。
自らの原典を失う事が、自分の生まれ故郷を離れる事が、怖くて怖くて仕方がない。
それでも、彼女は覚悟している。
自分という不確かで不完全な存在が、その原初から切り離されてしまう事を。
彼は、この世に生まれるべき存在ではなかった。
肉体を剥離し、一度は暗闇に囚われとなった魂。
それが彼女の始まりの記憶だった。
彼と彼女は本質的に同一であり、すなわち全く以って同じ人間だった。
その違いはただ一つ。
男と女、月と太陽、陰と陽。
彼という存在は彼女の裏返し、彼女は彼の側面であり正面。
だからこそ、彼らは一人でありながら二人でもあった。
それは彼らという存在が、一切の輪郭を持ち得なかったからこそ生まれた現象。
名も与えられず、誕生を祝福される事もなく死を迎えた。
その代わり彼らは、不完全な魂を持つ一匹の獣となって、あの世界に存在していた。
朝もなく、夜もなく。
自分を知らずに地をかけ、太陽に吠え、月に鳴いた。
そんな彼らを受け入れたのは、一人の少年だった。
『何も恐れる事はない、僕の元へとくればいい』
『死を嘆く必要はない、その先は余に任せればよい』
少年は彼らの魂を掬い上げ、自らの精神を分け与えた。
少年は彼らに名前を継承させ、その生命の証明とした。
少年は受け継いだ力を器へと変換し、心臓の代わりとして彼らを定着させた。
足りないものを補うように、欠けたものを彼という命の水で埋めていく。
母親の胎内で誕生を待つように、彼らはその時まで少年の中で眠り続けた。
やがて少年は青年となり、一人の王となった。
王は自らの命を代償として、世界を砂漠の海へと変貌させた。
ただ一人で座に腰掛け、この世の終わりを待っていた。
二人はそれを、朧げな意識の中で知覚していた。
早く産まれたい、早くあなたの役に立ちたい。
そう主張する二人に対して、王はただ微笑みを返すのみだった。
彼は二人にこう約束していた。
『必ず、君たちの運命を…………次こそは、人としての生を…………』
交差する二本の腕に抱かれて、二人はその時を待ち続けた。
二人にとって彼は父であり、母であり、王であり、神であり。
何よりも、太陽だった。
全てが終わり、新しい世界が時の流れを刻み始めてから。
二人は初めて彼の元を離れ、一人の人間として生を受けた。
母親の中から取り出され、暫くの時が経ち。
光を認識できるようになった幼子の中に、彼らは存在していた。
瞳に映る景色を焼き付けながら、泣き続ける体とは裏腹に心は感動に満ちていた。
『僕の手だ』『私の足よ』
かつての獣としての、醜く焼き爛れたそれとは違う人の四肢。
『僕の顔だ』『私の顔よ』
まだ個性も分からぬほど幼く、それでいて整っている事が理解できる目立ち。
『僕の家族』『私の家族』
獣に身を落としながらも、二人を抱くことをやめなかった実の母親。
誰よりも辛い思いをしながらも、二人の凶行を止めに駆けつけた父親。
そしてーーーー。
『はじめまして、ぼくのあたらしいかぞく』
その瞬間の彼らの胸の内に生まれた情動は、どれだけのものだっただろうか。
二人を覗き込む、かつて自分達を迎えに来てくれた実の兄の姿を最後に、彼らは眠りについた。
新しい肉体との相性は、最高だった。
もとより、前世の自分達と同一の存在として生まれ落ちた身。
これ以上ないほどに適応し、力を受け継ぐに相応しいのは間違いない。
だが、約束は二人自身にも適応されている。
今の時点で、この二人の持つ力は必要ないのだ。
全ては王が最後の時を迎える時のために。
だからこそ、二人は…………双子神はその人格のみを残し、自らの記憶と力を封じたのだ。
それが、彼らの辿って来た前世の記憶。
自己という不確定なものを形作る、唯一の確かな真実。
彼らにとっては自らの王こそが全ての始まりであり、原初の海なのだ。
だからこそ、彼らに死への恐れはない。
しかし、それは新たなる恐怖を彼に与える事となった。
『』を、失いたくない。
「にいさま…………寝てる?」
誰もが寝静まった頃、アトムは兄の耳元に小声でそう囁いた。
ラムセスが双子の寝室を訪れ、物語を読み聞かせていたのもすでに数時間前の出来事である。
兄の手を振り払った事に罪悪感を得ていたアトムは、最初はアンナの背に隠れてラムセスと会話をしていた。
最初に口を開いたのは、ラムセスの方からだった。
『アトム…………ごめんね、君たちの気持ちに応えることは出来ない』
その言葉を聞いた時、アトムは心の中で「あぁ、やっぱり」と思う自分自身を意外には感じなかった。
この人が自分の言葉だけで止まる事はないと、何処かで確信を持っていたのだ。
兄は優しいが、それは誰に対してでも向けられる無償の優しさである事をアトムは知っている。
そして、それ以上に頑なである事も。
しかし既にアトムは、それを仕方のない事だと割り切っていた。
自分が純粋に兄のことを心配していたのではなく、只々愛する者と離れたくないという子供じみた癇癪を起こしていたのだと気がついたからだ。
自分にも譲れないことはある。たが、それは兄にも言えること。
自分の我儘にも似た感情を兄にぶつけてしまった事に、アトムは情けなさと申し訳なさを感じて顔を真っ赤に染める。
自分の兄にそんな言葉を言わせてしまったことを、心から後悔していた。
そしてアンナは何も話さず、そんなアトムをただ静かに見つめていた。
だからこそ、ラムセスの次の一言に対してアトムは言葉を失った。
『だから…………そうだね、代わりといってはなんだけど…………この役割を終えて帰ってきたら、二人の「お願い」をなんでも一つ叶えると誓うよ』
『本当ですか!?』
『うん、僕にできる事なら』
思わず叫んだ後、目の前にぶら下げられた物に釣られた事を自覚して、アトムは更に顔を赤くした。
誰かのために戦いに行く兄とは違い、自分は自分の欲のために行動しているだけなのだと、思い知らされたように感じたのだ。
アトムは叫んだ勢いのままアンナの背から身を乗り出し、ベッドに腰掛けるラムセスの胸元へと縋った。
そして、その体に顔を押し付けながら口を開く。
『だ、だったら…………』
『うん…………言ってごらん?』
口ごもるアトムの頭を撫でながら、ラムセスは優しくその先を促す。
今更口にするのも恥ずかしい事だったが、それでもアトムは兄に伝えたかった。
『…………お願いだから、無理だけはしないでください』
その後の時間は、穏やかに過ぎ去っていった。
ラムセスが魔術で灯した小さな火を頼りに音読をして、二人は彼に抱きつきながらそれを聞いた。
いつもは競うようにラムセスに甘えるアンナも、今日ばかりはアトムにその居場所を譲っていた。
光に照らされた兄の横顔を、アトムは瞳に焼き付けた。
これからまた、長い時間離れ離れになってしまう。
その事を思えば涙が込み上げてくるが、アトムは最後までそれを流す事はなかった。
やがてアンナが眠りにつき、アトムも意識が朦朧とし始める。
ラムセスはそれを確認すると、そっと本を閉じ、灯りを消した。
体温を求めるように抱きつくアトムを抱きかえしながら、自身も瞳を閉じる。
ラムセスが中心となって、アトムがその正面に、アンナが背中へと抱きついた姿勢のまま、三人は意識を落としていった。
しかし、まだ夜は終わらなかった。
数時間後に目を覚まし、兄が寝ている事を確認したアトムは、いそいそと彼の衣服をはだけさせる。
王都に行くまでは、ラムセスは寝る時に上半身を露出させている事が多かった。
しかし、あの戦いを終えて以降はその癖も鳴りを潜め、ラムセスは前をボタンでとめるタイプの寝間着に身を包んでいる。
アトムはそのボタンを外し、寝ている兄の体を大気に晒していく。
その体を見つめて、アトムは全てを察した。
「『なるほど、最初に目覚めたのは炎の蛇だったか』」
彼の声に別の声が重なり、反響するように木霊する。
海のように青く揺れる瞳には、ラムセスの胸元に刻まれた球体の如き紋様が映っていた。
肌に直接描かれた絵画の一部のようであり、聖痕にすら見えるそれを、アトムはそっとなぞる。
「…………んっ」
ラムセスがその手つきに反応し、軽く声を漏らす。
アトムは一瞬だけそれに反応するも、御構い無しに手の動きを進める。
アトムがなぞった線が淡い光を放ち、脈動するように明滅を繰り返す。
ラムセスはくすぐったそうに体を攀じるが、アンナが背中に抱きついているせいで思うように身動きを取れていない。
アトムは自分の力を流し込み、ラムセスに宿る力を指先に捉える。
力と体が馴染むよう、繊細な調律を進めていく。
少しずつ、それでも確実に調整は終わりへと近づいていった。
それに比例してラムセスの体は仄かに熱を帯び、その肌に薄っすらと汗が滲み出す。
ーーーーこの為だ、この為に自分は生まれてきたんだ。
アトムではない誰かは、彼の体の中でその言葉を繰り返す。
何度も、何度でも、噛みしめるように。
やがて、力尽きたのか。
全ての行為が終わった後に、アトムは気絶するように意識を失った。
そして翌日目が覚めた時、アトムの中にこの夜の出来事についての記憶は残っていなかった。
兄が自分達のために部屋を訪れてくれた事、向き合って話をしてくれたこと。
そして自分が僅かながら兄の役に立った、その実感だけを胸に残して、アトムは目を覚ます。
「…………えっ?」
眠りから覚めたアトムの目の前にあったのは、胸元をはだけさせた兄のあられもない姿だった。
抱きしめられているため、自分の力で兄から離れることが出来ない。
アトムは羞恥心と多幸感に包まれながら、再び夢の世界へと旅立っていった。
今回のファラオ'sキーワード
『■■■■神/■■■神』
原初の海より産まれ、ファラオの魂が神に至るのを助ける。
■■■■神は陽の力を示し、男性としての特徴を持つ。
■■■神は隠の力を示し、女性としての特徴を持つ。
二人で一つの神であり、その違いは性別のみである。




