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妖精の囁き


 コン、コンと。

 聞き慣れた扉の叩かれる音に反応し、レムリットは机から顔を上げた。

 その目尻にはクマが出来ており、表情にも何処か影が差し込んでいる。体調が万全でないことは、明白だった。


「誰だ」


 何回も繰り返した言葉を、彼はいつものように投げかけた。

 言葉ではそう問いかけつつも、彼の頭の中ではある程度の見当がついていた。


「ポニーです、旦那様。お手紙を届けに参りました」


 しかし、帰ってきた声はレムリットにとっては予想外のそれだった。

 珍しさに瞼を押し上げながらも、特に動揺することなく言葉を返す。


「入れ」


「失礼します」


 扉を開けて姿を見せたのは、ポニーと名乗った使用人の少女だった。


 長く伸ばされた黒い髪を頭の後ろで束ね、一本にして背中へと流している。

 年齢は息子であるラムセスと同じだが、その落ち着いた雰囲気は彼女の年齢を外見以上のものへと誤解させる。


 彼女は代々オリシス家に仕えている家系の末端に位置する者であり、使用人の中でも立場は高い。

 それでもまだ子供である事には違いなく、当主であるレムリットの元へ直接訪れる機会は稀にしか存在していない。


 ラムセスの御付きの様な役割についている事もあって、レムリットよりもラムセスの方が接点が多いだろう。


 あくまで、家族である双子を除いた上での評価となるが。

 バステトが屋敷にくるまでは、この少女が一番ラムセスの近くにいたかもしれない。



 部屋に入ってから一礼した少女を見つめながら、レムリットはそんな事を考えていた。


 彼女が顔を上げてレムリットの言葉を待つ体勢に入った事で、彼は質問を投げかける。


「手紙とは、なんだ」



「王家からのものです」



 その言葉には、流石のレムリットも驚きを隠せなかった。

 大きく目を見開き、そして眉をひそめる。

 彼の表情には疑念の心情が強く現れており、それは問い掛けとなってその場に吐き出された。


「確かか?」


「はい、封蝋の紋章は間違いなく王家のものです」


「出しなさい」


 やや硬いレムリットの言葉に対応して、ポニーは両手で手紙を差し出した。


 机を挟んで対峙しているため少女の腕の長さが足りず、レムリットは手を伸ばして手紙を受け取った。


 蝋印は間違いなく王家のものであり、込められた魔術がその真贋の信憑性を高めている。


 その事実を確認してから、レムリットは視線を手紙から目の前の少女へと移す。



「確かに受け取った、君は退室しなさい」


「はい」


 その場でレムリットに一礼してから、少女は彼に背を向ける。

 足音を立てる事なく、精錬された動きで扉の前へと移動する。


 そして、扉の取手を握りしめた状態で停止した。



「? …………どうした? 早く退出しなさい」


 レムリットの言葉に反応し、少女は振り返った。

 黒い瞳を向け、口を開く。



「…………坊っちゃまですが、今夜は双子様の部屋で就寝なさるようです」


 レムリットの頭の中に、子供達の姿が浮かび上がる。

 その二人は普段の笑顔を浮かべておらず、むしろ責めるような冷たい視線を彼へと叩きつけていた。


 つい数時間前の出来事が蘇り、彼の脳内に自らを糾弾する声が鳴り響く。



『父様は兄様の事が心配じゃないのですか! 王都で危険な目にあった兄様を、また戦いに巻き込もうというのですか!』


『貴族であるという事がそんなに大切ですか! 自分の子供に押し付けてまで…………母様だって、そんな事望んでいない筈です!!』


『父様は…………兄様だって、絶対に間違っています!!』


『どうして分かってくれないんですか!!』




(分かっている、分かっているんだ)


 誰に言い訳するでもなく心の中でそう繰り返し、罪悪感から目をそらす。


 そんなレムリットを感情のない瞳で見つめながら、少女は更に言葉を続ける。


「念のため、お伝えしました」


 少女は取っ手を捻り、開いた扉へと体を滑り込ませるようにして退室する。

 扉が閉まる直前、レムリットの耳元へ彼女の声が届いた。



「それと…………あまり、自分を責めすぎない事です」



 扉の奥に消える少女を見届け、レムリットは深々とため息をついた。


 普段から何を考えているか分からないあの少女は、妙に人の心の機微に鋭い所がある。

 ともすれば不敬と取られる可能性があるほど、その言葉は鋭く率直でありーーーー不躾だ。


 今のレムリットにはそんな少女を責めるほどの余裕も無ければ、そのつもりもない。


 血の繋がった子供達と、目の前の手紙のことで頭が一杯だった。



「…………やはり、間違いない。本物だ」


 一人になったレムリットは受け取った手紙を繰り返し確かめると、そう呟いた。


 蝋印帳を取り出し、紋章を何度も確かめた上での判断だった。


 ゴクリ、と。唾を飲み込む音が、やけに大きく部屋の中に響く。


 震える手を強い意志で抑えつけながら、ゆっくりと封を切り、中に入っていた紙を広げる。


「っ…………これは!」



 それは、たった一枚だけの通達だった。


 そして、今のレムリットが何よりも求めていたものだった。


「よかった…………これで、あいつは「大遠征」に行かなくてもいい!!」



 レムリットの手の中にあるもの。

 それは、王家の実印を押された「招集免除」の証明書だった。


「覚えていてくれたのか…………私がこの屋敷を離れられない・・・・・・・・・事。そして、今のオリシス家には「緊急招集」に向かう事ができる人材がいない事を・・・・・・・・!」


 その書状には、「特例につきオリシス家からの招集を取り下げる」と記されている。


 今のオリシス家が、レムリットが一番必要としているものだった。



 レムリットは喜びを露わにし、書状を手に持ったまま部屋を飛び出す。


 一番早く伝えたい子供達は、既に就寝を終えている頃だろう。

 今すぐ仲違いを解消したいが、起こすのも忍びない。


 そう考えたレムリットは、伝えたい人がいる場所へ向けて足を進める。


 目指すは、屋敷を出て少し進んだ先にある館。


 オリシス家の別館にして、今は重病人を隔離するための病棟として使われている場所。


 そして、レムリットの妻である・・・・女性が眠っている場所だった。




 いつものように、魔術で身を清めてから部屋へと入る。

 この別館には、最低限の使用人しか出入りを認められていない。


 それは、万が一の可能性を減らすため。


 簡潔に言えば、重体である妻の姿をなるべく見せないようにするための決まりだった。


 レムリットは手早く複数の魔術を行使し、眠る女性の体を隅から隅まで調べつくす。

 そして女性の症状が進行していない事を確認すると、ホッと安堵の息を漏らした。


 彼は枕元近くに置いてある椅子に腰掛け、眠る女性に向けて話しかける。



「王家から手紙が届いたよ…………緊急招集に応じなくてもいいそうだ。これで、誰も危険に遭遇する必要がなくなる」


 掛けられた布団から飛び出した手を握りしめ、言葉を続ける。


「王は覚えていてくれたんだ…………と、君の現状を。だから…………これで、ラムセスに重荷を背負わさる事はなくなった」


 実の子供にも見せなかった、オリシス家当主としてではない自身の素顔をさらけ出し、レムリットは心からの笑顔を浮かべながら話しかける。


 その声には隠しきれない安堵の感情が込められており、見る者に対していつもより幾分が柔らかな印象を与えるだろう。


 それからレムリットは、穏やかな声音で色々な事を女性に語った。


 ラムセスが少しも悩む事なく、勇敢に自ら役割を引き受けようとした事を。自らの情けなさを恥じながらも口にした。


 双子から責め立てられ、心の中では激しく後悔した事も。


 ラムセスと双子が自分のせいで意見を違え、初めての兄弟喧嘩をした事も。


 その内容が内容であるためか、レムリットの声は段々と活力を失い、笑顔も陰りを見せる。


 女性は目覚める予兆すらなく、自分に向けて話しかけられる内容を認識しているとは思えない。


 しかし、それでもレムリットはいつものように妻へと語り続ける。


 いつか、その意識が戻ってくる事を信じて。



 どれだけの時間が経った事だろうか。


 喉の渇きを自覚して、ようやくレムリットは女性に語りかける事を止めた。



「ごめん、こんなに長居をして」


 握りしめていた女性の手を離すと、そこはやや赤くなり、レムリットの手の跡が残ってしまっていた。


「今日から少しだけ、来れる時間が減ると思う。やらなきゃいけない事は多いし、双子達の機嫌もとらなければ、ね」


 最後に女性の額に唇を一つ落としてから、レムリットは立ち上がる。



「とにかく、ラムセスは遠征に行かなくてすむんだ…………でも、双子達は大きく傷ついてしまったから、機嫌を伺って…………



 ーーーーなんとかして、ラムセスの遠征を・・・・・・・・納得してもらわないと・・・・・・・・・


 そこまで口にしてから、レムリットは奇妙な感覚に襲われた。


 何かが、おかしい。


 自分が口にした内容に矛盾を感じ、何が変なのかを思い返す。

 しかし、それでも違和感の正体にはたどり着かない。


 まるで頭の中に直接霧を詰め込まれたかのように思考が定まらず、論理的に物事を考えることが出来なくなっていた。


 レムリットは背筋を走る悪寒を抑えつけながら、注意深く辺りを見渡す。


 何か、何かが変わったのだ。


 それを感覚的に理解しながらも、その全体像が一切思い浮かばない。


 喉の奥に何かが詰まったかのように、歯の間に何かが挟まったかのように。


 明確な違和感を覚えながらも、それが何なのか見当もつかない。


 右脳と左脳がずれて噛み合っているような気持ちの悪さを感じ、レムリットは小さく咳き込む。


 乱れる呼吸を整えながら、周囲を警戒する。



 そして彼は、机の上に置いてある見覚えのない書類・・・・・・・・を発見した。


「なんだ、これは…………?」


 近づき、手を伸ばす。


 そこに書かれていた文章は、他でもないレムリット自身の筆跡で構成されていた。



「「緊急招集に対する免除申し立て」…………? 私の字だと…………? こんなもの、書いた覚えは…………



 ーーーーいや、確かに書いた! イシズの看病のために、私はここを離れることが出来ないと伝えるために!! どうして忘れていたんだ!?」


 それは、確かにレムリット自身が書いた書類だった。


 「大量発生パンデミック」に伴った「緊急招集」の知らせを受けた時、レムリットの中に真っ先に浮かび上がったのは「特例による義務の免除」だった。


 現状、オリシス家で緊急招集に出向くことの出来る魔術師はレムリットしかいない。

 そのレムリットは、妻であるイシズにつきっきりで看病を行う必要があるため屋敷から出ることが出来ない。


 息子であるラムセスはまだ八つであり、自分の代わりに遠征に行かせるなど少しも考えていなかった。


 だからこそ、レムリットは免除を申請する事で解決しようと考えていた。


 確かに、その筈だったのだ。


 しかし、それを忘れていたという事実がレムリットを更に混乱させる。


 瞳を白黒させながら、胸の内に込み上げてくる衝動を吐き出す。



「そうだ…………私は、間違いなくこれを書いていた!! そもそも、ラムセスを遠征に向かわせようだなんて…………これっぽっちも考えていなかった!! 何故だ!? 何故忘れていたんだ…………っ! 少し考えればおかしい話だと気がつく筈だ! 私も、使用人達も!! どうして誰も止めなかったんだ!! 子供を戦場に送り込むような真似を…………ありえないだろう!!」









『それは、家族のためですよ』


「そうだ、家族のためだったな」


 レムリットのものではない声が、彼の疑問に答えるようにその部屋に鳴り響く。


 その声を耳にした途端、レムリットは全てに納得がいったように頷き、落ち着きを取り戻す。


 それを見て声の主・・・は満足そうに頷くと、更に言葉を続ける。



『ええ、母親を助けるために…………息子が父親の代わりに戦場に立たなければならない。それはとても尊い家族愛、そうでしょう?』


「ああ、その通りだ」


『家族を助けるのは当たり前。母親を助ける父親を、その息子が助ける。道理ではありませんか? 何を躊躇うことがあるのでしょうか? 貴方がするべき事は、その息子を信じて送り出すこと…………そうでしょう?』


「ああ、間違いない」


『だったら、そのような書類は無粋というものではないでしょうか? やる気を出している息子さんの決意に、水を差すような事はありません』


「そうかもしれないな」


『じゃあ、忘れてしまいましょう。貴方は妻を助けることが出来る、息子さんは貴方を助けることが出来る…………そして、ワタシは目的を達成することが出来る。誰もが納得し、誰もが損をしないではありませんか? いいですか? 貴方は息子さんを信じて待っていれば良いのです、それが父親の役目というものでしょう』



『ですから、今は全て忘れてお眠りなさい』




◆ ◆ ◆



「…………ここは」


 鳥の鳴き声を耳にして、レムリットは目を覚ました。


 部屋の中を見渡し、目の前に妻が寝ていることを確認すると薄く微笑む。


「ここで、寝てしまっていたのか」


 昨晩、レムリットは妻の寝床を訪れた。

 それは、主張の違いから険悪になってしまった子供達との関係を誰かに聞いて欲しかったから。


 傷心した今の自分を、慰めてほしかったからだ。


 そのために、レムリットは妻の元へと訪れたのだった。


 我ながら女々しい事だと、レムリットは自分を嘲笑う。


 未だ目覚める気配のない妻の横顔を、彼は少しの間眺めていた。


 そして、服装を整えてから部屋を出る。


 まだ、やるべき事は沢山あるのだ。


 ラムセスが旅立つための手配が必要だし、双子達も説得しなければならない。


 ここでゆっくりしてはいられなかった。


 振り返る事もなく、急いで足を進める。


 だからこそ、彼が気がつく事はなかった。





 妻の部屋に一人佇む、帽子を被った人物が浮かべる嘲笑に。



「ワタシが思うに、人間というものは危機感が足りていないのだよ」


 細かく破られた紙を手に持ちながら、その人物は口を開く。


「魔人は知性を持つ生き物だというのに、その対処は動物を相手するかの如く。単純に考え過ぎなのではないか、思考停止と変わらない…………そう思わないかね?」


 誰に語りかけるでもなく、ただただ独り言を口にする。



「何故、家の中なら安全だと思うのか。何故、悪意ある侵入者がいる可能性を考慮しない? 魔人を相手にするという事は、人の思考をする獣・・・・・・・・を打倒する事よりも遥かに困難であると…………何故、理解できない?」



 手に持つ紙を握りしめ、忌々しそうに顔を歪める。


「まさかこの国の王族が、一貴族に施しを与えるとは思わなかったが…………流石に公爵サマとなると、扱いが違うのかね? わざわざ視野を狭め、息子を戦場に送るしかないと思い込ませたというのに……それが無駄になるところだった」




「まぁ、いいだろう。正面から戦うだけが人の戦いではないと、人にあらざるワタシが教授して差し上げようではないか」


「我らが王に相応しい戦場を、ワタシが用意したのだ」


「どうか、存分に楽しんで頂きたいネ」

 今回のファラオ'sキーワード


 『囁き妖精デビル


 悪意に満ちた言葉で人を惑わす。

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