I want you
「ねぇ、おうさま……聞いてくれる?」
急に話しかけてきたサンリルオンへと視線を向け、ラムセスは耳をすませた。
杖を用いて炎を操り、隙が出来ないように炎蛇を配置しつつ攻撃の手を止める。
サンリルオンの言葉の続きを、目で促す。
そんなラムセスの元へ、彼とホルスを守るように待機していた蛇が接近し、声をかける。
『王よ、聞く耳を持ってはいけません。あのような者が話しかけてきた時は、およそロクでもない事を思いついたに違いないのです。今のうちに畳み掛けるが最善かと』
それはヴィジャトの声であり、つまるところ、その蛇には彼女の意思が宿っていた。
警戒を促し、助言を捧げる。
彼女の言っている事は、間違いではない。
ラムセスは魔人がそういう存在であると知っているし、相手はラムセスを殺そうとしているのだ。
ヴィジャトの言う通りにするのが正しいのだろう。
ラムセスはそれが分かっていても、ヴィジャトの前に腕を振り上げ、彼女を止めた。
「それは僕が判断する事だ。不本意かもしれないけど、君は黙って見ていてほしい」
『…………はい。身を弁えない言葉でした、申し訳ありません。この無礼……なんとお詫びすれば許されるでしょうか…………』
「いや、そこまでは言ってない」
巨体を縮こませ、シュンとした様子でラムセスの機嫌を伺うヴィジャト。
こんな状況にも関わらず、ラムセスはそれに苦笑した。
力を解放した事で、ラムセスは今まで見えていなかった物を認識し、知らなかった事を知覚していた。
彼の瞳はごく普通の景色を目にすると同時に、物体の持つ熱の高低で色分けされた奇怪な風景を映し出している。
ヴィジャトが言った通りに、そして感覚が伝えてくる通りに、ラムセスは当たり前のように力を使いこなし、その性能を理解する。
そんなラムセスはいま、不思議な感覚に包まれていた。
未知を既知に、不可能を可能にする一体感。
すなわち、人の限界を越えたと錯覚させるほどの全能感。
まるで、神にでもなったかのような。
しかし、ラムセスはそれに飲まれて慢心するほど愚かではなかった。
ここまでの戦闘は、明らかに彼が優勢となって進行している。
それを理解した上でなお、ラムセスはサンリルオンという存在を見くびるような事はない。
単純に、魔人という存在の底が知れていないからだ。
この戦いは、まだ全貌が見えていない、数メートル先が闇に包まれている道を行くようなものなのだ。
そんな相手を前にして、油断をする事などあり得ない。
しかし、それでもラムセスはサンリルオンの会話に乗ることにした。
それは、何故か。
今さら話し合いで解決するなんて幻想を、ラムセスは抱いていない。
既にベンニーアという存在が害されている上に、サンリルオンを生かして返す事がどれだけ危険な事かを理解しているからこそ。
そして何より、それではラムセス自身の気持ちが納得しないだろう。
では、何故わざわざ言葉を交わそうとしているのか。
相手に時間を与える選択肢を取ろうとしているのか。
その答えは単純にして明快。
ラムセス自分が納得するためだ。
例え相手が何を思い、何を企んでいたとしても。
ラムセスはその上を行く。
正面から相手を叩き潰し、完膚なきまでに勝利する。
相手が言い訳できないほど、全ての神算鬼謀を打ち砕き、その上で勝利する。
それが、ラムセスの目指す王道だから。
だからこそ、ラムセスはあえて此処でサンリルオンの言葉を聞くことにした。
「おうさま、私ね…………思うの」
両手を組んで祈るような姿勢になりながら、サンリルオンは目を閉じて語り始めた。
ラムセスはそれを、静かに受け入れる。
「産まれただけで祝福されて、生きているだけで愛されて、努力しただけで報われて、ありのままを受け入れられる…………それって、すごく素敵な事だと思うの。全ての人がそうであったなら…………きっと、誰も未練を感じる事なく生きていける。私は、そう思うの」
一拍おいて、ラムセスは肯定するように頷いた。
理解出来ないことではない。
全ての人がそれを望むかは、この際関係ない。
サンリルオンが主張する通りの世の中になれば、きっと誰もが満ち足りた毎日を過ごせることだろう。
愛するものに見守られながら、自分の目指すものへと進み続ける事ができる。
それはもしかしたら、何よりも尊い事かもしれない。
だが、それを口にしたところで何になるというのだろうか。
少なくとも、世の中の大多数の人間はそこまで恵まれていない。
みんな理想と現実の差に苦しみながら、それでも毎日を過ごしている。
だから、サンリルオンの言った事は理想論に過ぎない。
口にした事で叶うわけでもなく、願ったところで変わる事でもない。
確かに理想的だが、現実的ではない。
そして何より、魔人がそれを口にした所で、全く説得力がない。
魔人は利己的な生き物である上に、未練を持った魂の成れの果てであるのだから。
だから、この話は此処で終わりじゃない。
今の話を前提とした何かが、サンリルオンから語られる事だろう。
それを理解しているラムセスは、サンリルオンの次の言葉を待った。
「だけど、誰もがそういうふうに生きられるわけじゃない」
「産まれる環境は選べないし、生きていくだけで精一杯だし、努力しても報われるわけじゃない。人生ってそういうものでしょう?」
「いつまでも子供ではいられない、いつかは大人にならなきゃいけない」
「他人との繋がりを得るためには、ありのままでいる事は難しすぎるわ。常に変化を求められ、大衆に都合のいいように自分を最適化させないといけない」
「環境に合わせて、他人に合わせて、社会に合わせて。我慢と妥協と諦めを繰り返して、自分という存在を変えていかないといけない」
「そういう努力をしなければいけない」
「そうでしょう?」
「それが人間ってものでしょう?」
矢継ぎ早に告げられる言葉を聞きながら、ラムセスは杖を構えた。
一瞬の間に、ラムセスは包囲されていた。
右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても。
そこにはサンリルオンがいる。
増殖した魔人が彼を中心に円を描くように配置され、同じ姿勢をとりながら視線をラムセスへと向け、言葉を紡いでいる。
同意を求めて、問いを投げかけている。
「理想と現実は違う」
「だからこそ、理想は素晴らしいの」
「産まれるだけで祝福されて、生きているだけで愛されて、努力するだけで報われて、ありのままを受け入れられる」
「それは理想的な人生よ」
「でも、そんな都合のいい話ってないと思わない?」
「そんな人生を送れる人間が、この世界にどれだけいるの?」
「百人に一人、千人に一人、一万人に一人、十万人に一人…………それとも、もっとずっと少ないの?」
「全ての人が魔物や魔人になる訳じゃない。きっと、そんな理想的な人生を送れた人ならば…………人として一生を終える事が出来るわ」
「でも、それってどれだけの人が通ることの出来る道なの?」
「産まれた時から差があって、生きているだけで広がって、努力しても縮まらない」
「それこそが真実で、だからこそ格差があるのよ」
分裂したサンリルオン達が、一斉に変化を始める。
肉を裂き骨を断つ音が幾重にも重なり、人体の奏でる不吉な音楽が闘技場に鳴り響く。
顔が変わる、体格が変わる、声が変わる。
ラムセスはそれすら見逃して、相手の準備が終わるのを待った。
「でも、それってズルくない?」
「少なくとも、私はそうじゃなかった」
「産まれてもいない扱いを受けて、生きているだけで疎まれて、努力なんてさせてもらえなかった」
「自分という存在を見てもらえず、常に偽ることを求められた」
「欲しかったものは全部取られた」
「恵まれた容姿も、輝くような才能も、羨むような人間関係も」
「地位も、名誉も、約束された将来も」
「優しい親も、対等な友達も、将来を誓う恋人も」
「全部全部、私には与えられなかったのに」
ラムセスの目の前の個体を除いた全てのサンリルオンが、彼の姿を真似る。
周囲を埋め尽くす自分と同じ顔に、それでもラムセスは一歩も引く事はない。
力を滾らせ、炎を燃やして、その上で待ち受ける。
「話を聞いてくれて、ありがとう」
「きっと誰もが、おうさまのように生きたいと思っているわ」
「全てに恵まれて、ひたむきに努力できて、誰かのために戦う事ができる」
「醜い感情とは無縁で、常に向上心を忘れないで、自分自身を誇りに思える」
「そんなふうになれたら、そんなふうに生きる事ができたら、どれだけ幸せだろうって」
「みんなそう思うだろうし、私もそう思ってるの」
「僕は、そんな人間じゃ…………」
「いいえ、貴方はそういう人間なの」
ここで初めて、ラムセスはサンリルオンの言葉を否定しようとする。明らかに偏見の混じった評価に、口を濁す。
しかしその言葉はサンリルオンに遮られ、そして彼女は断定する。
「だから…………だから私は」
「貴方のようになりたいの!!」
「容姿がほしい! 才能がほしい! 地位がほしい!」
「家族がほしい! 友人がほしい! 想い人がほしい!」
「ほしい欲しいホシイ!! 貴方の全てが羨ましい!! 貴方の全てが許せない!!!」
「私は何一つ与えられなかったというのに!!!」
「貴方だけそんなに恵まれているなんて、ズルいじゃない!!!!」
ラムセスに化けた全ての個体が、見よう見まねで水の魔術を発動させる。
執念によって模倣されたラムセスの奇跡が、彼に対して牙を剥いた。
濁流を浴びせながら、サンリルオンは叫ぶ。
「だから教えて!! あなたの全てを!! 私はあなたの全てを知りたい!! 全てを手に入れたいの!!」
そして、全ては終わりへと。




