Born from burning, eat blaze
それは、貪欲に餌を求める。
最初に動いたのは、意外にもベンニーアだった。
「『ずるい』『ゆるせない』『返して』」
それまで亡霊のように揺蕩っていた彼女は、今までの戦闘で見せた動きよりも遥かに素早く宙を駆け、口から炎を吐きつつラムセスに切迫する。
炎は再び魔物となり、彼女を先行してラムセスへと殺到した。
ラムセスは動かない。
動く必要がないのだ。
自身に迫る炎を見据え、杖で地面を一度突く。
金属音が鳴り、反響するように空気を震わせる。
その波に触れた魔物達は、まるで時が止まったようにその場に固定された。
それを一瞥したラムセスは瞳を閉じて口を開くと、一言だけ呪文を唱える。
「『開眼せよ』」
杖の宝玉が重低音を響かせ、色を変える。
真っ赤な球体の中心に黒の雫が零れ落ち、一瞬で内部を満たし、黒眼のような小さな球体を生み出す。
それは辺りを見回すように宝玉の内部を移動すると、魔物へと視線を定めた。
『…………ァ』
炎が分解される。
人型となった魔物はその端から塵のように崩壊を始めると、ただの熱となった。
それらは全て宝玉の中心へと飲み込まれ、この世界から消え去る。
獲物を食らった宝玉はさらなる餌を求めて視線を動かすと、魔物と同じように空中で固定されたベンニーアを見据えた。
拘束に抵抗しているのか、宙に浮いたまま振動するように体を揺らすベンニーア。
その体から吹き出る炎は、風もないのに全てがラムセスの方へと揺らめいていた。
そして、宝玉が再び動きを見せようとした時、突然ベンニーアがその視線の先から姿を消した。
それにも慌てる事なく、宝玉の眼は周囲を見渡す。
スカートの下から無数の腕を生やしたサンリルオンが、ベンニーアと同じように空中で佇んでいた。
その腕は束になってラムセスとの間に壁を作ると同時に、何本かを自らの影へと突き入れ蠢かせている。
サンリルオンが影から腕を引っ張りだすと、その先にはベンニーアが捕まれていた。
ベンニーアは静かに自分の両手を動かすと、体を自由に出来ることを喜ぶように炎を滾らせる。
そして彼女は再び、ラムセスへと向かって駆けようとしてーーーー。
「まって、それはダメ」
サンリルオンが伸ばした腕に捕らえられ、彼女の元へと引き寄せられた。
ベンニーアは首を動かし、目隠しで遮られた視線をサンリルオンへと向ける。
そして、「なぜ?」と問いかけるように首を傾げた。
そんな魔人二人の、ある意味隙とも取れる様子を伺いつつも、ラムセスはその場から動かない。
閉じた瞳すら開かず、ただ黙して待ち受ける。
サンリルオンは下半身から伸ばした腕のうち一本を動かし、指を立ててラムセスへと向ける。
「『太陽よ』」
その指先から熱線が放たれ、ラムセスへと迫る。
確かに彼を撃ち抜く筈だったその攻撃はしかし、先ほどと同じように無力化される。
熱線の軌道が突然歪曲すると、その先端から杖の宝玉へと飲み込まれ、そして消滅したのだ。
サンリルオンは複数の腕を同時に操り、それぞれの人差し指をラムセスへと向けると、続けざまに熱線を放つ。
そのどれもがラムセスへと迫るが、直撃する寸前で宝玉へと飲み込まれ、無力化される。
それを知覚したサンリルオンは目を細めると、上半身の二本の腕でベンニーアを抱きすくめて、そのまま落下する。
地面へと着地し、そして更にその下へと進み続ける。
影に飲み込まれ、その場からサンリルオンが消えた。
それを眼で見ていたラムセスは、そこで漸く瞳を開いた。
宝玉の中の黒い球体が縮小し、その役割を停止する。
ラムセスは周囲を警戒しつつ、杖で地面を二回叩く。
地面に触れている杖先から火花が散り、火となり、燃え盛って炎へと転する。
その炎は生き物のようにうねり、勢いを増して彼の周囲を埋め尽くす。
何本もの火柱が立ち上がり、その間を炎の波が旋回する。
地面がひび割れ、マグマのように熱が噴き出す。
そして、その炎がサンリルオンの腕を焼いた。
「きゃっ!!」
いつの間にかラムセスの背後にいた彼女は、炎に焼かれた腕を切り離すと、再び影の中へと姿を消す。
その間もラムセスは炎を止めずに範囲を広げ、絶えず動かし掻き立てる。
演舞の如き炎がラムセスへと集い、束ねられ、相互に力を強め合っていく。
サンリルオンがラムセスから離れた位置に出現した時には、それは既に十数メートルもの高さを誇る柱へと姿を変えていた。
ラムセスはそこから更に一度、杖を鳴らす。
炎柱が枝分かれするように花開き、其々を蛇の頭部へと変化させ、何匹もの大蛇が形作られた。
それらはラムセスが最初に見せた蛇よりも大きく太く、一匹一匹が威迫を伴って威嚇行動を取る。
口を開き、舌を出し、鎌首をもたげて敵を見やる。
炎蛇はラムセスの周囲を旋回し、蜷局を巻くようにしてその体で壁を作る。
幾重にも重ねられた炎が、さらなる勢いを伴って辺り一帯の温度を上げる。
それはまるで、炎で出来た嵐のようだった。
ラムセスはそれを何でもないかのように、全く負担にも感じていないように操る。
彼はいま、これまでの人生の中で最も深く炎を理解していた。
掌の中を風を掴むように、水面に波紋を立てるように。
炎に息を吹きかけ、その行く先を変えるように。
それを操ることは容易かった。
「『追え』」
ラムセスが命令する。
嵐の中より炎の大蛇が姿を現し、サンリルオンへ向かって飛びかかった。
巨体に見合わぬ素早さを発揮し、頭部は直線に、体は波打たせて前へと進む。
サンリルオンはそれを防ぐべく、地面を蹴って浮上する。
スカートを両手でたくし上げ、その奥の闇から無数の腕を出現させる。
その数は戦闘開始の頃よりも遥かに多く、彼女が本気を出していなかった事を、ラムセスは理解した。
腕がひしめき合い、濁流のようにお互いを押しのけて前へと進む。
それと並行してそれぞれの腕同士の境目が目に見えて減少し、やがて一本の巨大な腕となる。
大きさも太さも、炎蛇とほぼ同等。
掌を見せ、炎蛇を迎え撃つ。
相対的に速度が上がり、炎蛇と巨腕が交差する。
そこでサンリルオンは、疑問に首を捻った。
「…………あつく、な、い?」
炎蛇は間違いなく巨腕に絡みついており、その体をくねらせ強く締め付けている。
それにも関わらず、彼女は全く熱さを感じていなかった。
それどころか、炎蛇は実体を持っている様子であり、巨腕が胴を掴む事で動きを封じることが出来ている。
鱗のような感触が直に伝わり、サンリルオンは興味深そうに腕を動かす。
そして、それは好都合というもの。
彼女は下半身から追加で大量の腕を生やすと、束ねて二本目の巨腕を作り出す。
サンリルオンはその腕を伸ばし、両腕で炎蛇を引き千切ろうとしてーーーー。
「ーーーーっ!!!」
突然腕を襲った尋常ではない痛みに、体を震わせた。
自然と肉体は反るように曲がり、顔が上を向く。
真空で引き裂かれた時よりも、熱線で焼き尽くされた時よりも。
遥かに苦しく、痛みを伴う攻撃。
硬直しそうになる体を無理やり動かし、痛みの原因へと視線を向ける。
炎蛇が、巨腕に歯を突き立てていた。
深々と食い込んだ牙から、炎の雫が巨腕に注ぎ込まれていく。
サンリルオンは咄嗟に、巨腕を自切して分離させた。
そして、それは正解だった。
炎蛇に噛み付かれた腕は、その傷口から炎へと変換され、炎蛇の口の中へと吸い込まれていく。
その現象はサンリルオンの目の前で加速度的に進行し、全てが炎へと変わる。
炎蛇はそれを啜るように捕食し、呑み込む。
全てを取り込んだ炎蛇は一回り大きくなり、その目をサンリルオンへと向け、舌をチラチラと動かした。
サンリルオンの背筋を、冷たい何かが伝っていく。
それが捕食される者の恐怖であると、彼女は気が付いているのだろうか。
炎蛇は再び首をうねらせると、一気にサンリルオンへと飛びかかる。
神経を燃やし尽くすような痛みは無くなるも、ショックを受けた肉体は思うように動かない。
ならば、と。
サンリルオンは背中から、もう一人のサンリルオンを生やす。
その分身は地面に降り立つと、元となった個体と同じようにスカートをたくし上げ、同じ手順で二本の巨腕を生やし、炎蛇を迎え撃つ。
その間に本体は更に後方へと距離を取ると、次の対抗策を考え始める。
時間は分身が稼ぐはずだ。
ならば、今のうちにラムセスの力を分析してーーーー。
彼女のそんな考えは、一瞬で前提から崩壊した。
分身が伸ばした両腕が炎蛇に接敵しようという瞬間に、炎蛇は頭部の先端から真っ二つに体を裂くと、その左右を再生して二又の蛇へと姿を変えたのだ。
一歩反応が遅れた分身の両腕が、それぞれの頭部によって噛み付かれる。
そして分身は、本体がそうしたように体を痙攣させると、指先から一瞬で全身を炎へと変換され、二つの頭に啜られ消滅した。
それを目撃したサンリルオンは、悟らざるを得なかった。
今のラムセスには、魔人二人はすこぶる相性が悪い。
原理は不明だが、今の彼にはどんな炎でも吸収する力が宿っている。
この時点で、ベンニーアの全ての攻撃行為が無力化されたも同然だ。
ベンニーアは炎の肉体を持ち、炎で出来た魔物を生み出す能力を持った魔人。
その本領は物量による殲滅戦であり、それほど特化した性能ではないのだ。
突出した個人を相手する時は、遠距離から相手が疲弊するまで魔物を襲わせる他ない。
しかし、それが通用しないラムセス相手には、全くもって戦力にならないだろう。
あの炎蛇が炎を喰らい、一回り大きくなったのを見る限り、下手をすればラムセスを強化している可能性すらある。
何より厄介なのは、あの炎蛇の攻撃だ。
炎を吸収するだけならば、まだ理解できる。彼の持つ魔術で説明がつけられる領分であるし、危機に晒されて腕が成長したとしてもおかしくはない。
しかし、あの炎蛇は明らかに別だ。
サンリルオンは、今まで色々な力を持つ相手と相対してきた。
その中には、今のラムセスのように不可思議なものを持つ者もそれなりにいる。
しかし、それは彼らが人ではなかったからだ。
強力で特別、それは全て普通の人間ではないからこそ手に入れる事ができる。
獣人や、魔物や、あるいは魔人。
そして、魔法使い。
一体、ラムセスの正体は何なのであろうか。
炎を物質的なものへと変え、物質を強制的に炎へと変える。
それは一体、どんな力なのだろうか。
何と引き換えにすれば、手に入れる事が出来るのであろうか。
サンリルオンの相手を分析する力が、沸騰しそうな思考とは相反して状況を冷静に判断する。
サンリルオンは長らく感じていなかった『怒り』という感情に飲まれそうになっている事を自覚していた。
先程までは、明らかに有利だったのだ。
邪魔な魔術師も脱落させ、ラムセスは失意に沈んでいた筈なのだ。
あとはサンリルオンが命を奪い、魔人へと生まれ変わらせる。
それで全てが終わる筈だった。
しかし、あの杖が出てから一気に戦況が変わった。
折角用意したベンニーアは役に立たず、サンリルオン自身も思うように戦う事ができない。
そして何より、この力を聞いていなかった事が、彼女を苛立たせていた。
ラムセスの事は、仲間から聞いていた。
優秀な魔術師であり、大きな志を持つ者であり、やがて魔人達の王となる。
そんな人物がいると聞いたからこそ、サンリルオンは徒党に加わり、計画に参加したのだ。
その際、ラムセスについては一通り説明を受けていた。
それはサンリルオンも羨むような人生を送っていて、間違いなく彼女の好みに一致した人物だった。
しかし、これは聞いていない。
こんな力があるなんて、聞いていないのだ。
そんな理不尽は、許せない。
サンリルオンの目の前で、最後の分身が飲み込まれる。
思考している間に時間稼ぎのために生み出したそれらは、全てが炎に変えられ、捕食された。
そして炎蛇はその頭数を増やし、闘技場内を埋め尽くすように隙間なく展開されている。
サンリルオンはラムセスへと視線を向けた。
彼女は肉体を変化させるという特性上、攻撃手段のほとんどが直接的な接触を伴ったものになる。
まだ見せていない手札は幾つも存在しているが、その中から遠隔攻撃に絞るとなると、大分数を減らしてしまう。
ならばーーーー。
サンリルオンは舌で口元をひと舐めし、笑みを浮かべた。




