Wadjet, Most faithful
内なる獣が力となり、信仰によって神となる。
「うわああああああああ!?」
頭の中に流れ込む記憶を受け、ラムセスは思わずその場に尻餅をついた。
今までの人生を一度に思い出したことで、その反動によって混乱状態に陥ったのだ。
両手で頭を抑え、記憶を整理しているラムセスの側へ、蛇の女性がすり寄る。
そしてラムセスを支えると、地面に膝をついてから背中を摩る。
最初は叫び声をあげていたラムセスも段々と落ち着きを取り戻し、殆ど習慣的に女性へ礼を告げようとして、彼女の方へと振り返る。
そして、再び大声をあげた。
「えっ…………誰っ!? っていうか此処は何処!? ホルスは! 魔人は!? 戦いはどうなったんだ! なんで僕は此処に…………」
「落ち着いてください、我が王」
「王…………? 君も、僕の事を知っているのか? …………一体何者なんだ」
「わたしは貴方様の忠実なる僕であり、力の一端であります。我が王よ…………まずはその瞳を開かれた事を、心から喜び申し上げます」
「えっ? あぁ、うん。なんかよく分からないけど…………ありがとう」
女性がラムセスの手を取り、その場に立ち上がらせる。
ラムセスは彼女の言った事を理解した訳ではないが、なんとなく礼を告げる。
女性はそれに対して口元に笑みを浮かべると、一礼してから一歩下がる。
そして再びその場に跪き、下からラムセスの顔を見上げた。
両手を胸の前で組み、祈るような姿勢のままで口を開く。
「改めて…………初めまして、我が王。貴方様の最も忠実なる僕であり、第一の使徒。「渇望する炎」のヴァジャトと名乗る者です。貴方様とこうして出会えた事に、心からの感謝を。貴方様の覇道の、その末端に名を連ねさせて頂ければ、これ以上の望みはありません。是非とも、わたしの忠誠を受け取っていただきたく」
畏まり、殊更丁寧な口調で放たれたとんでもない内容に、ラムセスは眼をパチクリとさせる。
目の前の女性が口にした事は、要するにラムセスの臣下になりたいという要求であり、ラムセスからすれば意味が分からない。
まず、ラムセスはこの女性が誰なのかを知らない。
顔は隠されているため判断がつかないが、今までの人生で一度も会ったことがないというのは、間違いない。
さらに、この女性が何故ラムセスの事を知っているのかが分からない。
「初めまして」と言ってはいるが、その言葉の節々からラムセスとは既知の間柄のような雰囲気を放っており、得体が知れない。
何より、急に僕だとか忠誠だとか言われても、今のラムセスはそれどころではないのだ。
分からない事、理解出来ないことが積み重なり、どれから手をつければいいのか判断しきれないのだ。
此処は何処なのか、この女性はなんなのか、戦いはどうなったのか、ホルスは無事なのか。
そして、自分はどうなったのか。
それら全てが未解決のままであり、そして早く解明しなければならない事でもある。
ラムセスはとにかく平静である事を心がけ、一度ゆっくりと大きく息を吸い込み、それと同じだけの時間をかけて息を吐き出す。
そして自分の目の前で瞳をキラキラさせて返事を待っている女性に対して、なるべく優しい口調で問いかけた。
「えっと、ヴァジャトさんーーーー」
「是非、ヴァジャトとお呼びください。さん付けなど不要です」
「…………じゃあ、ヴァジャト。幾つか聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい! はい! …………それはもう、何からお話ししましょうか。このヴァジャト、貴方様が望むのであれば、いかなる知識であれども探し出してみせましょう」
「いや、そんな大層な事じゃ…………まぁ、重要な事ではあるけども」
ヴァジャトの恭しい態度に、ラムセスはやや気圧され気味だ。
今の自分よりも見た目上は歳上、精神的には恐らく歳下であろう女性の畏まった態度に、なんともいえない決まりの悪さを覚えている。
貴族である以上、敬われる事は日常茶飯事だが、これはそういうのとは別物である事を、ラムセスは感じ取っていた。
それこそ、神を目の前にした信徒の様な。
心の底からの信仰を捧げているような、そんな視線。
それを正面から、全く包み隠す事なく注がれていることに、ラムセスはなんとなく居心地の悪さを覚えていた。
しかし、今はその事について考えている場合ではない。
頭の中を巡る意味のない思考を断ち、大切な質問を投げかける。
「まずは、この場所について聞きたいんだけど…………その、そもそも此処って何処なのかな? ヴァジャトは知っているかい?」
「勿論、存じております。此処は貴方様の持つ力の眠る場所にして、その最奥地。いうなれば…………最も深き祭殿といったところでしょうか。貴方様の内なる世界であり、御身の望む全てが此処に反映されます」
「えっと…………ようするに、僕の見ている夢みたいなものって事? ここが?」
「あえて噛み砕いて言い表すなら、そういう事になりますね」
ラムセスは両手を額に当てると、天を仰いだ。
半ば予想していた事実だが、それは彼にとっては重い真実でもある。
死後の世界か、死ぬ間際の幻か。
どちらにせよ、現実は何一つ変わらないのだから。
両目を手で覆いながら、ラムセスは内心をポツリと漏らした。
「僕は…………死んだのか?」
返事を求めない問いかけに、しかしヴァジャトは答える。
「いえ、貴方様はまだ死んではいません」
その言葉に対して、ラムセスは両手を下げると視線をヴァジャトへと向けて続きを促す。
「あの魔人が攻撃を仕掛けてきた時、貴方様の精神を無理やり此方側へと引き寄せました。此処では時間が経っているように感じますが、それは結局のところ…………ただの錯覚にすぎません。現実では刹那程の時間しか経過していませんので、まだ貴方様はかの者の技を受けていません。よって、まだ貴方様の肉体は無事という事になります」
「なんだ、それ…………」
説明が全く説明になっていない。
どういう状況なのかは伝わったが、その原理が全く不明なままなのだ。
ラムセスは少し思案した後に、ヴァジャトに再び質問を投げかける。
それはもっと早く聞くべき事であり、しかし彼があえて触れずにいた事。
「ヴァジャト…………君はいったい、なんだ?」
「わたし、ですか?」
首を傾げるヴァジャトへと、ラムセスはさらに言い募る。
「此処は僕の夢の中って、君は言ったよね?」
「はい。厳密には少し違いますが、大凡その様に思って頂いて構いません」
「じゃあ…………その夢の中にいる君はいったい、なんなんだ? 僕が作り出した幻想か? それとも、僕の別人格とか? それとは全く違う何かなのか? 教えてくれ…………君はいったい、誰なんだ?」
そう、此処がラムセスの精神が作り出した世界というのならば、そこにはラムセスが知っているものしか存在しないはずなのだ。
しかし、このヴァジャトという女性は現実で出会った事はなく、その見た目も全く見覚えのないものだ。
仮にこの女性がラムセスの産み出した幻なのだとしたら、無意識の中にこういう女性の姿を求める心あったのかもしれない。
だが、そうでないのならば。
この女性はいったいなんなのだろうか。
ラムセスの事を、彼自身よりも理解しているように見える、ヴァジャトと名乗る女の正体はなんなのか。
ラムセスの別人格か。
情報が可視化されただけの、外見に意味はない記憶の側面なのか。
あるいは、もっと高次元の何かなのか。
その疑問を解消しない事には、話を先に進めることが出来ない。
前提条件を定めなければ、話を信用することすら躊躇われるのだ。
先ほどは勢いと爆弾発言で流されてしまったが、まずはそれをハッキリさせる。
ラムセスはヴァジャトを上から下まで矯めつ眇めつ眺め、返答を待つ。
ヴァジャトはそれに対し、両手の指を胸の前でもじもじと動かしながら、彼方此方に視線をやって考え込んでいる。
ラムセスの目には、ヴァジャトが正しい言葉を探しているように映っている。
「ええっと…………その、わたしは…………」
「わたしは?」
ラムセスの視線を、答えを急かしていると受け取ったヴァジャトは、恐る恐るといった様子で言葉を連ねる。
ラムセスが首を傾げ、鸚鵡返してヴァジャトの言葉を繰り返すと、彼女は意思のこもった視線を彼へと向け、話した。
「わたしは、貴方様の持つ力に人格を与えたものであり…………そして、その人格は余所から引っ張ってきたもので……力が擬人化した精神体のような感じで……つまりは、その…………」
「ごめん、もっと分かり易くお願いしてもいいかな?」
「は、はい…………えっと、一言で表すと…………」
「表すと?」
ラムセスから見て、ヴァジャトが動揺しているのは明らかだった。
まるでいたずらを咎められた子供のように、言葉を濁し、言い訳を探しているようにすら思える。
ヴァジャトはその体を小刻みに震えさせ、肌が見えている部分は発汗している。
ここが夢だとするのなら随分と再現力が高い事だと、ラムセスは心の片隅で呟いた。
そしてヴァジャトは、フードで隠された奥の瞳をギュッと瞑ると、自身を示すのに最適な言葉を口にした。
「あ、貴方様の心の中に居候している者です」
その場に、なんともいえない沈黙が走る。
懺悔した罪人のような反応のヴァジャトと、聞いてはいけない事を聞いてしまった罪悪感に襲われるラムセス。
その沈黙を切り裂いて、ラムセスはなんとなしに呟いた。
「居候なんだ」
「は、はひ。わたしは畏れ多くも貴方様に寄生している不敬者です、恥知らずのダメ女なんです」
「いや、そこまで言ってないからね?」
此処にきて、彼らの話し合いは混沌の中へと突入していた。
先程までの整然とした雰囲気を出していたヴァジャトは既に幻想となり、罪を咎められた哀れな子羊と化してしまっている。
ラムセスはため息をついた。
それに反応し、ヴァジャトは体を震わせる。
そんな彼女を努めて視界から切り離し、ラムセスは自分が過敏になりすぎていた事を自覚した。
気が立っていたと言ってもいいだろう。
ラムセスからすれば、ヴァジャトは戦いの直後に現れた謎の存在であり、得体の知れない女性だった。
しかし今のヴァジャトの様子を見ていると、少し疑心を持ち過ぎであったと反省する他ない。
親から叱られるのを怖がる子供のような反応に、どうしても警戒心が損なわれていくのだ。
きっと、この女性は信用しても大丈夫なのだろう。
むしろ、この女性に騙されていたとしたら、それはラムセスが単に未熟だから。
もしくは、この女性の擬態が一枚上手だっただけの話だ。
ならば、取り敢えずはこの存在を受け入れ、状況を正しく理解することを第一とする。
そういう結論を出したラムセスは、再びヴァジャトへと視線を向けると、次の問いへと話を進めた。
今回のファラオ'sキーワード
「ウアジェト神」
鎌首をもたげたコブラの姿で描かれるエジプト神。
守護神と呼ばれる者の一つであり、その毒が燃えるような熱さを与えることから、炎を吐く蛇と表される。
太陽神ラーの瞳はウアジェトが変化した姿であり、「ウアジェトの眼」と呼ばれる。




