Repeat the same mistake
両目のうち、一つは焼いて潰しなさい。
ーーーー何度やっても、勝てない。
ラムセスが二人の魔人と対面している、その背後で。
ホルスは既に、心を打ち砕かれていた。
現在のホルスから見て、少し先の未来。
何回も繰り返された現実が、映像となって彼女の頭の中へと雪崩れ込む。
『これで…………これであなたの全ては私のもの! さぁ、おうさま…………すぐに願いを叶えてあげる! おうさまの目の前で、大切な人の命を奪ってあげる!! そうすれば、きっと私達の心が分かるはずよ!』
ーーーー巻き戻す。
『ふふ…………これがおうさまの力! 素晴らしいわ! 素敵だわ! もっと、もっと知りたいの! 私はあなたを理解できるわ! 私だけが理解してあげられるの! こんなにもあなたの事を思っているんだもの!!』
ーーーー巻き戻す。
『ホルス! 君は逃げろ! 逃げて伝えるんだ!! この魔人は逃してはいけない! 絶対に此処で討取らなければならない! だから早く! 僕が抑えていられるうちに、早くいけ! この脅威を誰かに知らせるんだ!』
『あら、情熱的ね。そんなに求められたら私…………本当に好きになっちゃうじゃない!』
ーーーー巻き戻す。
『まだ立ち上がるのね! すごいすごい! その体でよくそんなに…………あぁ、濡れてきちゃう! その四肢をもいで、それから沢山私達の事を教えてあげるね!』
ーーーー巻き戻す。
『ちょっと間違えちゃったかしら? これじゃあ私達の良さが分からないわ…………もっと凄惨に、悍ましく…………』
ーーーー巻き戻す。
『あっけない幕切れね。そんなのを庇って死ぬなんて、拍子抜けもいいところよ』
ーーーー巻き戻す。
『…………逃げ、て』
ーーーー巻き戻す。
『ああ!? 違う違う! 殺したいんじゃないのに! どうしてくれるのよ! これじゃあ連れていけないじゃないの!』
ーーーー巻き、戻す。
『……………………』
ーーーーーーーー。
巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す、巻き戻す。
それを、何度繰り返したことだろうか。
自分を庇ってラムセスが倒れた。
魔人がラムセスの姿を取ったことで、彼の魔術が無力化された。
彼がベンニーアを打つことが出来ず、その一瞬の隙を突かれて体を貫かれた。
サンリルオンの不死性を突破できず、魔力切れで膝をついた。
自分を狙って集中攻撃してきたところを、ラムセスが身代わりになって生き延びた。
ラムセスを連れて逃げようとしたところを、不可視の攻撃で撃ち落とされた。
何度やり直しても、最後にはラムセスが死んでいく。
目の前で命を奪われ、その肉体を陵辱されているのを見ているしかなかった。
四肢をもがれ、苦痛に濡れる顔を眺めるしかなかった。
自分を庇ったことで、その体が灰になった。
一人で立ち向かい、最後まで敵に背中を見せることはなかった。
その全てを、ホルスは目の当たりにしていた。
勿論、ホルスだって何もしなかったわけではない。
時として戦い、時として庇い、時として離脱し、時としてラムセスを連れさった。
しかし、その全てが『ラムセスの死』という結末に繋がっていた。
ホルスは、あまりにも無力だった。
無力であることを、実感していた。
何度か魔人を退けることに成功するも、最終的にはサンリルオンが復活する。
そしてラムセスの姿を真似、その力を奪ってラムセスを殺す。
まるでそういう風に運命が決められているかのように、最後には『ラムセスが必ず死ぬ』。
何度巻き戻しても、それだけは変わらなかった。
もっと以前へと時間を巻き戻せるのならば。
どれだけの代償を支払おうと、彼女はそれを行なっただろう。
たとえ自分の命を犠牲にしてでも、彼のためにそうしただろう。
しかし、今の彼女にそれは不可能だった。
世界が滅びる寸前になって彼女が手に入れた力、時空魔法。
その特性上、それは彼女や世界が危険に犯されるほどに、より大きな力を発揮する。
彼女の命が危険に晒されるほど、そして彼女の未練がより大きいほど、より長い時間を巻き戻し、人生をやり直すことができる。
しかし、一度無茶したことによって。
それは最大の力を発しても、一時間程度しか巻き戻すことが出来なくなっていた。
そして、その最大の力を発するためには、ラムセスが接戦の上に死に、ホルスが全力を尽くして疲労していなければならない。
それだけの苦境に立たされる頃には、既に一時間近い時間が経過していた。
戦いが始まるよりも前に巻き戻す事が、出来なかった。
今の彼女に取っての、最後の砦。
時空魔法ですら、少しも助けにならない。
彼女が何度繰り返し、どれだけの現実を過去として葬り去ったとしても、最も大切な者の命一つ救う事も出来ない。
悔しかった、悲しかった。
自分のこれまでの全てを否定されている気がして、涙が流れた。
目の前で何度も失った命を思えば、嗚咽が漏れ出した。
ほんの、一メートル。
それがラムセスと、ホルスの物理的な距離。
心が折れて、立ち上がることすら出来ないホルスを、ラムセスが庇って戦っている。
たった一人で、まだ子供であるというのに。
一歩も引かず、一撃も通さず、全てを迎撃し、炎と水でホルスを守っている。
振り返るほどの余裕はなく、それでもホルスを心配するように声を投げかけてくる。
今のホルスはまるで、守られるだけの子供のようで。
ラムセスこそ、守られるべき子供であるというのに。
体が大きくなり、昔よりも遥かに強くなったホルスはーーーー。
それでもまだ、ラムセスの背中に守られるだけの子供に過ぎなかった。
立ち上がらなければならない。
諦めずに、今すぐにでも加勢しなければならない。
それは分かっていた、そんな事は理解していた。
だというのに、一歩も動くことが出来なかった。
既に、立ち上がる力すら残されていなかった。
子供の姿でホルスを守るラムセス、大人の姿でラムセスに守られるホルス。
その姿は対照的であり、二人の立場を明白に表していた。
たった、一メートル。
それだけの距離すら、彼女は近付くことが出来ない。
ラムセスが死んでいく様が、目を閉じていても、網膜に焼き付いて離れない。
それを再び目にするのが怖くて、その先に踏み出すことが出来ない。
たった、一メートル。
その背中が、果てしなく遠い。
戦うラムセスの姿を後ろから眺めながら、ホルスは不明瞭な思考を巡らせていた。
どうすれば、ラムセスを救うことができるのだろうか。
これ以上、苦しめなくて済むのだろうか。
魔人がラムセスを狙うせいで、彼は何度も傷つき、殺されている。
ホルスはそれが許せなかった。
しかし、だからといって自分に何が出来るのだろう。
ホルスはそう思わざるを得なかった。
何も、出来ない。
ラムセスの命を助ける事も、その戦いを援護する事も、この場から逃す事も。
今のホルスには何一つ達成することが出来ない。
ただの諦めではない。
何度も繰り返した事で、その先を知った事で、死を見届けた事で。
それによって裏付けされた、確固たる『真実』による諦観。
その絶望にも近い感情が、ホルスの心を埋め尽くしていた。
かつての自分が現状を知ったら、なんと思うだろうか。
あの使命感に満ち、何があってもラムセスを救うと息巻いていた自分なら、なんというだろうか。
幼く、弱く、何も出来なかった自分なら。
こういう時、どう思うのだろうか?
女々しいと、罵倒するだろうか。
情けないと、失望するだろうか。
彼の娘に相応しくないと、憤るのだろうか。
こういう時、どう行動するのだろうか。
もう、見たくなかった。
ラムセスが死んでいくのを、見たくなかった。
目の前で 魔人に奪われるのを、見たくなかった。
戦いで傷つくのを、見たくなかった。
信じていた男が負ける姿を、見たくなかった。
どんな相手にも打ち勝ち、最後に笑う姿を見せてほしかった。
此処に来て、そんな身勝手な感情を抱いてしまう自分を、彼女はとても悍ましいと感じていた。
あまりにも、自分本位な願いだと気がついたのだ。
それはラムセスの為ではない。
自分の為の願いであるという事が、明白になってしまった。
ラムセスには、生きていてほしい。
それは間違いなく、ホルスの本心だった。
しかし、それはラムセスの為ではなかった。
自分の為に、生きていてほしい。
それがホルスの願いであり、そのために彼女は行動していたのだ。
この窮地でそれを自覚した彼女は、そんな自分に愕然とした。
なんと醜い事だろう、と。
そもそも、こんな事態に陥ってしまったのは、誰のせいだろうか。
彼女はそう自分に問いかけ、すぐに答えを導き出した。
そう、自分のせいだ。
本来の歴史であるならば、ここでラムセスは犠牲を出しつつも勝利を収めるのだ。
サンリルオンという魔人はここまで脅威ではなく、ベンニーアという魔人も存在しない。
それが、こんな現実に変わってしまったのだ。
嘗ての頃よりも、遥かに最悪な事態を迎えているのは、誰のせいだろうか。
本来の歴史との明確な違いなど、明らかだろう。
そう、ホルスという存在そのものだ。
どのような過程を経てこうなったのかは、さほど重要ではない。
しかし、ホルスがいなかった歴史ではラムセスが生き残りーーーー。
ホルスがいる今、ラムセスはここで命運が尽きようとしている。
では、その原因はいったい何だろうか。
彼を追い詰めている、真の敵とはなんなのか。
そう、自分なのだ。
自分が余計な事をしたから、歴史が変わってしまった。
自分が足手まといだから、ラムセスは死んでしまう。
何もかも、自分が悪いのだ。
涙が溢れて止まらなかった。
自分の身勝手な行動がラムセスを苦しめている事を、自分で許せなかった。
自分が生きているせいでラムセスが死んでしまう運命を、決して認めたくなかった。
涙でボヤけた視界の中に、何度も見たラムセスの死体が映り込む。
どれもこれも悲惨な死に方で、そして無残な死に様だった。
身体中に穴を開けているラムセス。
灰となって消えたラムセス。
ホルスを庇って潰されたラムセス。
酸素を求めて喉を掻き毟り、血を吐き出して死んだラムセス。
ホルスは自分に問いかけた。
『自分の父親は、何度死んだのか』
『ホルスによって、何度甦らされたのか』
『その度に、何度死に直したのか』
自分のやっている事は、やってきた事は。
『本当に、正しかったのだろうか』
寧ろ、そうーーーー。
『ラムセスを、余計に苦しめているだけなんじゃないのか』
……………………。
ホルスの目の前で、ラムセスが徐々に劣勢になっていく。
ラムセスと戦い、その力を身で受けた事で成長したサンリルオンが、ラムセスの力を模倣し始めたのだ。
ラムセスの攻撃は魔術障壁に阻まれ、サンリルオンに届かない。
しかし、サンリルオンは多彩な能力でラムセスを追い詰める。
ベンニーアの吐き出した魔物からホルスを守るために、いくつもの魔術を同時に操って相手を近づけさせない。
しかし、それは酷く無茶な力の使い方だ。
明らかに彼一人の許容量を超えた対応であり、長く持たないのは一目瞭然だった。
だからこそ、ついにその時が訪れる。
サンリルオンの攻撃で身体を弾かれたラムセスは、元の姿勢を保つために全身を力ませる。
それは明確な隙となり、彼を更に追い詰めた。
一歩、また一歩と。
後ずさる事を余儀なくされ、少しずつ後方へと追い込まれる。
しかし、ラムセスはそんな状態でも諦めていない。
もはや声を出す余裕すらない状態で、ホルスを見ることもなく、それでも彼女の目の前で踏ん張り続ける。
それは、彼に残された最後の力を振り絞って行われる、極限での挺身。
親が子を守るように、戦士が故郷を守るように、青年が恋人を守るように。
意地と気力で背中を支えた、全身全霊の抵抗。
それを見たホルスは、ラムセスと過ごしたこれまでの数ヶ月の思い出を反芻していた。
最初の出会いは、失敗してしまった。
あの時、ラムセスの言っていた事をもっと深刻に受け止めて、もっと現実を見ていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。
バステトや双子と過ごす様子を見る事が出来たのは、これ以上ないほどの幸福だった。
だってそれは、ホルスが過去を変えた事で、何よりも見たかった景色なのだから。
父親が心から笑い、不安を抱く事なく毎日を生きていく。
それだけで、十分だったのだ。
それだけでいいと、思いたかった。
娘として愛されたかった。
女として接したかった。
何もなかった自分に、ラムセスは全てを与えてくれた。
知識も、力も、帰る場所も。
最後に失ってしまった彼の居場所を、もう一度取り戻したかった。
自分の欲望がキッカケだったとしても、確かに願っていたのだ。
ラムセスには、生きていてほしい。
生きてその夢を叶え、誰よりも幸福に過ごしてほしい、と。
だからこそ、その瞬間が訪れた時。
ホルスは一瞬も躊躇うことなく、ラムセスを突き飛ばした。
「っ!? 何をっーーーー」
「申し訳ありません、ファラオ」
気力で魔術を編み、風の加護を用いてラムセスをできる限り遠くへと飛ばす。
ラムセスは突然の事に対応できず、闘技場の端へと吹き飛ばされる。
そして、今のホルスは全くの無防備な状態であり。
ラムセスは目を見開き、呆然と口を開いた。
ラムセスの魔術を模したサンリルオンの熱線が、彼女へと迫る。
「どうか、お逃げください」
熱線がホルスの側頭部に直撃し、彼女の片翼を奪った。
衝撃によって体が吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
それから少しの間、彼女は身体をピクピクと痙攣させていたが、やがて全身を弛緩させ、脱力する。
片目から血を流して倒れ伏すホルスの姿を見て、ラムセスは叫んだ。
「おい…………ホルス!! 目を覚ませ!! 返事をしろ! ホルス!!」
ラムセスはすぐさま立ち上がり、疲れを感じさせない程速く駆け寄る。
サンリルオンやベンニーアは、手を出す事なくそれを眺めていた。
「大丈夫…………大丈夫だ! まだ生きてる! 死ぬな! 起きろ! 諦めるな!!」
ラムセスは自分の体に鞭を打ち、魔力を無理やり捻り出してホルスの傷口を治療する。
翼は熱で焼き切られているため、出血はない。
しかし、片目の上には熱で石化した砂の破片が刺さっており、体の節々にも同様のものが突き刺さっているため、出血は多い。
治療を続けるラムセスに対し、サンリルオンが声をかける。
「予想外な方に進んだけど、まぁ…………これでもいいかな? どう、おうさま…………私が憎いでしょ? 悔しいでしょう? もっと、もっと心を燃やすの。そうすればきっと、ここで死んでも死に切れないはずよ」
「…………っ」
「えっ? 何か言ったかしら? 聞こえなかったの、もう一度言ってくれると嬉しいな?」
ラムセスはホルスを手に抱いたまま、サンリルオンを睨みつける。
その目を見ながら、サンリルオンは手のひらを口元に当て、愉快そうにクスクスと笑った。
そしてラムセスの姿に変化すると、その指を二人に向ける。
ラムセスの姿のままで、くぐもった声を響かせ、サンリルオンは口を開いた。
「ちょうどいいから、その子も一緒に殺してあげる。守れなかった無力感を元に、絶望しながら私達になっちゃえ!!」
サンリルオン指先から、熱線が飛び出す。
自分に迫り来る光を眺め、決して目をそらさず。
そしてラムセスの意識は、暗闇の中へと旅立った。
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その海を知るものは、眠りの旅より舞い戻る。




