Reaching out to catch the Eve
儀式が知性を呼び覚ます。
『まさか、わたしが一番に目覚める事になるとは…………思ってもいませんでした』
ラムセスの歩幅に合わせた速さで進みながら、炎蛇は彼へと語りかけた。
ラムセスはそれに反応する事もなく、ただ歩みを進める。
無視しているともとれる態度だが、炎蛇は気を悪くした様子もなく、寧ろ上機嫌な気配すら漂わせている。
彼女は続ける。
『こうして貴方様の魂を案内する役割を果たせる事、光栄に思います。偉大なる覇業の、その第一歩に立ち会う。ふふ…………『蛙』や『涙』が知ったら、さぞかし羨ましがる事でしょう。彼らは貴方様を心から敬愛しておりますゆえ。もちろん、わたしや他の者もその気持ちに欠けることはありませんが』
炎蛇が他の誰かの名を告げた時だけ、ラムセスは眉をピクリと動かして反応したが、それ以上の何かを見せることはなかった。
炎蛇はその後も、ラムセスに対して様々な事柄について、懐かしむように語り続けた。
『それにしても、今回のわたしはなんと情けないことでしょう。まさか…………貴方様に無礼な真似をしたばかりか、あっさりと甘言に乗せられてしまうとは…………お恥ずかしい事です。あぁ、いえ…………だからこそわたしが貴方様に会えた事は理解しているのですが、どうしても憤慨する気持ちを止める事ができず…………』
楽しそうに、嬉しそうに、そして申し訳なさそうに言葉を重ねる。
それはまるで、二人の間に存在する長い年月を埋めるかのようで。
彼女の心の中は、隠しきることのできない喜びで満たされていた。
どれだけこの時を待ちわびたことだろうか。
どれだけの想いを、綴ったことだろうか。
たとえ出会いも思い出も無かったことにされ、時の螺旋に置き去りにしていたとしても。
記憶も、想いも、愛情も。
決して手放すことはない。
だからこそ、炎蛇は心の底から、ラムセスに会えた事を喜んでいた。
しかし、そのどれもが今のラムセスの興味を引くものにはなり得ない
炎蛇の親しげな態度とは相反して、彼は沈黙を保ったままだった。
一人と一匹はその間も、石畳で出来た通路を進む。
道中にはいくつもの分岐点が存在していたが、炎蛇は迷うそぶりもなく進み続ける。
『だっ、だいたい! 何なんですかあの破廉恥な格好は!! 絶対に大人になったら後悔するに決まってるんですから、もっと一般的な感性に合わせてくださいよ! 全く、子が子なら親も親ですよ! 普通娘があんな格好していたら止めませんか!? 『鰐』や『獅子』も馬鹿にしてくるし…………ま、ましてや王にその姿を晒すなど…………うぅ、恥ずかしいですよ…………』
最後には愚痴をこぼしていた彼女も、目的地が近づいた事で徐々に口数を減らす。
一歩一歩を噛みしめるように進み、万感の想いを炎の息吹として吐き出した。
そして、ついにその場所へと訪れる。
石の通路を抜けた先は、開けた場所になっていた。
綺麗な正円を作る壁によって囲われた、円状の空間。
その中心には一本の石柱が立っており、その頂点には光球が鎮座し、部屋全体を照らしている。
そして、その石柱へと垂直になるように設置された幾多もの棺が、等間隔に並ぶ事で輪を作っている。
炎蛇はその中心へと進むが、ラムセスはその入り口で足を止める。
そのことに気がついた彼女は、ラムセスへと振り返ると、首を傾げて問いかけた。
『いかがなされましたか? どうぞ此方へ』
炎蛇はラムセスへ歩みを促すも、ラムセスはその場から動く事はない。
彼は今、抗いようのない感覚に苛まれていた。
足を進めることへの抵抗、それを行うことで訪れる事柄への潜在的な恐怖心。
これ以上進めば、きっと良くないことが起きる。
ラムセスはそれを思考ではなく、心で理解していた。
そして彼の様子から、炎蛇はその内心に思い至る。
彼女はやや悩んだような素振りを見せたが、やがて決心を定めると、来た道をするすると戻り、ラムセスの目の前まで辿り着く。
彼女が足を止めた瞬間、その体に変化が訪れる。
静かに揺らめいていた炎が逆立ちを見せると、次の瞬間には一気に燃え上がった。
その炎は赤から白へと移り変わると、ラムセスの背丈よりも大きく膨れ上がる。
最後には霧散するように弾け、仄かな熱を振りまきながら消え失せた。
そして、その跡には一つの人型が佇んでいた。
蛇の頭を模したフードで鼻から上を隠しているため、その顔を伺う事はできない。
背丈はラムセスよりも頭二つぶん程高く、隠された瞳が静かに彼を見下ろしている。
炎で形作られていた肉体は実体へと変化し、火は服の裾などの要所を僅かに燃やすばかりに収まっていた。
袖のないパーカーから露出された健康的な白い肌が眩しく、その上を走る刺青が目を引く。
ゆったりめの白い布を押し出す僅かな膨らみから、その人型が女性である事が判断できるだろう。
彼女は先ほどまでと同じ声で、しかし今度は指向性を伴った肉声を発して、ラムセスへと口を開く。
『魂は精神と合流し、新たなる思考を創り出す』
ラムセスはそれに反応せず、ただ静かに彼女を見つめる。
『名前がその者の生を証明し、影が存在を確立させる』
動きを見せないラムセスへと、彼女は更に一歩近づく。
『そして、心臓がその者の記憶を保ち、これら全てを以って霊魂と為す』
「貴方が伝え、人々を導いた言葉です」
彼女はラムセスに接すると、そのまま彼の頭を抱き竦めた。
ラムセスは抵抗する事もなく、彼女は当然のようにそれを受け入れる。
少しでも熱が伝わるように、そして気持ちが届くように。
彼女は言葉を探しながら、ラムセスの頭をさすった。
そして、その耳元で囁く。
「今の貴方には、その心臓か欠落しています。それは現実で起きた出来事どころか、それまでの貴方自身を損なわせるでしょう…………怖いのですか? 記憶を取り戻す事が、真実を目の当たりにする事が」
「失ってしまったものを、知ってしまう事が」
ラムセスは、僅かに頷いた。
「確かに…………そう、辛いこともあるでしょう。取り返しのつかない事を、忘れたくなることもあるでしょう。それは貴方も、わたしも、そして誰もが抱く本能に近い衝動です。しかしーーーー」
彼女は一呼吸置くと、再び口を開く。
「ーーーーそれでも人は、前に進まなくてはなりません。求めるのです、渇望するのです。失ったものを取り戻す事ができないと、誰が決めたのですか? なぜ、貴方がそれを諦めなくてはならないのですか? 手のひらから零れ落ちたのなら、掬い上げればよいではありませんか」
ラムセスは一筋の涙を流すと、再び頷いた。
胸元で動く彼の頭に擽ったさを感じながら、彼女は続ける。
「嘗ての自分を失ったとしても、今の自分がいるでしょう。嘗ての願いを忘れても、今の渇望が貴方の道を照らすでしょう。恐る事など何もないのです…………人は、何度だってやり直す事ができるのですから」
「そう、時として死すら乗り越えて」
彼女はラムセスを解放すると、その片手を手に取り、導くように引き寄せた。
ラムセスはそれに逆らわず、一歩ずつ前へと進む。
彼女が向かうのは、空間の中央に存在する石柱。
ラムセスかそれに近づくごとに、頂点の光球が輝きを増し、熱を放つ。
彼女は空いている方の手で柱に手を付けると、予め決められていた通りの手順で動かし、それを解き放つ。
頂点の光球が一際大きい光を放ち、空間の中に無数の光線が飛び立つ。
その光は空間に光の絵を描き、壁を数多の言葉で埋め尽くす。
光が去った後、石柱の頂点には全く別のものが存在していた。
その鼓動が大気を震わせ、脈動が心を揺らす。
最後の審判でも目にした、普段は馴染みの薄いその物体。
しかし、誰の胸の中にも存在し、日々命を繋げるもの。
『心臓』
石柱は時計回りに回転すると、どんどん地面の下へと埋まり、頂点の位置をラムセスの目の前へと調整する。
彼女はそれを見て一つ頷くと、ラムセスから手を離し、一歩後ろに下がって跪いた。
顔を伏せ、ただ一言だけ口にする。
「さぁ、その手を伸ばしてください」
ラムセスの中には、もう迷いはなかった。
心臓へと手を伸ばし、触れる。
そして、彼の意識はここでは無い何処かへとーーーー。
■■■■■■■■■■■■■
『心臓:記憶・来世への鍵』




