連鎖する運命
「ファラオ、ご無事でしたか?」
返り血のついた顔に微笑みを浮かべ、ホルスはラムセスへと近づく。
ラムセスは目の前で起きた出来事にやや放心していたが、ホルスが話し掛けてきたことで正気を取り戻す。
ラムセスは戦慄していた。
ホルスが一切の躊躇いなく魔人を屠った事に対してではなく、その寸前まで気配を全く悟ることが出来なかった事を、ラムセスは驚愕とともに受け入れた。
ホルスの肩書きと実力はそれなりに理解していたとはいえ、その隠遁能力の高さは筆舌に尽くしがたい。
タイミングが良すぎる事から、攻撃を仕掛ける前からずっと潜伏していたと推測すると、ラムセスは一つの疑問を抱いた。
果たして、いつからホルスは姿を隠していたのか。
ぶるり、と。それを考えたラムセスは体を震わせた。
全く気がつく事が出来なかったのだ。
魔術を常に行使し、サンリルオンの行動を警戒し続けていたラムセスですら感知できない。
前にレムリットの執務室でも同じような事が起きたが、その時とは状況が違う。
その時はラムセスのホーム内にいたため、油断があった。
しかし、今この状況では油断など欠片もなかったのだ。
にも関わらず、全く気がつく事が出来なかった。
こうして目の前にいるホルスを確認しているにも関わらず、その存在に実感が持てない。
それほどまでに、ホルスは魔術師として優れていたのだ。
突き付けられた現実を目の前にして、ラムセスは敗北感と高揚感に包まれる。
ラムセスは魔術という力を手に入れて、どこか全能感に囚われていた。
こうして魔人と相対している時でさえ、ラムセスは自分が死ぬとは全く思っていなかったのだ。
それは感知能力と破壊力を兼ね備えた火の魔術と、応用力が高く治療もできる水の魔術の両方を手に入れた事による弊害。
一人でなんでもこなせるからこそ、心の奥底で抱いていた慢心。
常に向上心を持ち、自らの現状に満足していなくとも、それは驕らない事とイコールではないのだ。
ラムセスの戦い方は、感知を前提としている。
それは通用する相手には有利な状況を作り出す事ができるが、今のホルスのような相手には無意味となる。
治療する事ができるとしても、自分が即死していたら意味がない。
今のラムセスは、ホルスがその気になったら抵抗する事も出来ずに殺されてしまうのだ。
そしてラムセスは、その事に気がつけた事に感謝していた。
力とはあくまで手段であり、ラムセスの真の目的は別にある。
極端な話をすれば、ホルスのような存在を上手く取り立てる事が出来れば、ラムセス自身が強者である必要はないのだ。
それこそが優れた王であり、指導者のあるべき姿なのだから。
しかし、ラムセスはそれでも自分に妥協をする事を許せなかった。
誰よりも強く、誰よりも優秀で、誰よりも高みに座する。
そんな存在になりたいのだ。
いや、それはもしかしたら建前なのかもしれない。
ラムセスは魔人を倒したホルスを見て、純粋にこう思ったのだ。
負けたくない、と。
「ファラオ? 調子が悪いのですか? それともまさか、どこかお怪我を!?」
思案していたラムセスに対し、ホルスが慌てて近寄る。
その姿を目に収め、ラムセスは苦笑しながら彼女へ言葉を返そうとした。
そう、戦いは終わったのだ。
やや消化不良となった事は否めないが、それはそれ。
こうして犠牲なく敵を打倒した事を、純粋に喜べばいい。
ホルスのした事に対して畏れを感じなかったといえば、嘘になる。
一片の容赦もなく、一瞬で魔人を切り刻んだその行動からは、紛れもない殺意と憎悪を感じさせた。
まるで親を殺されたかのような、魔人という存在そのものへと向けられた敵対心。
その姿に一歩引かなかったといえば、嘘になる。
しかし、こうして自分を心配している姿を見れば、その感情も薄れて無くなるというもの。
得体の知れなさは無くならないが、それを含めた上で。
ラムセスはホルスの事を信用しつつあるのだから。
だからラムセスはここで、最初に何というべきか悩んだ。
見事だった、助かったよ、お疲れさま。
どれも悪くはないが、そうではない。
そう、こういう時は素直に感謝を述べるべきなのだろう。
ラムセスはただ一言、ありがとうと伝えようとしてーーーー。
その光景に、目を見開いた。
「ホルス! 伏せろ!!」
ラムセスが表情を急変させ、怒鳴るようにそう命令した事で、ホルスは疑問に思うよりも前にその場で体を傾けた。
ラムセスが放った熱戦がホルスの頭の上を通り、その破壊力を発揮する。
そのまま連続して何度も熱戦を放ち、ホルスの背後を撃ち抜く。
そして攻撃がとまったタイミングでホルスは体を起こし、ラムセスを見る。
その顔には戦慄の色が強く浮き出ており、足も一歩後ろへと下がっている。
ホルスは胸のざわめきを感じながらも振り返り、ラムセスの見ているものを目に収める。
そして、絶句した。
「もう、痛いじゃない。私とおうさまの逢引きを邪魔するなんて、不粋ね」
そこに立っていたのは、確かに倒したはずのサンリルオンだった。
体のあちこちに穴が開き、傷口が炭化しているにも関わらず、笑顔を浮かべている。
切り刻んだ肉体と撒き散らされた血液が、頭部のあった場所を中心に渦巻き、腰より上の部分が再生を終えている。
そんな彼女は上半身から触手のようなものを伸ばし、それをホルスへと近づけていた。
ラムセスの魔術によって撃ち落とされ、地面の上でのたうち回っていた。
何故、と。
自分の知識とは違う現実を前にして、ホルスは叫ばずにはいられなかった。
「そんな…………完全に殺しきったはずです! ドッペルゲンガーは変身した先の肉体に特性を引っ張られる! 『捻れ飛び兎』に再生能力なんか存在しないのに、どうして!?」
「…………? やけに詳しいのね、貴女? でも残念でした、その情報は正しいけど…………私には通用しないのよ、魔人だから」
「嘘です! 魔人は魔物に知識と指向性を加えた存在! 確かに基礎能力こそ向上しますが、種族ごとの原理は変わらない! それはあなたも例外ではないはずです! どんな絡繰が…………」
「本当に詳しいのね。たしかに、私も少し前まではそうだったわ…………でもね、それは昔のことよ。名前を付けられ、新しい段階へと昇華した私には通用しない理屈よ」
ホルスは理解した。
今いる現実が、自分が知る過去とは違う道を歩んでいる事を。
否が応でも突き付けられたのだ。
この魔人は自分の知らない存在であると。
ホルスの知らない所で何かが変化し、それがホルスに不利に働いている。
『現実が改変されている』
魔法を使うべきか。
ホルスは一瞬だけ思い浮かべたその案を、躊躇いなく切り捨てる。
この変化がいつから起きているのか、それが分からないからだ。
今のホルスには、遥かな時を超えるほどの力は残っていない。
覚醒魔法によって暴走状態にした事で、望む時代に辿り着くことはできた。
しかし、その代償として彼女は魔法の力の殆どを失った。
魔法の力に目覚めた時と比べると、本当にごく僅かな出力しか発生しない。
今ある魔法の力は、いうなればただの残骸。
燃え尽きる寸前の蝋燭に息を吹きかけることで、その寿命を減らして一時的な効果を発揮しているに過ぎないのだ。
せめて、相手の力の絡繰を見抜いてから。
そう判断したホルスは、相手に揺さぶりをかけるべく、口を開く。
「…………確かにその再生力には驚きましたが、それにも限度がある筈です。アレだけの傷を受けて、生き返るかのように…………それこそ、代償なしに元どおりになるなんて、ありえません」
「そう思うのは自由だけど、今の私は完全な「不死身」なの。そういう魔人に出会ったからね、真似させてもらってるの…………それがなかったらさっきの攻撃で死んでいたかも? そこだけは褒めてあげる」
「ドッペルゲンガーは自分よりも力の強い相手を模倣できない! 「不死身」なんて…………そんな存在が仮に居たとして、真似できる筈がない!」
「…………あなた、私に以前会ったことでもあったかしら? やけに前の私の事を知っているのね…………あぁ、なるほど。つまりあなたが…………」
会話の最中に何かを察したのか、サンリルオンが黙り込む。
ホルスは気がつく事が出来ない。
自分の持つ圧倒的なアドバンテージ、本来辿る筈だった歴史を知っているが故の、他にはない欠点を。
この現実を目にして、動揺を抑えきれていない事に。
答えを知っているからこそ、それに囚われてしまっている事に。
余計な事を口にしている事に。
そして、その言葉を耳にして。
ホルスは、そしてラムセスも。
何も言うことが出来なかった。
「まぁ、いいわ…………私、おうさまと二人で語り合いたいの。だから、あなたの相手は…………この子にお願いするわ」
サンリルオンの足元の影が広がり、地面を離れ、実像を伴った影の球体を作り出す。
ピシリと、その球体にヒビが入る。
そのヒビは時間と共に広がり、やがてガラスの割れるような音を立てて砕け散る。
そして、その中から少女が現れた。
「お願いね、『嘆きの罰火』ちゃん♪」




