狂信ゆえに
ホルスにとって、魔人とは悪そのものだった。
自らが父と慕うラムセスを何度も襲い、その道筋を遮ってきた邪魔者。
身勝手な理由でラムセスの大切な人達の命を奪い、彼の心を傷つけてきた罪人。
一度死んだ身でありながら、未練がましくも現世にしがみつき、生者を苦しめる姿は無様としか言いようがない。
そして最後には、ホルスからラムセスを奪っていった。
ホルスは魔人の事を嫌悪していた。
自分の大切な人を傷つけ、誑かし、奪った魔人が憎くて憎くて仕方がなかった。
だからこそ、確実に魔人を倒すため。
ホルスは最初からずっと姿を隠し続けていた。
隠遁の魔術。
目的のために力を得る際、彼女が最も尽力して習得した技能。
まだ幼い頃。寝物語でラムセスが戦ってきた相手の話を聞いた時、ホルスは愕然としつつ思った。
魔人に限った話ではない。
この世界の実力者には、初見殺しのような異能を持つ者が多すぎる。
いくら強力な力があったとしても、相手次第では抵抗することすら出来ずに倒れてしまう事すらある。
絡繰が不明であり、底が知れないのだ。
ならば、どのような対策を取るのが一番良いのか。
決まっている。
身を隠して相手の情報を探りつつ、最も最適な場面で一撃で命を刈り取るべきなのだ。
ホルスの魔術の才能は、身を隠して気配を消す事にその殆ど全てを費やされている。
遥か地平線の彼方へ届く斬撃も、何人たりとも侵入させない結界も、誰にも追いつけないほどの速度も、彼女には不要だった。
ただ、一撃。
絶対に回避できず、決して悟られる事のない不可視の殺意。
それだけがあれば、十分だった。
この世界には、ホルスが人生の全てを注いでも追いつけない強者など、数え切れないほど存在している。
そしてそういう者たちは、殆ど全員が自分の力を過信し、初見殺しによって命を散らしていた。
残されたラムセスがどんな気持ちで戦っていたのか、知りもせずに去っていった無能。
その上で、彼の心の中に留まり続けた憎き者たち。
ホルスはそんな役立たずが一番嫌いだった。
だからこそ、彼女はこの戦い方を選んだ。
敵を倒すのに、大規模な攻撃なんて必要ない。
相手を殺すのに、世界から授かった魔法なんて必要ない。
姿を隠し、絶対に避けられないタイミングで八つ裂きにしてしまえばいいのだから。
ホルスの知識によれば今回の事件の発端は、魔人による傍迷惑な求愛行動だった。
分不相応にもラムセスに執着し、彼が迷惑に思っている事すら察することのできない、器用貧乏なだけの魔人による蛮行。
狙いが分かっているのなら、姿を隠してラムセスの側に待機し、彼を狙ってきたところを逆に狙い撃ちにしてやればいい。
もちろん、自分が控えていることはラムセスにも話さない。
敵を騙すにはまず味方からという言葉がある。ラムセスがホルスに教えてくれた言葉だ。
会場に入ると同時に一度別れる振りをし、魔術によって身を隠してからこっそり跡をつける。
「貴族祭」を楽しんでいるラムセスをすぐ後ろから眺めながら、ホルスはその時を待った。
そしてホルスの予想通り、魔人は姿を偽ってラムセスに接触してきた。
王女とラムセスが面会する前に仕掛けてきたのは予想外だったが、それはホルスにとっては些細な変化だった。
不意を打たれたせいで一人王城に取り残されてしまったが、ラムセスの気配を辿ってすぐさまこの場に駆けつけた以上、不都合はない。
既にホルスは何度か歴史を変えている。
ならば、多少は知識と相違点が生まれても仕方がないだろう。
ホルスはむしろ、王女がラムセスを庇って倒れるリスクが無くなった事に感謝したいぐらいだった。
足手まといを助ける必要がなくなった以上、ホルスはラムセスの為だけに動くことができる。
好都合だった。
そういう風に自身を納得させ、ホルスは機会を伺う。
ホルスがこの闘技場に駆けつけた時、魔人とラムセスが丁度戦闘を始める場面だった。
ラムセスは危なげなく魔人の攻撃を捌いており、相手の力を探りながら反撃すらしている。
その勇姿を目に焼き付け、ホルスは万感の思いでその時を待った。
魔人の行動はというと、ホルスの知識の範疇を逸脱することはなかった。
「自分ではない誰か」の魔人、サンリルオン。
本来の歴史では名乗る事もなかったため、ホルスはラムセスがその名を呼んだ事で、初めて個体名を知った。
本来ならフォルテシモ・ソフィアリ・マエストロの姿を装っていたはずの、取るに足らないちっぽけな魔人。
他の人物に化けられるという能力を持ちながらも、ホルスからすればその性能は欠点だらけだ。
まず、化けた相手の記憶を得ることはできない。
いくら姿を変えたとしても、その時点では対象に成りすますことすら困難であり、ただの力の持ち腐れなのだ。
だからこそ、この魔人は気に入った相手の事を殊更詳しく知ろうと行動し、分析によって行動パターンを模倣しようとする。
次に、二つ以上の対象に同時に化けることはできない。
異能を行使するためには一度元の姿に戻らなければならず、その間は無防備そのものとなる。
本来の歴史ではラムセスにその欠点を突かれ、敗北することになっている。
そして何より、自分よりも強い相手や、理解が及ばない力を真似することは出来ない。
この魔人の異能の正体は「自己暗示による対象の模倣」であり、結局は「自分はこういう存在である」と思い込むことで力の一部を無理やり行使しているだけなのだ。
そしてその矮小さゆえに、模倣する相手が目の前で生きているというだけで「自分はこの人ではない」と自ら暗示の力に制限をかけてしまい、その力は大幅に劣化する。
当時まだ八歳であったラムセスに退治されている時点で、魔人としての性能が低いことは証明されている。
勿論、ホルスはラムセスが優秀であったからこそ勝利を収めた事を理解している。
しかし、異能を持つとはいえ所詮は単独行動しか出来ない魔人。
油断し、必要のない変化を行なっている様などは正しく「慢心」そのもの。
「捻れ飛び兎」は飛行能力を持つだけの、なんの変哲も無い魔物にすぎない。
「侵入者」のように触れるだけで生命力を奪う能力もなければ、「鬼火」のように実体をすり抜ける特性もなく、「巨人」のように頑強でもなければ、「歌姫」のように精神攻撃をする事もない。
ごく普通の、少し大きい鳥のようなものなのだ。
「自分ではない誰か」は別の姿に変身する時、必ず一度元の姿を介する必要がある魔物。
謀略に徹し、人々に紛れているのならば、確かに脅威となるだろう。
しかし、直接姿を現した上での戦闘力ならば、魔人の中でも下から数えた方が早い。
つまり、最初の不意打ちが成功しなかった時点で既にサンリルオンの敗北は確定したようなものだ。
ホルスはこの時を待っていた。
ラムセスを囮にするような真似はしたくなかったが、これも確実に相手を屠るため。
魔人の背後を取り、気配を完全に殺して近づく。
相手はラムセスとの会話に夢中になっており、警戒をする様子すら見せていない。
ホルスの魔術が発動し、真空の刃を作り出す。
「私を理解してくれたのね! 嬉しいわ! 私もあなたを理解したい!! だからもっと楽しみましょう!! もっと愛しあいましょう!! だって、あなたを愛しているんですもの!!」
その言葉に対して、ホルスはドス暗い感情を抱いた。
ーーーーなにが愛だ、バカバカしい。
ーーーー貴様は結局のところ、自分自身の事しか愛していないのだろうに。
ホルスはラムセスの事を愛している。
たとえ今のラムセスが、嘗て自分が父と慕った彼とは別人であると理解していても、その気持ちはブレる事はない。
そんな次元の感情ではないのだ。
もっと心の奥深く、魂に灼きつける程の愛情を、ホルスは彼に対して抱いていた。
それが家族に対するものなのか、恩人に対するものなのか、それとも異性に対するものなのかは、ホルスにも判断がついていない。
敢えて言うならば、その全ての愛を。
ホルスは自分という個人の存在理由にしていた。
しかし、それを今のラムセスに伝える事は出来ない。
それは契約であり、楔であり、誓いだった。
それなのに、目の前の悪は堂々とラムセスに愛を語っている。
紛い物の愛情をラムセスに向けること自体を、ホルスは許せなかった。
思わず感情のままに叫びそうになる心を抑え、ありったけの憎悪と殺意を静かに刃に上乗せする。
それでも一言だけ、本音を口にしないと気が収まらなかった。
魔人、貴様程度がーーーー。
「あなたが愛を語るなど、論外です」
その言葉を言い終えた時には、全ての攻撃が終わっていた。
首元を狙って一閃し、胴体と斬り離す。
返す刃をV字に振りきり、両翼を斬りとばす。
刃を増やして胴体部分に振り下ろし、三枚に切り分ける。
そして空中に投げ出された首を八方から同時に斬りつけ、ミキサーにかけるように執拗に破壊する。
なんども繰り返した作業のように、一寸の狂いもなくやり遂げる。
意思を失った魔人の肉体は地面に打ちつけられ、闘技場に絵の具を散らすように血肉が撒き散らされる。
その惨劇を見て呆然とするラムセスへ、ホルスは綺麗な笑顔を作り微笑む。
ラムセスがどれだけ偉大であったとしても、今はまだ子供。
突然独り連れ出され、命を狙われた事を不安に思わない筈がない。
ホルスはそんなラムセスを安心させるために、頬に返り血をつけたまま口を開いた。
「ファラオ、ご無事でしたか?」




