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羨望の正体


「『命に触れていたい。私には存在しないものだから』」


 先手を取ったのは、サンリルオンだった。

 彼女の下半身から無数の怪腕が溢れ出し、濁流のようにラムセスへと殺到する。

 病人のように細く弱々しいが、その一本一本が容易く人の生命を刈り取る死霊の腕だ。


 ラムセスはそれを目で確認するよりも早く、魔術を発動させる。


「『氾濫せよ』」


 「クレイランツ・コロッセオ」は貴族同士が決闘を行うために用意された場であり、各属性の魔術師がその力を最大限に発揮できるよう、様々な設備が備わっている。


 闘技場を囲うように作られた溝には常に水が流れており、水属性の魔術を行使する際の助けとなるよう設計されている。


 ラムセスはそこから水を組み上げ、いつでも魔術を行使できるように待機させていた。


 怪腕とラムセスの間を莫大な水流が遮り、ラムセスの身を守る。


 怪腕は水流に押し流されそうになるも、その細い腕からは考えられないほどの力を持ってラムセスへと進む。

 しかし、それでも一時的な時間稼ぎにはなる。


 ラムセスはその間に火属性の魔術を同時に使用し、炎の噴射を利用して空中へと逃走する。


 怪腕はなおもラムセスを追いかけようと、文字通り腕を伸ばすが、それは彼によって妨害される。


「きゃっ、危ないわ!」


 ラムセスがサンリルオン本体を狙い、水流の方向を変えたのだ。

 サンリルオンはそれに気がつくとすぐさま怪腕を自らの元へと戻し、地面に向かって伸ばす事で体を支え、空中へと逃す。


 そして、それこそがラムセスの狙いだった。


 サンリルオンの背後から、水の槍が迫る。


「『熱く、苦しいこの渇望。身を焦がして溶けてしまいそう』」


 サンリルオンの詠唱と共に肉体は再度変化し、怪腕がスカートの中に戻る。

 そして、その身から青白い炎が吹き上がる。

 炎は勢いを増し、サンリルオンの全身を包む。

 炎でできた掌が燃え上がり、炎の巨腕となって現界する。


 それはラムセスの操る水槍に向かって叩きつけられ、相殺し、水蒸気が発生した。


 サンリルオンはそれを見ると余裕の表情を浮かべ、炎の化身となった肉体を浮遊させてラムセスへと迫る。


 しかし、彼女がラムセスに接敵する事はなかった。


「あれ? これはいったい…………?」


 サンリルオンが不思議そうに首を傾げる。

 彼女の下半身は、何処からか現れた氷によって拘束されていた。

 炎の人型になった彼女の熱を受けて溶けると同時に凝固し、それを繰り返す事で抜け出すことを不可能にしている。


 水属性魔術は小さな分子に働きかける力であり、水から蒸気になったところでコントロールが失われるわけではない。


 その水蒸気を利用してサンリルオンの周囲を覆ったラムセスは、火属性の温度操作によって一気に氷へと状態を変化させ、即席の拘束具を作り出したのだ。


 空中に停止させられたサンリルオンの足元から、ラムセスの操る水流が吹き上がり、彼女の身を飲み込む。


 そしてラムセスはその水柱を凍結させ、氷の棺でサンリルオンの動きを封じた。


 サンリルオンも中で抵抗し、体の温度を上げて氷を溶かそうとするが、そこはラムセスの独壇場である。


 常に魔術を行使し続け、もがく彼女を決して逃さない。


 このまま持久戦に入れば、時間が経つにつれてラムセスが有利になり続けるだろう。


 「貴族祭(フェスタ)」の最中とはいえ、ラムセスが行方知れずになったのに気がつかない筈がないのだ。


 魔術を大々的に使用することにより、他の魔術師に戦闘が起こっていることを伝える事もできる。


 そこまで考えてから、ラムセスはそう上手くはいかない事を悟った。


 先ほどまで必死に抵抗していたサンリルオンが、全く動きを見せなくなっていたのだ。


 しかし、それは決して諦めた訳ではなかった。


 ラムセスの視線の先では、炎から元の姿に戻ったサンリルオンが、その顔に笑みを浮かべてラムセスへと微笑みかけている。


 そして、僅かに口を動かす。


「『強くなりたい。誰よりも大きく、誰よりも力強く。全ての理不尽を薙ぎ払いたい』」


 サンリルオンが三度変性する。

 見た目はそのままに、まるで膨張するかのように規模(スケール)が大きくなる。


 魔術によって操られ、絶えず形を変えて抵抗を無効化する氷の牢獄も、純粋な質量の前には無力だった。


 サンリルオンの体躯を覆うための水分が、単純に足りないのだ。


「『溢れろ!』」


 ラムセスは思わず舌打ちしそうになるのを堪え、単略した詠唱で水流を追加しようとするも、間に合わない。


 氷を引き裂いて中から現れたのは、実態を持つ巨人となった少女だった。


 拘束を引き裂くと同時に、その体躯は加速度的に質量を増し、その勢いのままにラムセスへと襲いかかる。


 ラムセスは引き寄せていた水流を防御に回したが、サンリルオンはそれを容易く突破し、水壁は飛沫となって散る。


 巨腕が風を切り、ラムセスを叩き落とす。


 しかし、その手応えの無さにサンリルオンは再び首を傾げる。

 ラムセスを叩いた掌を見ると、そこを濡らしていたのは血液ではなく、透明度の高いただの水だった。


 サンリルオンがそれに気がつくと同時に、掌を滴っていた水が生き物のようにうねり、槍となってサンリルオンの大きな片目を貫く。


「…………っ!」


 堪らずたたらを踏んだ彼女の背後から、ラムセスが姿を見せる。


 水壁で視界を塞いだ僅かな間に分身を作り出した彼は、一瞬でサンリルオンの視界の外へと離脱し、この瞬間を待っていたのだ。


 肉体が巨大であるというのはそれだけで脅威だが、同時に攻撃を当てやすいという事でもある。


 ラムセスは水流を操り、サンリルオンの口元を塞ぐ。


「!? ……っ! ぁ!」


 サンリルオンは目を白黒させ、必死に口元を掻き毟る事で水の侵入を防ごうとする。


 しかし、大きくなった口は水を拒む事なく受け入れ、掌の隙間を通って次々と侵入する。


 ラムセスはサンリルオンが何かしらのアクションを取るとき、必ず何かを詠唱している事を理解していた。


 怪腕を出す時、炎の化身となる時、そして体を巨大化させる時。


 大きな変化を起こす時は、それに沿った内容の言葉を紡いでいる。


 ならば、それはこの魔人の異能を行使するために必要な行為のはず。


 そう考えたラムセスは、こうしてサンリルオンの口を塞ぐ事が戦いを有利にする鍵だと判断したのだ。


 そして、それは正しかった。

 氷の中にいた時すら平静を保っていたサンリルオンが、今は必死そのもので口を自由にしようとしている。


 ここまでは、ラムセスの思い通りに動いていた。


 しかし、サンリルオンもただやられているわけではない。


 ラムセスが次の行動を起こそうとしているのを察知した彼女は、危機感から冷静な判断を取り戻すと、口を開く。


 そう、後頭部(・・・)に存在していた口を。


「『私から歌を奪わないで。この声だけは絶対に放さない』」


 サンリルオンの大きさは元に戻り、代わりにその全身に沢山の線が走る。


 そして粘着質な音とともに、その全てが開かれる。


『キャアアあアアああアアアアアああアア!!!』

『アハハはハハははハハははハハハはハハハ!!!』

『アッ…………アッ、アぁ!!』


 それは口だった。

 全身に幾つもの口を生やした(・・・・)彼女は、一つ一つから別々の叫び声を上げ、不協和音による不快な歌を唄う。

 それはまさに、阿鼻叫喚。


「うっ…………!」


 ラムセスは咄嗟に耳を塞ぎ、その場から離れる。

 その叫び声は彼の集中力を搔き乱し、精神を侵し、思考を奪おうとしたのだ。


 咄嗟に距離をとったラムセスを見たサンリルオンは、全身の口を閉じると、普通の少女のようにクスリと笑った。


 しかし、そんな可憐な行動ですら、この魔人がやっているだけで悍ましい何かに見えてしまう。



 ラムセスの三半規管は叫び声によって揺さぶられ、まともに立ち続ける事すら出来ない。


 その場に膝をつき、それでもサンリルオンを睨みつける。


 そんなラムセスへ笑いかけながら、サンリルオンは口を開いた。

 しかし、それは次の攻撃を行うためではない。


「どう? おうさま。少しは本気を出す気になった?」


「…………どういう、ことですか?」


 サンリルオンにとっては絶好の機会であるにも関わらず、彼女が選んだのはラムセスとの会話だった。


 ラムセスはそれに警戒しながらも、調子を整えるための時間稼ぎをするべく、返事をする。


 ラムセスが相手をしてくれるのが嬉しいのか、サンリルオンは笑みを深めて言葉を続けた。


「確かにおうさまは凄いけど、こんなんじゃ全然物足りないよ…………? 前みたいに(・・・・・)、もっともっと強く私を求めてよ。熱く、焦がすようなあなた(ワタシ)の力を、私に見せて? もっと感じさせてよ! ねぇ!」


「前みたいに…………? 何を言ってるんだ、さっきはじめましてって」


 突然の要求に困惑するラムセスをよそに、サンリルオンはなおも言い募る。


「この姿じゃ本気を出せないの? 私は魔人なのに…………女の子みたいに見えるから手加減してるの? おうさまは、もっと強く私を攻撃できるよね? 優しいから、出来ないの? …………もっと知りたいな、あなた(ワタシ)のこと」


 図星だった。

 ラムセスは人間のような見た目のこの魔人に対して、火属性の魔術を使うことができなかった。


 ラムセスの行動は最初から一貫して拘束へと徹している。

 それは、自分の魔術で相手の事を焼く事に抵抗があるからだ。


 ベンニーアと対峙した時も、同属魔術障壁があるにも関わらず、最後は水属性の魔術で決着をつけた。

 ラムセスの魔術であれば、疲労した魔術師の障壁の許容限界を貫き、気絶させる事など容易い。


 しかし、そうはしなかった。


 人間に対し、あの破壊力の大きい攻撃を放つ事に抵抗があるからだ。


 そしてそれは、こうして明確に敵対しているサンリルオンに対しても適用されている。


 撃たないのではなく、撃てないのだ。

 どうしても、相手を燃やす事に抵抗が出来てしまう。


 なんども体を異形に変えたサンリルオンにすら、撃つ気にはなれなかった。


 完全にラムセスの精神の問題であり、甘えた考えであったが、あと一歩のところで踏ん切りがつかない。

 あるいは、それは争い事とは無縁であった前世の名残であるのかもしれない。


 そしてサンリルオンは、そんなラムセスの内心を的確に見抜いていた。

 性質からして、他者の精神に敏感な魔人である彼女にとって、それは容易い事。


 ラムセスの事をまた一つ理解したサンリルオンは喜びの感情を発しながらも、不満を露わにする。


 サンリルオンは忘れられないのだ。

 あの時自分を貫いた熱線の、その感覚が。


 サンリルオンに対して容赦無く、そして強く撃ち抜いたあの魔術の味を、サンリルオンは求めていた。



 サンリルオンの言葉に混乱するラムセスへ、彼女は種明かしをする。


「『空を飛びたいの。この場所から解放され、好きなように漂いたい』」


 もはや見慣れたサンリルオンの異能。

 その変化を見届けたラムセスは、目を見開いた。


 そして理解する。サンリルオンがどうしてラムセスの魔術を知っていたのかを。



「『捻れ飛び兎(ワイバーン)』…………っ!」


 体を捻るように塒を作り、二つの翼は兎の耳のようである事から名付けられた、飛行する魔物。

 王都を訪れる時、不自然にも一匹でオリシス家の領へと向かって飛んでいた魔物。


 ラムセスは当然見覚えがあった。

 その魔物を撃ち落としたのは、彼なのだから。

 サンリルオンの言葉の意味を理解し、ラムセスは驚愕した。


 つまり、あの時のーーーー。



「あんなに強く求められたのは、初めてだったの…………私、きっと恋をしたんだと思うわ…………こんなにも、あなた(ワタシ)が欲しい! あなた(ワタシ)のようになりたいの! 強く! 熱く! 生きたいの!!」



 この魔人が自由に姿を変えられる事を、ラムセスは理解し始めていた。

 サンリルオンのとった姿と、その特徴から、ラムセスは彼女がどんな魔人であるのかを判断しきれていなかった。


 魔人とは、基本的に魔物が進化した存在である。

 どれだけ人間に近い姿をとっていても、その本性は必ず魔物のうちのどれかに行き着くのだ。


 サンリルオンの見せた姿を、ラムセスは知識として知っていた。


 『虚空の侵入者(スピリット)』、『鬼火(ウィスプ)』、『巨人(タイタン)』、さらには『金切り歌(ウンディーネ)』。


 それぞれの特徴がバラバラすぎるために、ラムセスはこの魔人がなんの魔物をベースにしているのか、判断しきれていなかった。


 そして、新たに見せた姿は『捻れ飛び兎(ワイバーン)』。


 ラムセスは理解した。

 この魔人がどのような存在であるのか。


 そして、どうしてここまでラムセスに執心しているのかを。


「サンリルオン…………君はもしかして、あの時のっ!!」


「やっと…………やっと私の名前を呼んでくれたね! ええ、そうよ! やっと私を理解してくれた! 嬉しいわ! 嬉しいわ! 私、あの熱が忘れられないの! あの時あなた(ワタシ)に撃ち落とされて、心から思ったわ! あなた(ワタシ)になりたいって!!」


 サンリルオンはその姿のまま宙へと羽ばたきながら、言葉を続ける。


「だからこうして付いてきたの! あなた(ワタシ)の家に会いに行く予定だったから、入れ違いにならなくてよかったわ! あなた(ワタシ)に会うために此処に来て、あなた(ワタシ)と二人になる為にあの子に化けたの! そう、全部あなた(ワタシ)と会って話がしたかったから! あなた(ワタシ)をもっと理解したいから! だから教えて、あなた(ワタシ)の全力を! あなた(ワタシ)の持つ力の限りを私にぶつけて!! この気持ちがきっと、愛なの!!」


 ラムセスは歯噛みした。


 彼は最初から疑問に思っていたのだ。

 国の上層部の人間が魔人となる。


 それ自体はあり得ないことではない。


 しかし、魔人は本能に従って行動する存在。

 いくら擬態がうまくとも、そう長い間本性を隠し切ることは出来ないはず。


 だからラムセスは疑問に思っていたのだ。


 果たして王女の使者の少女は、いつから魔人になっていたのかと。


 しかし、そこから既に勘違いだったのだ。


 少女が魔人になったのではない。


 魔人が少女に化けていただけだったのだ。


 そして彼が望んだことではないとはいえ、この魔人が王都に侵入して来たのはラムセスが原因だったのだ。


 王都に来るときに、特に気負うことなく撃ち落とした魔物。


 まさかそれが魔人の擬態であり、そして死を偽装した上でラムセスの後をつけ、こうして王都に侵入して来るなど、誰が想像出来るだろうか。


 そして、この魔人が少女に成り代わっていたという事は、その少女はーーーー。



「あっ、心配しないでね? 私は気に入った相手しか愛さない(ころさない)の。さっきまで姿を借りていた少女は、所詮ただの間に合わせ…………今頃は気持ちよくベッドで寝ているはずだわ! わざわざおうさまに嫌われるようなこと、私はしないもの」


 ラムセスの脳裏をよぎった最悪の予想は、魔人によって否定される。


 それが真実であるかは不明だが、ひとまずラムセスは安心する。


 自分が引き連れてしまった以上、責任を取る必要がある。


 ラムセスは覚悟を決め、サンリルオンを睨む。

 その決意が伝わったのか、彼女は嬉しそうに笑った。


「サンリルオン…………やっと分かった、君の正体は『ドッペルゲンガー』! そして…………僕を狙う理由も、それが全てではないだろうけど、理解はできた」


 一呼吸おき、今度はラムセスが叫ぶ。


「だから僕が責任を持って君を打ち砕く! ここで君を打倒し、君の企み全てを白日の下に晒させてもらう!! いくぞ魔人、お望み通り…………全力を出してやる!!」


「私を理解してくれたのね! 嬉しいわ! 私もあなた(ワタシ)を理解したい!! だからもっと楽しみましょう!! もっと愛しあいましょう!! だって、あなた(ワタシ)を愛しているんですもの!!」



 両者は再び対峙し、今度は本気の殺意を込めてお互いの命を狙う。


 ラムセスはこの魔人を引き入れる原因となってしまった事に責任を感じ、そして人類の脅威となる存在を討ち亡ぼすため。


 サンリルオンは本能に従い、相手の全てを愛して奪うため。


 ラムセスの周囲に複数の熱源が発生し、サンリルオンの肉体はさらなる変化を始める。


 一触即発の空気。


 そして、どちらからともなく動こうとしてーーーー。





「あなたが愛を語るなど、論外です」


 第三者によって、終止符を打たれた。

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